ムハンマド・イクバール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 09:55 UTC 版)
晩年
スペイン及びアフガニスタンからの旅行から帰国した1933年、イクバールの健康状態は悪化した。イクバールは晩年の数年を古典イスラームと現代社会科学の研究機関である"Idara Dar-ul-Islam"(イダーラ・ダールル・イスラーム)の設立に時間を費やした。1934年には法律職を辞め年金生活に入った。
1938年にイクバールはラホールで亡くなった。彼の墓はバードシャーヒー・マスジド(Badshahi Mosque)の門とラホール城の間にあり、パキスタン政府によって保存されている。
イクバールは「パキスタン建国の思想を打ち立てた」ということでパキスタンで幅広く称えられている。イクバールの"Tarana-e-Hind"は、インドでは愛国歌(=「サーレー・ジャハーン・セ・アッチャー」)として歌われている。イクバールの誕生日とされている毎年11月9日は現在パキスタンの国民の祝日となっている。
イクバールの名前に由来する様々な機関がパキスタンには存在する。たとえば、アッラーマ・イクバール・オープン大学や、パキスタンでは2番目に混雑するラーホールのアッラーマ・イクバール国際空港がある。政府や地方公共団体は、イクバール研究のための学校設立の際スポンサーになり、またイクバールを対象とする研究、教育、作品・文学・哲学の保存のためにイクバール・アカデミーを設立した。
脚注
関連文献
- ムハンマド・アースィフ, 山根聡訳「アキール文庫のイクバール学コレクションについて」『イスラーム世界研究』第9巻、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター、2016年3月、149-164頁、ISSN 18818323、2022年9月3日閲覧。
- ジャーヴェード・イクバール, 山根聡「詩人ムハンマド・イクバールのラーホールでの学生時代」『印度民俗研究 別巻』第6巻、印度民俗研究会、2020年12月、8-18頁、ISSN 09116982、2022年9月3日閲覧。
- 宮本隆史「植民地インドの教科書における過去の表象 : ムハンマド・イクバール&ラーラー・ラーム・プラシャード『インド史』(1913 年)を読む」『外国語教育のフロンティア』第5巻、大阪大学大学院言語文化研究科、2022年3月、315-329頁、ISSN 24339636、2022年9月3日閲覧。
関連項目
- ^ http://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/publish
- ^ a b Pakistan Times, 2004-11-09. Retrieved on 2006-06-03
固有名詞の分類
- ムハンマド・イクバールのページへのリンク