ブーマー・ウェルズ 人物

ブーマー・ウェルズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 20:19 UTC 版)

人物

本拠地である西宮球場の試合日に娘を連れてくることがあり、肩に小さな娘をちょこんと乗せて球場を出入りする姿がしばしば目撃されている。恐妻家で1日の小遣いが2,000円に限定されており、その中から食事代を出さねばならないため、食事はフライドチキンとうどんばかりだったという。見かねた上田利治監督が「たまには牛も食わんとあかん」と、ステーキを何度もご馳走し、公私にわたって面倒を見たという。阪急では外国人選手といえどもタクシー送迎などの特別待遇はなく、神戸の自宅から阪急電車を利用して球場へ通っていたが、電車の扉が本人にとっては低すぎ、扉を「くぐって」電車に乗り込んでいたという。阪急電鉄からは乗車証(無料パス)をもらっていたが、(特に機嫌のいい時は)自動改札は通らずに有人改札を「顔パス」で通行することが多かった。

NPB公認の「選手名鑑」の「癖」の欄には、「時々、奇声を発する」などと書かれていた[19]。また、その巨漢ぶりと強打者ぶりから「怪人」とも称された。

公称の身長・体重は200cm・100kgであり、BMIも25.0と飛び抜けた数値ではなかったが、落合信子によるとスラッガーらしい大兵肥満であったという[20]

来日当初は、前述の通り膝を手術したばかりだったこともあり、当時は一般的だった和式便器の使用に難儀したという。本拠地の西宮球場には洋式便器があったため何とかなったものの、地方遠征の際には球場内の洋式便器を探し回ることも多く、本人も「早めに見つけないと、プレーにも集中できなかった」と語るほどだった[3]

1986年の近鉄バファローズ戦で小野和義から死球を受けた際に、マウンド付近で大暴れして退場処分となったが、直後に相手チーム捕手梨田昌孝に謝罪し、握手を交わしてからベンチに下がっている。同シーンは後々まで、テレビ番組『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』(フジテレビ)などでも取り上げられた。別の試合(平和台野球場で開催された阪急主催のロッテオリオンズとのナイトゲーム[21])で、死球後に相手投手のいるマウンドを目掛けて走るシーンは湿布薬(パスタイム)のCMにも使われ、本人もそのままCM出演を果たしている。CMは死球を受けてから薬局に駆け込み、「パスタイム下さい!」と訴え、受け取ると「阪急ベリーマッチ!」と答えるというものだった。ただ、セ・リーグパ・リーグの人気格差から、同じくCM出演を果たした外国人選手のバースには出演料で10倍近くもの差を付けられていた。それでも本人は、阪急に育ててもらった恩から敢えて年俸がより高いセ・リーグには移籍しなかった。1987年西武ライオンズ戦で渡辺久信から死球を受け、その際に土井正博コーチがなだめると、突然殴りかかろうとし、乱闘になりかけた[22]

またサインを書く際には、サインの下に「ブーマー」とカタカナで署名し、またファンによるサインの求めを決して断らず、ダイエーホークスへの移籍後も、平和台球場の前でファンの求めに応じて試合後も長く居残ってサインする姿が見られた。現在でも日本語でサインを書けるという[5]

阪急ブレーブスへの愛着は人一倍強く、球団がオリックスに譲渡された当初は「本拠地も西宮球場のままだし、オリックスの青いユニフォームは好きだったし、別に違いは感じなかった」というが、段々と阪急色を一掃していくオリックス球団や、上田監督の後任となった土井正三には不満も多かった。ミーティングが長く、拘束時間が長くなったことが不満だったという。

4番を外されたことについては、「土井監督は私に敬意を払わなかった」とコメントし、ダイエーへの移籍の要因となったと語っており、「おかげでチームも勝てなくなり、ファンも離れていった」と語っている[5]。オリックスになってミールマネー(食事代)が廃止されて小遣いが減り(領収書で対応)、本拠地がグリーンスタジアム神戸に移転してからは、電鉄会社オーナー球団ではなくなったことから地下鉄では「顔パス」が通用せず、実費で乗車しないといけなくなったことが不満だったという[23]

また、「オリックス・ブルーウェーブ」としての初の公式戦に、わざと「ブレーブス」のロゴのユニフォームを着てプレーしてみせたが、当初誰も気がつかなかった。ただし神戸は大好きな街だったという。


  1. ^ a b c d e f ブーマー 外国人初の三冠王に輝いた“ブームを呼ぶ男”/プロ野球1980年代の名選手 週刊ベースボールONLINE 2019年4月28日(日) 11:05 (2022年9月19日閲覧)
  2. ^ a b c d 福本豊『阪急ブレーブス 光を超えた影法師』ベースボール・マガジン社、2014年、pp.170 - 172
  3. ^ a b 「正直、日本には来たくなかった」 泣く泣くNPBへ…レジェンド助っ人が絶望した“敵” - Full-Count・2023年8月17日
  4. ^ 阪急も1975年のプレーオフで上田監督が投手の山口高志が打ち込まれたとき捕手を中沢伸二から河村健一郎に交代したことがある。
  5. ^ a b c d e f g h i 『阪急ブレーブス黄金の歴史 よみがえる勇者の記憶』ベースボール・マガジン社、P78-P79
  6. ^ 【野球】子年のプロ野球 巨人&オリックスに縁起よし?”. デイリースポーツ online (2020年1月5日). 2022年6月23日閲覧。
  7. ^ 120602 LEGEND OF Bs 2012 阪急ブレーブスOB ブーマー トークショー
  8. ^ 三冠王ブーマー語る「日本では良い思い出ばかりだ」週刊ベースボール 2015年6月16日
  9. ^ 外国人選手初の三冠王、NPB最強右打者ブーマーが過小評価された理由とは?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE
  10. ^ 朝日新聞1992年5月1日23面
  11. ^ 引退後21年を経過した者を対象とする「エキスパート部門」の選出対象資格は現在も有している。野球殿堂_(日本)#競技者表彰を参照。
  12. ^ ブーマーはなぜ選ばれなかったのか?殿堂の意義を歪める「感情」と「偏見」。Number 2012年1月24日
  13. ^ 週刊ベースボール2015年6月22日号25頁
  14. ^ “オリックス戦でブーマー氏登場にどよめき ボール届かず苦笑いも人気変わらずファンから歓声”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年8月3日). https://www.daily.co.jp/baseball/2023/08/03/0016658772.shtml 2023年8月3日閲覧。 
  15. ^ 日本野球機構 |歴代最高記録
  16. ^ 文春文庫ビジュアル版『助っ人列伝』(Sports Graphic Number編)
  17. ^ 週刊現代、2012年4月7日号 P165
  18. ^ ボーアよ バースまねろ!浜風に逆らうな左方向へ打て!掛布氏が新助っ人に金言”. デイリースポーツ online (2019年12月22日). 2022年8月14日閲覧。
  19. ^ 『'88 プロ野球選手写真名鑑』日刊スポーツ出版社、1988年、p20
  20. ^ 週刊現代2020年5月16日号、1985年、ロッテ・落合博満が打ちまくったあの年、152頁
  21. ^ 1984年8月14日からの3連戦
  22. ^ (2ページ目)「ウッズ」「ブーマー」が大激怒! 両軍がベンチを飛び出す“乱闘”を誘発した「余計な一言」 | デイリー新潮
  23. ^ 『プロ野球もうひとつの攻防 「選手vsフロント」の現場』井箟重慶:著、角川SSC新書、2013年、p168
  24. ^ クイズ☆タレント名鑑 愛と気合の2時間SP 2011-2-20放送






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