ムハンマド・アーディル・シャー (スール朝)とは? わかりやすく解説

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ムハンマド・アーディル・シャー (スール朝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/30 09:17 UTC 版)

ムハンマド・アーディル・シャー
スール朝第4代君主
ムハンマド・アーディル・シャーのコイン
在位 1554年 - 1555年
死去 1557年
王朝 スール朝
父親 ニザーム・ハーン
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ムハンマド・アーディル・シャー(Muhammad Adil Shah, 生年不詳 - 1557年)は、北インドスール朝の第4代君主(在位:1554年 - 1555年 [1])。

生涯

スール朝の創始者シェール・シャーの弟ニザーム・ハーンの息子として生まれた。

1554年11月イスラーム・シャーが死亡してフィールーズ・シャーが王位を継承した[2]。だが即位からわずか1ヶ月足らずで、従兄のムハンマド・アーディル・シャーが背いて暗殺し、王位を得た[2]

だが、これによってスール朝では内乱が発生し、混乱に陥った。そのため、アーディル・シャーは先代から頭角を現していたヘームーを宰相(ワズィール)と軍総司令官に任命した[3][4]。ヘームーはそれまで戦った22回の戦いで一度も敗戦しなかった[4]

1555年、アーディル・シャーの姉妹の夫であるイブラーヒーム・シャーが反乱を起こし、アーディル・シャーの軍を破り、デリーを占拠した。だが、イブラーヒーム・シャーもまた、シカンダル・シャーによってデリーを追われた。

一方、アーディル・シャーは東部へと追われ、その地を領土としていたが、デリーを追われてきたイブラーヒーム・シャーが侵入してきた。だが、イブラーヒーム・シャーはヘームーによって、カールピーカーンワーで二度にわたって破られ、バヤーナーの城へと逃げ込んた。

その間、ベンガルを統治していたムハンマド・ハーン・スーリーがカールピーに接近してきたため、バヤーナーを包囲していたヘームーを呼び戻した。アーディル・シャーはムハンマド・ハーンをカールピーの近郊チャッパルガッタで負かし、殺害した。

アーディル・シャーはチュナールを首都に、チュナールからベンガル国境に至るまでを支配した。その後、1556年にアーディル・シャーはヘームーに命じ、ムガル帝国を北インドから駆逐する遠征に向かわせた[4]

同年10月、ヘームーは激しい戦闘の末、デリーを占領した[4][3]。だが、11月にヘームーはパーニーパットで帝国軍を迎え撃った際、圧倒的に優勢であったにもかかわらず、敗れて殺害された(第二次パーニーパットの戦い[4][5]

1557年、アーディル・シャーはムハンマド・ハーンの息子ヒズル・ハーン・スーリーとの戦いに敗れ、戦死した[1]

脚注

  1. ^ a b Majumdar, R.C. (ed.) (2007). The Mughul Empire, Mumbai: Bharatiya Vidya Bhavan, ISBN 81-7276-407-1,pp.94–6
  2. ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.181
  3. ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.186
  4. ^ a b c d e チャンドラ『中世インドの歴史』、p.235
  5. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.187

参考文献

  • サティーシュ・チャンドラ; 小名康之、長島弘訳 『中世インドの歴史』 山川出版社、2001年 
  • フランシス・ロビンソン; 月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』 創元社、2009年 

関連項目

先代:
フィールーズ・シャー
スール朝
1554年 - 1555年
次代:
イブラーヒーム・シャー



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