ブータン 外交関係

ブータン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/12 09:22 UTC 版)

外交関係

非同盟中立政策をとり、国際連合安全保障理事会常任理事国のいずれとも外交関係を持っていない[14]。2016年の時点で52カ国、そして欧州連合との間に外交関係を有している[14]。域内外交関係に注力し、南アジア地域協力連合の原加盟国であり、アジア協力対話多面的技術経済協力のためのベンガル湾構想英語版に参加している。1971年には国際連合に加盟している[14]

中国との関係

2016年時点において国交は樹立していないが[14]、事実上の領事館が香港マカオにある。1971年にアルバニア決議に賛成しているように一つの中国政策の支持を明言しており[15][16][17]中華民国(台湾)とも国交を持っていない。1974年には中国政府の代表がジグミ・シンゲ・ワンチュク国王の戴冠式に出席した[18]。1984年から定期的な協議を行い[19]、ブータンの外務大臣も中国を度々訪問しており[20][21]、1998年に中国とブータンは国境地帯の平和安定維持協定を締結している[22][23]

北部から西部にかけてのガサ・ティンプー・パロ・ハの4県で中華人民共和国(西蔵自治区日喀則市の亜東県・康馬県、山南市の浪卡子県・洛扎県)と接し、帯状の係争地がある[24]。ドクラム高原は紛争地の最南端に位置する[24]。1990年代以降、中国が係争地の内部に道路、基地の建設をすすめるなどの形で紛争が顕在化。2000年代に入り、ブータン領域内において中国が道路建設を行い軍及び民間人の越境行為が行われたことから、ブータン政府が抗議を行っている。中国の越境行為冬虫夏草の採集がその一因と見られている。ブータン政府は協定の遵守を求め、折衝を行っている[25][26]。なお2014年9月時点での中国との関係について、首相のツェリン・トブゲはNHKの取材に対し、「両国関係は友好的であり良好」との見解を示している。また、国境画定作業が進行中であることも明らかにした[27]。2017年6月28日、ブータンの駐インド大使ナムギャルは、「中国人民解放軍が最近、ドクラムにあるブータン陸軍の兵舎に向かう道路の建設を始めた」として、中国側に抗議した[24]

インドとの関係

英領インドとの条約に、「内政は不干渉、外交には助言を与える」という文言が存在し、1949年のインド・ブータン条約英語版にその文言が継承され、多額の補助金がブータンに付与されていたため、インドの保護国的な印象を受ける。しかし、公的には1907年をもって国家成立としている。また、2007年3月の条約改定で、「外交への助言」についての文言が「相互協力関係の維持及び拡大」をうたうものに差し替えられるなど、現状に合わせた新たな規定が定められた。

ブータンとインドは相互の国民が、お互いの国を観光するときにビザ等必要なく、身分証明書のみでよい。また、ブータン国民がインド国内で就労する際に法的規制はない。

日本との関係

  • 1957年、大阪府立大学助教授(当時)の中尾佐助が、お忍びで京都を訪れていた当時の王妃に直談判し、翌1958年、日本人として初めて入国を許された[28]
  • 1964年当時のブータンの農業の収穫は非常に少ないもので、状況を改善すべく、海外技術協力事業団(現・国際協力機構)は農業技術者として西岡京治を派遣、彼はブータンの環境が日本の農業技術使用に適合している事を発見し、翌年の1965年には多くの収穫を得る事に成功。その後もブータン農業の改善に尽くした事から西岡は1980年に国王から「ダショー(最高の人)」の称号を授与され、1992年に没するまでブータンで仕事を続けた。外国人としては初の国葬で葬られ、現在も「ブータン農業の父」として敬われている。
  • 1971年のブータン国連加盟の際、日本は共同提案国となり黙示的な国家承認を行った[14]
  • 1986年の外交関係樹立以来、日本とブータンの関係は、皇室・王室間の交流、経済協力等を通じて友好関係にある。また、日本人とブータン人は、外見が非常に良く似ているとされる。ブータンは大の親日国として知られ、その為、国際機関での選挙・決議等において常に日本を支持する重要な支援国でもある(安保理改革に関するG4枠組み決議案の共同提案国、国連人権委員会等)[29]
  • 1988年以降、青年海外協力隊が派遣されている。
  • 1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が、昭和天皇大喪の礼参列のため、民族衣装」の礼服姿で数人の供を連れて来日、自国も1ヶ月間喪に服す。
  • 2008年4月10日、日本サッカー協会サッカーブータン代表監督として行徳浩二を派遣すると発表した。アジア各国・地域へ指導者らを派遣する貢献事業の一環で、ブータン協会から要請を受けた。契約期間は2009年1月末まで。2010年10月からは行徳に代わって松山博明が監督に就任した。
  • 2010年9月から1年間、ブータン政府GNHコミッションに首相フェロー第1号として御手洗瑞子が勤める[30]
  • 2011年3月12日 東日本大震災の翌日に国王主催の「供養祭」が挙行され、18日には義援金100万ドルが、日本に贈られた。
  • 2011年11月15日ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が結婚したばかりのジェツン・ペマ王妃とともに震災後初の国賓として来日、被災地のほか、東京国会議事堂衆議院本会議場での演説・京都などを訪れた。

領土問題

北部が中国の領土にされる前のブータン。北部が北側に出ている。2006年より前の国境
北部が中国の領土にされた後のブータン。2006年の新国境線

国土面積は、従来約46,500km2であったが、2006年に発表した新国境線では、北部の多くが中国領と主張されているため、約38,400km2にまで減少した[31]。国境線をめぐる問題が長期化している(領土問題も参照)。


注釈

  1. ^ 行政の中心として、また、宗教活動の中心であった。ゾンはあるものは非常に大きく、またあるものは小さいなど規模の面で多様であった。また、その建設立地は外敵からの攻撃に対して人々が防衛しやすいものであった。ゾンは谷に突き出していて一面の眺望を得られる場所や、片面が川になっている岸壁の上もしくは急峻な山腹、あるいは尾根に意図的に建設された[13]
  2. ^ シッキム王国はもともとはチベット系民族が主導権を握る国家であったが、ネパール系の移民が急増した結果として両者の人口比率が逆転し、それが王国の崩壊とインドへの併合の遠因となったとみなされている。

出典

  1. ^ Bhutan” (英語). ザ・ワールド・ファクトブック. 2022年8月21日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g World Economic Outlook Database, October 2021” (英語). IMF (2021年10月). 2021年11月10日閲覧。
  3. ^ Frequently Asked Questions”. Royal Monetary Authority of Bhutan. 2021年4月18日閲覧。
  4. ^ ブータン王国教育省教育部 2008 pp. 16-19.
  5. ^ a b c 朝日新聞社中央調査会 1942, p. 276.
  6. ^ a b JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03050965100、各国内政関係雑纂/英領印度ノ部 第一巻(外務省外交史料館)、1910年、5頁
  7. ^ JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03050965100、各国内政関係雑纂/英領印度ノ部 第一巻(外務省外交史料館)、1910年、6頁
  8. ^ 朝日新聞社中央調査会 1942, p. 277.
  9. ^ a b 今枝由郎. “仏教王と戦争 ---ブータン第四代国王による2003年アッサム・ゲリラ国外追撃作戦-- (PDF)”. 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所. 2019年4月17日閲覧。
  10. ^ ブータン全土でロックダウン開始”. JETRO (2020年8月19日). 2020年12月29日閲覧。
  11. ^ ブータン王国教育省教育部 2008 p. 123.
  12. ^ Tshering Tobgay unanimously elected as PM-electBBS、2013年7月19日(2014年1月5日閲覧)
  13. ^ ブータン王国教育省教育部 2008 p. 76.
  14. ^ a b c d e ブータン基礎データ”. 外務省. 2016年6月12日閲覧。
  15. ^ Ananth Krishnan (2012年6月22日). “China, Bhutan 'ready' to establish diplomatic ties” (英語). The Hindu. 2018年1月31日閲覧。
  16. ^ Anuradha Sharma (2012年6月27日). “India Keeps Close Eye on China's Courtship of Bhutan” (英語). World Politics Review. 2018年1月31日閲覧。
  17. ^ China and Bhutan Hold 23rd Round of Talks on Boundary Issue” (英語). 中华人民共和国外交部 (2015年8月27日). 2018年1月31日閲覧。
  18. ^ John W. Garver (2019-04-17). Protracted Contest. UNIVERSITY OF WASHINGTON PRESS. p. 189. https://books.google.de/books?id=TOVaMckcO0MC&pg=PA180&dq=%22Dong+Biwu,+the+acting+president+of+the+PRC%22&hl=en&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=%22Dong%20Biwu%2C%20the%20acting%20president%20of%20the%20PRC%22&f=false 
  19. ^ Bhutan can solve its border problem with China – if India lets it”. サウスチャイナ・モーニング・ポスト (2017年7月22日). 2018年1月31日閲覧。
  20. ^ Yang Jiechi Meets with Foreign Minister Rinzin Dorje of Bhutan”. 中华人民共和国外交部 (2014年7月28日). 2018年1月31日閲覧。
  21. ^ Establishing China-Bhutan ties benefits regional stability: Chinese FM”. 新華社 (2016年8月15日). 2018年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月31日閲覧。
  22. ^ 2010年度「中国の国防」白書(全文)”. 中国網 (2015年8月27日). 2018年1月31日閲覧。
  23. ^ Balaji, Mohan (2008年1月12日). “In Bhutan, China and India collide”. Asia Times Online. 2016年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月31日閲覧。
  24. ^ a b c 産経新聞2017年6月30日(金),朝刊
  25. ^ Ugyen Penjore (2010年1月14日). “Joint field survey next on agenda” (英語). Kuensel Newspaper. 2011年10月8日閲覧。
  26. ^ Rinzin Wangchuk; Ugyen Penjore (2009年12月7日). “Border talks proposed for January 2010” (英語). Kuensel Newspaper. 2011年10月8日閲覧。
  27. ^ Bhutan's Balancing Act: Tshering Tobgay, Prime Minister of Bhutan” (英語). NHK WORLD (2014年9月11日). 2014年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月20日閲覧。
  28. ^ “【産経抄】11月15日”. MSN産経ニュース. (2011年11月15日). オリジナルの2011-14時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111114194642/http://sankei.jp.msn.com/world/news/111115/asi11111502530002-n1.htm 2019年4月17日閲覧。 
  29. ^ 外務省南西アジア課 (2010年12月). “最近のブータン情勢と日本・ブータン関係”. 外務省. 2012年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月8日閲覧。
  30. ^ 御手洗瑞子『ブータン、これでいいのだ』新潮社、2012年、65ページ。
  31. ^ 河添恵子「中国に侵蝕されるブータン王国」『月刊WiLL』、ワック・マガジンズ、2010年11月。 [要ページ番号]
  32. ^ “中印、「一帯一路」巡り摩擦 国境ドクラム高原、1カ月にらみ合い”. 『日本経済新聞』朝刊. (2017年7月20日). http://www.nikkei.com/article/DGKKASGM19H5B_Z10C17A7FF1000/ 
  33. ^ 地域と行政区”. 日本ブータン友好協会. 2022年3月30日閲覧。
  34. ^ Poverty in Asia and the Pacific: An Update (PDF)”. アジア開発銀行. 2015年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月17日閲覧。
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  40. ^ “「幸福の王国」ブータンで苦しむ若者たち”. AFPBB News (AFPBB). (2013年6月26日). http://www.afpbb.com/articles/-/2952394?pid=10955957 2014年6月1日閲覧。 
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  43. ^ (みちのものがたり)マツタケ街道 ブータン あぁ!驚くほどの声が出た:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル. 2021年8月2日閲覧。
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  45. ^ The Disappearing Practice of Polyandry”. New Bhutan Times. 2018年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月17日閲覧。
  46. ^ 7 things you never knew about Bhutan、Asia One, Sep 8, 2017.
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  48. ^ 中尾佐助 『中尾佐助著作集 第Ⅵ巻 照葉樹林文化論』北海道大学出版会、2006年2月25日、545-546頁。 
  49. ^ ブータン衣食住(日本ブータン友好協会)”. 2011年11月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年6月26日閲覧。






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