ヤロスラフ1世 ヤロスラフ1世の概要

ヤロスラフ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 19:56 UTC 版)

ヤロスラフ1世
Ꙗросла́въ I
キエフ大公
ヤロスラフ賢公
在位 1019年-1054年

出生 978年頃
死去 1054年2月20日
ヴィーシュホロド
継承者 イジャスラフ1世
子女 イジャスラフ1世
スヴャトスラフ2世
フセヴォロド1世
アンナアンリ1世妃)
エリザヴェータハーラル3世妃)
アナスタシヤアンドラーシュ1世妃)
王朝 リューリク朝
父親 ウラジーミル1世
母親 ポロツク公女ログネダ
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ヤロスラフ賢者の記念碑、ゾロトヴォリツキー広場、ウクライナ

父親の薨去まで

980年代末に父からロストフに配置される。1010年に長兄ヴィシェスラフが薨去した後にはノヴゴロド公位に就く。当時ノヴゴロド公には、大公の長男が就くのが慣例であった。その没後にヤロスラフがこの公位についたということは、父親が彼を大公位継承者と考えていたとみなす根拠になる。ところがヤロスラフは1014年に父親のいるキエフに対し貢税2000グリヴナの支払いを停止し、このことにより、両者は戦いが避けられない状況に陥った。しかし、遠征の準備中に父ウラジーミルが薨去、大公位はヤロスラフの兄スヴャトポルクの手に渡る。

兄との戦い、そして大公位獲得へ

ヤロスラフ賢公のコイン。現在のウクライナの国章にデザインが引き継がれている。

国内における活動、対外活動

彼の内政面で特記すべきは、『ルースカヤ・プラウダ』(ルーシ法典)の編纂だろう。恐らくはそれまで口述で伝わっていたルーシの慣習法の一部を成文法化した。この法は、補則・改定を受けながら、16世紀頃まで利用されていた形跡がある。

また、彼は現存するキエフのソフィア聖堂を建設した。但し近年の研究では、それ以前に木造のソフィア聖堂が存在していたと考えられている。現在の聖堂は三代目のものであるとされる。

加えて彼の時代、初めてキエフ府主教ルーシ人イラリオン)が選出された。それまでの府主教は例外なく東ローマ帝国出身のギリシア人聖職者であった。


注釈

  1. ^ 詳しくはウラジーミル1世の家庭生活と子どもたちを参照されたし。
  2. ^ 「キーリキヤ」「キキリヤ」「ツェツィリヤ」は、それぞれロシア語: Килликии、Кикилии、Цецилии(いずれも前置格)からの転写による。
  3. ^ ニコライ・カラムジンは、ヴャチェスラフはシュターデ伯レオポルトの娘・オダと結婚していたと推定しているが[4]、オダはヴャチェスラフの兄のスヴャトスラフの妻と考えられている。
  4. ^ 従来の説ではオーラミュンデ伯家の娘クニグンダと結婚したとされるが、近年の歴史家には、クニグンダはヤロポルク・イジャスラヴィチの妻であるとみなすものもある。
    他の兄弟との兄弟順に関する諸説はイーゴリ・ヤロスラヴィチ#誕生年と兄弟順を参照されたし。
  5. ^ 詳しくはen:Agatha, wife of Edward the Exile#Kievan theoryを参照されたし。

出典

  1. ^ Карпов А. Ю. Ярослав Мудрый. — 3-е изд.. — М.: Молодая гвардия, 2010.
  2. ^ マッツ.G.ラーション『悲劇のヴァイキング遠征』p48
  3. ^ S・ストゥルルソン『ヘイムスクリングラ(二)』北欧文化通信社、2009年、334頁。 
  4. ^ Карамзин Н. М. История государства Российского в 12-ти томах / Под ред. А. Н. Сахарова. — М.: Наука, 1991. — Т. II—III. — С. 210


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