ミゲル・レイナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 01:05 UTC 版)
経歴
1974年、アトレティコ・マドリードはUEFAチャンピオンズカップの決勝に進出する。ベルギーのヘイゼル・スタジアムでバイエルン・ミュンヘンと対戦した彼らはルイス・アラゴネスの得点でリードしたが、試合終了直前、レイナがボールボーイにサインしている間にハンス=ゲオルク・シュヴァルツェンベックに30mを超えるロングシュートを決められて引き分けた[1]。再試合では4-0で敗れ、準優勝となった[2]。
所属クラブ
- 1964-1966 コルドバCF
- 1966-1973 FCバルセロナ
- 1973-1980 アトレティコ・マドリード
タイトル
- FCバルセロナ
- コパ・デル・レイ 1968, 1971
- アトレティコ・マドリード
- UEFAチャンピオンズカップ準優勝 1974
- インターコンチネンタルカップ 1974
- コパ・デル・レイ 1976
- プリメーラ・ディビシオン 1977
外部リンク
- ^ スポーツナビ (2008年9月26日). “アトレティコ・マドリー、隆盛時代の到来”. 2009年9月21日閲覧。
- ^ uefa.com (2007年5月18日). “息子とともに決勝を戦うレイナの父”. 2009年9月21日閲覧。
固有名詞の分類
- ミゲル・レイナのページへのリンク