ルチアーノ・ミーロ ルチアーノ・ミーロの概要

ルチアーノ・ミーロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 08:20 UTC 版)

ルチアーノ・ミーロ
Luciano Milo
選手情報
生年月日 (1980-04-29) 1980年4月29日(43歳)
代表国 イタリア
出生地 ローマ
身長 174 cm
元パートナー フェデリカ・ファイエラ
グロリア・アゴリアーティ
元コーチ パオラ・メッツァドリ
元振付師 リュドミラ・ウラソワ
ISUサイト バイオグラフィ
獲得メダル
フィギュアスケート
世界ジュニア選手権
1998 セントジョン アイスダンス
1999 ザグレブ アイスダンス
ジュニアグランプリファイナル
1997 ローザンヌ アイスダンス
1998 デトロイト アイスダンス
■テンプレート ■選手一覧 ■ポータル ■プロジェクト

1998年、1999年世界ジュニア選手権2位。パートナーはフェデリカ・ファイエラグロリア・アゴリアーティ

経歴

ローマに生まれ、6歳のころにスケートをはじめた。やがてフェデリカ・ファイエラとカップルを結成し、1996-1997年シーズンの世界ジュニア選手権に初出場し7位となる。翌1997-1998年シーズンには創設されたばかりのISUジュニアグランプリに参戦し、JGPファイナルで優勝。初代アイスダンスチャンピオンとなった。また世界ジュニア選手権でも2位となる。1998-1999年シーズン、再びISUジュニアグランプリに出場。2連覇を目指したJGPファイナルでは2位、世界ジュニア選手権でも再び2位に終わった。

1999-2000年シーズンからシニアクラスに完全転向し、フィンランディア杯で2位。ISUグランプリシリーズにも出場を果たしネイションズ杯では5位となった。また、イタリア選手権で2位となり、2000年欧州選手権および2000年世界選手権の代表に選出された。しかし、2000年欧州選手権では11位に終わり、2000年世界選手権ではオリジナルダンスを終えて途中棄権。このシーズンをもってフェデリカ・ファイエラとのカップルを解消し、新たにグロリア・アゴリアーティとカップルを結成した。

2000-2001年シーズン、グロリア・アゴリアーティと臨んだエリック・ボンパール杯およびネイションズ杯であったが、ともに10位と奮わず、2001年欧州選手権は15位、2001年世界選手権21位に終わった。このシーズンをもってカップルは解散した。

主な戦績

大会/年 1996-97 1997-98 1998-99 1999-00 2000-01
世界選手権 棄権 21
欧州選手権 11 15
イタリア選手権 2 J 1 J 1 J 2 3
GPエリック杯 10
GPネイションズ杯 5 10
フィンランディア杯 2
世界Jr.選手権 7 2 2
JGPファイナル 1 2
JGPメキシコ杯 1
JGPブラオエン・シュベルター杯 2 2
JGPソフィア杯 1
  • J = ジュニアクラス

外部リンク




「ルチアーノ・ミーロ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルチアーノ・ミーロ」の関連用語

ルチアーノ・ミーロのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルチアーノ・ミーロのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルチアーノ・ミーロ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS