ブラックバーン バッカニア
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運用
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イギリス海軍
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長期間の実用テストを経て1961年からスーパーマリン シミターと交代する形で部隊配備が開始された。最初の量産型であるS.1にはデハビランド製ジャイロン・ジュニアエンジンが搭載されたが、出力不足が問題で武装と燃料を満載した状態では航空母艦から発進することができず、燃料を半分まで減らして運用するという制約があった。
1963年に初飛行したS.2ではロールス・ロイス製スペイエンジンが採用され、これらの問題を解決した。S.1は1966年11月までにS.2と交代した。乗せられた空母はヴィクトリアスやハーミーズ、イーグル、アーク・ロイヤルなど多岐に及ぶ。
1978年にイギリス最後のCTOL空母であるアーク・ロイヤルが退役したため、イギリス海軍からバッカニアは退役し、残存機はすべて空軍に移管された。
イギリス空軍
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陳腐化したキャンベラ軽爆撃機の後継機であるBAC TSR-2の開発が1965年に労働党政権により中止され、さらにその代替機とされたF-111Kの導入も財政難を理由に中止された結果、1968年から空軍にも配備されるようになった。その後、イギリス海軍は航空母艦の全廃を決定し、CTOL空母を運用しなくなったため、海軍に配備されたバッカニアは全て改修されて空軍に移管された。
優秀な低空飛行性能を持つバッカニアは、アメリカ空軍をはじめとするNATO諸国との演習においても一目置かれる存在であった。しかし、1979年と1980年に発生した墜落事故の結果、実に3分の2の機体で主翼の前桁に亀裂が生じていることが判明した。12Gまで耐えられる頑丈な設計のバッカニアも、機体に大きな負担がかかる長年の低空任務で損傷していたのである。この結果、修理とコストが見合わないと判断された一部の機体が退役し、バッカニアの機数は減少することとなった。
1978年には一部のバッカニアS.2Bが左舷内側ハードポイントにAN/ASQ-153(E) ペイブ・スパイク照準ポッドを搭載できるように改修された。尚、照準用のテレビ画像装置はAJ.168マーテルTV誘導ミサイル用の物が流用された[7]。
英軍のバッカニアの最初で最後の実戦参加は1991年に勃発した湾岸戦争(グランビィ作戦)であり、第12飛行隊と第208飛行隊から派遣された12機のバッカニアがトーネード IDSが投弾したレーザー誘導爆弾を誘導する任務に就いた[7][注 11]。同戦争におけるイギリス空軍のレーザー誘導爆弾投下任務では、レーザー照射を行うバッカニア1機とレーザー誘導爆弾を携行投下するトーネード2機の編隊が2個編成される6機編隊で作戦行動を行った[7]。
低空での危険な行動が多かったものの、参加した12機は合計226回もの任務を全うし全機が帰還した。湾岸戦争後の1994年3月31日に、バッカニアは長い現役生活に終止符を打ち退役した。
南アフリカ空軍
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南アフリカ空軍 (South African Air Force) は、イギリス以外で唯一バッカニアを導入した国である。1963年に16機のS.50を導入する契約を交わし、1965年から導入された機体は第24飛行隊 (24 Squadron SAAF) に配備された[8]。
バッカニアS.50は、基本的にはバッカニアS.2に準じた機体であるが、主翼の油圧式折り畳み機構を撤去するとともに、高温高地での運用に備えて後部胴体にブリストル・シドレー BS.605 離陸補助用ロケットエンジンを搭載した[2]。
バッカニアは後の1960年代後半~80年代にかけての南アフリカ国境戦争や、アンゴラ内戦への介入においても、その航続距離と低空侵攻能力を活かして、南アフリカ空軍の対地攻撃機の主力の一角であり続けた。
契約では16機のほかに14機のオプションを持っていたが、労働党政権が人種隔離政策を行う南アフリカへの輸出規制を行ったために14機のオプションは行使されず、国連決議による武器輸出禁止によって予備部品も入手できない状況となった。1978年のアンゴラとの紛争において初の実戦参加を行うが、事故などの損耗によりこの時点での残存機は6機であった。1988年12月にアンゴラおよびキューバとの和平条約が調印されたが、最後の出撃は同年5月、退役時の残存機は4機で、9機が事故で失われたことになる。
1991年に退役し、同時に配備部隊である第24飛行隊も解散した[8]。
また、南アフリカではジェット戦闘機の体験飛行を行うサンダーシティでライトニングやホーカー ハンターと共に乗ることができる[9][10]。
注釈
- ^ なお1940年代にブリュースター社が開発した艦上爆撃機SB2Aもバッカニアの愛称を持つが、イギリス海軍が採用したModel 340-14はバーミューダと命名されている。
- ^ この時期、ホーカー・シドレーはデ・ハビランドとフォーランドを買収したほか、子会社のグロスターやアブロ、アームストロング・ホイットワースも吸収合併している。
- ^ この後しばらくのあいだ旧ブラックバーンはホーカー・シドレー ブラックバーン部門(Hawker Blackburn Division)とされており「ブラックバーン」のブランド名を使っていたが、1963年7月1日以降は(他の子会社や買収企業を含めて)ホーカー・シドレーのブランド名で統一される[2]。
- ^ 2隻の空母の間で相互の艦載機を発艦・着艦させる訓練。
- ^ トーネード用に開発されていた電子機器を搭載して飛行し空中試験を行なう機体に選定された。
- ^ 同時期に空軍が開発していたカウンターパートのBAC TSR-2も、ほぼ同様の理由で吹き出し式フラップを装備しているが、主翼後縁のみである。
- ^ アメリカ製の艦上戦闘機であるF-4ファントムIIも、同様の目的で水平尾翼前縁にスラットを設けている(英空軍仕様のファントムFGR.2や、西ドイツ空軍仕様のF-4F、米空軍仕様のF-4C/Dなど、水平尾翼前縁にスラットを設置していない機種も存在する)
- ^ 1978年にイギリス最後のCTOL空母「アーク・ロイヤル」が退役する以前のイギリス海軍の艦上ジェット機でリヒートを搭載していたのは、ファントムFG.1のみである。
- ^ 実際にはほとんど使用されず、酸化剤に過酸化水素を使うこともあって、後にすべて撤去された[4]。
- ^ 同種の爆弾倉は、アメリカのマーティン XB-51や、イングリッシュ・エレクトリック キャンベラをライセンス生産したB-57で採用された(オリジナルのイギリス製は、従来式の爆弾倉を使用)。
- ^ トーネードGR.1用の照準ポッドであるTIALDが開発中であったため[7]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k Thunder & Lightnings. “Blackburn Buccaneer History” (英語). 2020年12月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l BAE SYSTEMS. “Blackburn Buccaneer” (英語). 2019年11月13日閲覧。
- ^ Yorkshire AIR Museum. “Blackburn Buccaneer S.2” (英語). 2021年1月14日閲覧。
- ^ a b c 24 SQN Buccaneers NPC. “Bucc Specs” (英語). 2020年12月10日閲覧。
- ^ a b FLEET AIR ARM MUSEUM. “Blackburn Buccaneer S1” (英語). 2020年12月10日閲覧。
- ^ a b FLEET AIR ARM MUSEUM. “Hawker Siddeley Buccaneer S2B” (英語). 2020年12月10日閲覧。
- ^ a b c d “Pave Spike in Granby - System background” (2004年10月9日). 2011年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月8日閲覧。
- ^ a b The South African Air Force. “24 Squadron” (英語). 2019年11月19日閲覧。
- ^ 戦闘機 飛行機 超音速体験
- ^ Fly a British Fighter Jet Over Thunder City, Cape Town
固有名詞の分類
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