リリー・クラウス
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人物
第二次世界大戦後にたびたび来日したクラウスとじかに接した吉田秀和は「クラウスは、身にまとう雰囲気・話し方・身のこなしなど、欧州の貴族とはこんな人かと思わせる気品を備えた淑女であった。頭が非常によく、話題が豊富で社交性が高く、立派な人柄であった」という旨を述べている[3]。
出自
2006年現在、クラウスの唯一の伝記と言えるのが、Steve H. Roberson, Ph.D.[注釈 2], Lili Kraus: Hungarian pianist, Texas teacher, and personality extraordinaire, Fort Worth: TCU Press, 2000, ISBN 978-0-87565-216-0[9] である[2]。同書には「クラウスの両親はいずれもユダヤ人であった」と記されているが、その根拠が示されていない[2]。
多胡吉郎[注釈 3](2006年に日本で『リリー、モーツァルトを弾いて下さい』を上梓した)は、上記の記述の根拠を著者のロバーソンに直接問い合わせた[2]。するとロバーソンは多胡に「晩年のクラウスが、自分の娘に、『誰にも言ったことがないが、自分の両親はいずれもユダヤ人であった』と告白した」ことを根拠にした、という旨を返答した[2]。多胡は、次いでアメリカ・ノースカロライナ州に健在であったクラウスの娘に事実関係を直接問い合わせた[2]。クラウスの娘は、ロバーソンの返答・ロバーソンの著書の記述と整合する回答をした[2]。
多胡は、クラウスが第二次世界大戦後の1948年に故郷のブダペストを訪問し、母・異母姉(クラウスの父は前妻との間に娘を儲けた後に、クラウスの生母と再婚し、ホロコーストが始まるより前の1930年代半ばに死去した[2])の2人と再会した事実を示し、クラウスの娘の証言を根拠とする「クラウスの両親はいずれもユダヤ人であった」説に疑問を呈している[2]。第二次世界大戦中にナチス・ドイツの強い影響下にあったハンガリーでは、他国でのそれを上回る苛烈なユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)が実行され、ナチス・ドイツの当局者すら驚くほど徹底したものであった[2]。多胡は、仮にクラウスの両親がいずれもユダヤ人であったならば、クラウスの母(ユダヤ人)・異母姉(少なくとも父はユダヤ人)が揃ってホロコーストから生き延びるのは不可能だったのではないか、と指摘している[2]。
クラウス自身は生前のインタビューで「自分はカトリックの家庭に育った。しかし、ユダヤ人であるオットー・マンデルと結婚することに何ら障害はなかった」旨を述べていた[2]。
注釈
- ^ クラウスの生年については「1903年」「1905年」「1908年」とする資料が混在してきた[2]。1986年11月6日にクラウスが死去した際にも、訃報を掲載した新聞によってクラウスの生年表記にばらつきがあり、最も多かったのが「1903年生」とするものであった[2]。なお、クラウスの没後の1989年に、Steve H. Roberson, Ph.D.(2000年にクラウスの伝記を上梓)が執筆した論文「Lili Kraus: The First Lady Of The Piano」では、クラウスの生年月日を「March 4, 1903」と明記している[1]。
- ^ a b Steve H. Roberson, Ph.D.[1]はクラウスの晩年の弟子であり、2006年現在、テキサスクリスチャン大学でピアノを講じ、音楽評論活動を行っている[2]。
- ^ 多胡吉郎は、NHKでプロデューサー、ディレクターを務めた人物[10]。NHK在職中にクラウスを主題とした映像作品を制作しようとしたが果たせなかった[2]。2002年にNHKを退職し、その後は著述活動を行っている(2006年現在)[10]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m Steve H. Roberson, Ph.D.. “Lili Kraus: The First Lady of the Piano, JUNIOR KEYNOTES. Winter 1989”. North Carolina Digital Online Collection of Knowledge and Scholarship. University of North Carolina. 2018年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 多胡 2006, pp. 291–301, あとがき
- ^ a b 吉田 1983, pp. 505–509, ピアニストを語る - クラウス
- ^ 吉澤 2006, p. 301, 第5章 ピアニストの流派とは - 5 レシェティツキー派のピアニスト - リリー・クラウス
- ^ 多胡 2006, pp. 268–284, 第十三章 モーツァルトふたたび
- ^ 狩野, 不二夫 (2008-12). “ハンガリー生まれ、ニュージーランド国籍のピアニスト : リリー・クラウス : ジャワでの抑留生活と日本軍との交流”. ニュージーランド研究 15: 74–82. ISSN 1881-5197 .
- ^ 柴田龍一「第1部 世界の名ピアニストたち - リリー・クラウス」(p.138)『新編 ピアノ&ピアニスト』(ONTOMO MOOK)、音楽之友社、2013年。
- ^ 岡本稔「『〇〇弾き』の系譜 - バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンに心奪われたピアニストたち」(pp18-21)『新編 ピアノ&ピアニスト』(ONTOMO MOOK)、音楽之友社、2013年。
- ^ 多胡 2006, pp. 302–303, 主要参考文献
- ^ a b 多胡 2006, 著者紹介
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