マイケル・ジョーダン 人物

マイケル・ジョーダン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 04:37 UTC 版)

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ジョーダンを主題にしたHang TimeReboundの著者である記者作家ボブ・グリーンはジョーダンがエルビス・プレスリーの再来であり、「アメリカ文化の頂点に登り詰めた」と表現。人々はジョーダンが史上最高のバスケットボール選手であると論じるばかりか、ベーブ・ルースモハメド・アリと比較するなどバスケットボールを超えた文脈で彼の存在を語るようになった。

1990年代には、遠く海を越えた日本でも、バスケットボール人気の過熱とともに当時の若者たち、特にスポーツに親しむ少年たちの最高の憧れの存在となり、多くのメディアを飾り、これに触発されたSLAM DUNKなどの娯楽作品も大いなる人気を博した。
ジネディーヌ・ジダンデビッド・ベッカムタイガー・ウッズ等、数々の世界の一流アスリートにもジョーダンに憧れ、尊敬している人物は多い。

ジョーダンがここまでの存在になったのには、いくつかの要因があると考えられる。

運動能力

ジョーダンはNBAの歴史の中で非常に高い運動能力を持っており、見る者の注目を集めるのに十分だった。彼は人が見たこともない動きをしばしば見せ、特に空中でのプレーは見る者を驚嘆させた。実況するアナウンサーはジョーダンがジャンプすると「TAKE OFF(離陸を開始した)」、「人類が空を飛んだ」と表現したほどである。ジョーダンの個人能力が注目されるようになったのは、シカゴの市場が比較的大きかったこと、キャリア初期にブルズの監督を務めていたケヴィン・ローリーがジョーダンを自由にプレーさせる方針を採ったことも要因となった。また、ティム・グローバーを専属トレーナーに雇い、故障に強い体を作り上げた。

ジョーダンの人並み外れた身体能力は先天的なものであると思われることが多いが、その恵まれた才能に加えて彼は早くからウエイトトレーニングを導入し、真夜中や早朝であっても思い立ったらすぐに専属トレーナーを呼んでトレーニングを行った。どんな体勢からでもシュートできるようにバランス感覚を鍛え、怪我の予防のため足首の筋力トレーニングも欠かさず行った。その結果、捻挫しても2〜3日で復帰できたという。また、彼は試合後もクールダウンやケアに時間を費やした。このことで彼は故障の少ないキャリアを過ごすことができたと考える専門家も多い。

また、身長198cm・体重99kgという一般人と比較すると一見大柄に見える体格(身長体重の項目も参照)がバスケットにおいて大きい部類ではなく、むしろ小さい事も影響している。これまでのNBAでは7フッターの巨人たちが支配的だったが、ジョーダンは恵まれた運動能力と鍛え上げた肉体と磨き抜いた技術により2メートルをはるかに超える巨人たちと渡り合った。体は小さくはあるが腕が長く、運動能力とあいまって高さの不利が減少され、速度と技術の有利で勝負できる程度の小さすぎない肢体はある意味で理想的といえた。

1980年代のNBAの隆盛

1970年代末期にはNBAの人気は低迷しており、リーグのイメージもあまり良くなかった。しかし、デビッド・スターンコミッショナーに就任しリーグの再建に努めたこと、マジック・ジョンソンラリー・バードのライバル関係が大いに注目されたことなどから、NBAの人気は上昇していった。マジックとバードがキャリアの末期に入る頃には、次のジョーダン時代への土壌が十分に出来上がっていたといえる。また、同時期にケーブルテレビが普及し始めたこともこの流れを助けた。

商業的な成功

ジョーダンは商業的に最も成功を収めたアスリートの一人である。1998年の時点でFortune誌はジョーダンがプロフェッショナル入り以降100億ドルの経済効果を上げたと述べている。これは本業のバスケットボールだけでなく、ナイキマクドナルドコカコーラゲータレードなどとのスポンサーシップなしには果たし得ない。特に1980年代に、当時新進気鋭の映画監督だったスパイク・リー指揮によるナイキの一連のCMが成功したことが大きい。

背番号に関するエピソード

  • 1995年の最初の復帰に際して、今までの背番号を“23”から“45”へ変更した。45番はMLBへの挑戦の際につけていた番号であり、父親が最後に見た23番のユニフォームの歴史を変えたくないという思いがあった。しかし、前述のオーランド・マジックとのプレーオフ・カンファレンス・セミファイナル初戦でミスを連発し、それに対する気分転換のため、ブルズの用具係の提案で23番のユニフォームを着用した。この行為はリーグからクレームがつき45番に戻すよう発表がされたが、ジョーダンが拒否。ブルズもそれを支持したため、シーズン終了後2万5000ドルの罰金を科せられた。
  • 元々45番は尊敬する兄が学生時代につけていた番号であり、23番は兄のせめて半分以上、上手くなりたいという想いから選んだものだった[36]
  • ジョーダンの背番号23番はマイアミ・ヒートの永久欠番になっているが、ジョーダンはマイアミ・ヒートの選手として一試合足りともプレイをした経歴がない。にもかかわらず永久欠番となっているのは、マイアミ・ヒートの球団社長であったパット・ライリーが2003年にジョーダンの所属するワシントン・ウィザーズとの対戦を前にジョーダンに敬意を表して23番を永久欠番としたためである[37]

バスケットゴールを破壊?

1985年8月25日、ジョーダンが22歳の時にイタリアトリエステで行われたナイキエキシビジョンゲームでプレーした際、ゴールを破壊、バックボードは粉砕したというアクシデントがあった[38]

政治的信条

共和党支持者でドナルド・トランプとは親交がある。逆にバラク・オバマのことは「あんなヘッポコと話していたら日が暮れてしまう」と酷評している。


注釈

  1. ^ ジョーダンの体重はプロキャリアの中で、195ポンド(88kg)から218ポンド(99kg)まで変動していた[1][2][3]。しかし、公式で記載されている体重は216ポンド(98kg)である[4][5][6]
  2. ^ 1990年2月14日のオーランド・マジック戦の試合前にユニフォームを盗まれ[7]、その日ジョーダンは1試合だけ急遽空いていた番号の12番を付けて出場し、マジックに敗戦しながらも49得点を記録した[8]

出典

  1. ^ 1986年、当時のプレーオフ記録となる63得点を上げたジョーダンに、対戦したボストン・セルティックスラリー・バードは、試合後に"God disguised as Michael Jordan."(彼はマイケル・ジョーダンの姿をした神だ)と述べている。なおジョーダンを「バスケットボールの神様」と呼称するのはアメリカでは一般的ではない。
  2. ^ 現在は金属類のアクセサリーは禁止されている
  3. ^ この時指名されたのはサム・ブーイ
  4. ^ この癖は、彼の祖父が車の修理をするときによく舌を出しながら作業していたことに影響されてのものである。
  1. ^ Telander, Rick (February 14, 2018). “Michael Jordan Put on a Helluva Show at '88 All-Star Weekend”. Slam. https://www.slamonline.com/nba/michael-jordan-1988-all-star/ 2020年11月30日閲覧。. 
  2. ^ Quinn, Sam (2020年5月11日). “How Michael Jordan bulked up to outmuscle Pistons, win first NBA championship with Bulls”. CBS Sports. 2020年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月21日閲覧。
  3. ^ Thompson, Wright. "Michael Jordan Has Not Left the Building", ESPN The Magazine, (2013年2月22日) 2020年2月9日閲覧。
  4. ^ Michael Jordan Info Page”. NBA. 2010年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月21日閲覧。
  5. ^ a b Michael Jordan Bio”. NBA. 2006年9月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月21日閲覧。
  6. ^ Chicago Bulls: Historical”. NBA. p. 362. 2012年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月17日閲覧。
  7. ^ Strauss, Chris. "The greatest No. 12 that no one is talking about", USA Today, (2012年12月12日) 2012年12月12日閲覧。
  8. ^ Smith, Sam (February 15, 1990). "Magic has the Bulls' number: Catledge leads rally; Jordan scores 49 points", Chicago Tribune, p. A1.
  9. ^ Rein, Kotler and Shields, p. 173.
  10. ^ ジョーダンが109億円寄付で黒人コミュニティ支援「人種差別が根絶されるまで…」
  11. ^ The Inside Story Of How Michael Jordan Became The World's Richest Athlete Forbes com. 2020年6月3日閲覧。
  12. ^ qtd. in Lazenby, Roland. "Michaelangelo: Portrait of a Champion". Michael Jordan: The Ultimate Career Tribute. Bannockburn, Illinois: H&S Media, 1999. p. 128.
  13. ^ Michael Jordan says his title winning shot in 1982 was the birth of Michael Jordan”. ESPN.com (2016年4月4日). 2021年5月26日閲覧。
  14. ^ a b c d Michael Jordan Stats”. Basketball Reference. 2020年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月21日閲覧。
  15. ^ James Jordan: shock and sadness follow shooting of Michael Jordan's father”. findarticles.com (1993年8月30日). 2012年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月20日閲覧。
  16. ^ Mike Kahn (1999年9月29日). “Midwest teams prove powerful in the '90s”. CBSスポーツ. 2011年6月20日閲覧。
  17. ^ a b c d 日刊スポーツ 1994年1月28日
  18. ^ ニック・アンダーソンがマイケル・ジョーダンから奪った“歴史的スティール”を振り返る”. スポーティングニューズ (2020年5月8日). 2022年5月25日閲覧。
  19. ^ Flashback: 20 years ago today, Anderson forces MJ back to No. 23”. ESPN (2015年5月8日). 2022年5月25日閲覧。
  20. ^ Kruger, pp. 55–56, 59.
  21. ^ Wise, Mike (January 19, 2002). "Pro Basketball; It's Bitter In Chicago For Jordan". The New York Times. Retrieved June 5, 2016.
  22. ^ Wise, Mike (January 21, 1999). "Pro Basketball; The Business Of Basketball Now Begins In Earnest". The New York Times. Retrieved June 5, 2016.
  23. ^ a b c Regular Season Records: Points”. NBA.com. 2013年4月27日閲覧。
  24. ^ タイ記録
  25. ^ Jordan becomes first 40-year-old to score 40”. espn.com (2003年2月21日). 2013年4月27日閲覧。
  26. ^ Playoff Records: Points - Game”. NBA.com. 2013年4月27日閲覧。
  27. ^ a b c d “Jordan Adds Most Valuable Player Award to Honors”. The Washington Post: p. D8. (1988年5月26日) 
  28. ^ Associated Press (March 17, 2010). "Jordan purchase of Bobcats approved". ESPN. Retrieved March 17, 2010.
  29. ^ “米大統領自由勲章にデニーロさん”. 共同通信 47NEWS. (2016年11月17日). https://nordot.app/171754995940409350?c=39546741839462401 2016年11月17日閲覧。 
  30. ^ “マイケル・ジョーダン氏が再婚”. AFPBB News. (2013年4月29日). https://www.afpbb.com/articles/-/2941349 2024年3月14日閲覧。 
  31. ^ M・ジョーダン氏、モデルと婚約!/NBA”. sanspo.com (2011年12月31日). 2011年12月31日閲覧。
  32. ^ Michael Jordan marries longtime girlfriend”. シカゴ・トリビューン (2013年4月27日). 2013年6月2日閲覧。
  33. ^ Fancy Pants Homes.com”. 2024年4月20日閲覧。
  34. ^ 事件当時は日本未発売だった。2005年8月にようやく日本でも発売された。
  35. ^ Corey Nachman (2011年4月22日). “The Jordan Conspiracy Theory”. businessinsider.com. 2013年6月2日閲覧。
  36. ^ Why did Michael Jordan choose No. 23?”. コムキャスト・スポーツネット (2013年11月14日). 2015年8月4日閲覧。
  37. ^ Team-by-team retired jersey numbers”. nba.com (2011年9月25日). 2019年7月9日閲覧。
  38. ^ Chris Chase (2013年2月18日). “Michael Jordan shatters backboard in 1985 exhibition”. USAトゥデイ. 2022年5月30日閲覧。
  39. ^ NBAスター、マイケル・ジョーダンがEスポーツ会社の2600万ドル投資ラウンドをリード TechCrunch Japan,2018年10月26日
  40. ^ バスケ界の“神”マイケル・ジョーダンがレース界に進出! 新チーム立ち上げNASCARに挑む「黒人の門戸を開くチャンス」”. jp.motorsport.com. 2020年9月22日閲覧。






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