ファニー・ガール キャスト

ファニー・ガール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 14:20 UTC 版)

キャスト

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制作

発展

ファニー・ブライスの半生および恋愛を基にしている。

当初、イソベル・レナート英語版は、ファニー・ブライスの義理の息子のレイ・スタークのプロデュースによるドラマ映画My Man』として脚本を執筆していた。興味を示す映画会社はなかったが、ヴィンセント・ドンヒューは舞台でのミュージカルに作り替えることを提案した[9]。レナートは舞台用に脚本を作り替え、バーブラ・ストライサンド主演のブロードウェイ・ミュージカル『ファニー・ガール』としてヒットさせた[10]

ストライサンドは映画出演の経験はなかったが、スタークにとってストライサンドが最初で最後のブライス役女優となった。スタークは「バーブラはファニーの一部であり、ファニーはバーブラの一部であると感じ、バーブラ以外にファニー役は考えられなかった」と語っている。しかしコロンビア ピクチャーズの重役はシャーリー・マクレーンをファニー役に希望した[11]。マクレーンとストライサンドは歳は違うが誕生日が同じ親友であり、2人共同じ役の候補になったことに驚いた。スタークはストライサンドを配役しないなら映画化の権利を認めないと主張したため、コロンビアはストライサンドの配役を了承した[12]

マイク・ニコルズジョージ・ロイ・ヒルジーン・ケリーが監督に検討されたが、シドニー・ルメットが契約した。6ヶ月間、製作準備をしていたが、ルメットは方向性の違いにより降板し、ウィリアム・ワイラーが後継した。ワイラーは受賞歴もあるベテラン監督だが、『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)の監督を務めるはずであったが『コレクター』(1965年)を監督するため降板しており、ミュージカル映画の監督経験はなかった。当初、ワイラーは聴力が酷く衰えておりミュージカル映画の監督は困難ではないかと危惧してスタークのオファーを断っていた。熟考の末、ワイラーはスタークに「ベートーヴェンに『英雄』が書けるなら、ウィリアム・ワイラーもミュージカルができるだろう」と語った[12]

ストライサンドはワイラーを知らず、『ベン・ハー』(1959年)でアカデミー監督賞を受賞した監督と聞き、『ベン・ハー』が男性中心の作品であることから「ワイラーは女性とはどうだろう。女優とはうまくやれるだろうか」と語った。ワイラーは『ローマの休日』(1953年)を監督し、それまでほぼ無名であったオードリー・ヘプバーンを抜擢し、アカデミー賞において主演女優賞を含む3部門を受賞していた。ワイラーは「ヘプバーンなしではこの映画は撮れなかった」と語っている。ヘプバーンの情熱はワイラーにベティ・デイヴィスを想起させ、ワイラーはヘプバーンに関して「映画の出演経験がなく、よくいるグラマー・ガールとは異なるため、主役に起用するのはリスクがあった」と語った[12]

配役

本作フィナーレでストライサンドは1921年にブライスがグラミー殿堂賞を受賞した『マイ・マン』を歌う。

スタインはニック・アーンスティン役にフランク・シナトラを希望したが、シナトラは役柄を深め新曲を追加することを条件とした。スタークはシナトラは歳を取り過ぎていると感じ、ケイリー・グラントはシナトラより11歳年上であるがグラントのようにより上品な人物を希望した[10]マーロン・ブランドグレゴリー・ペックショーン・コネリーデビッド・ジャンセンジェームズ・ガーナーが候補者となった。ワイラーはスタジオの食堂で昼食中のエジプト人のオマー・シャリフを見つけ、ユダヤ人のストライサンドの相手役に配役した。イスラエルとエジプトの間の第三次中東戦争が勃発し、スタジオの重役たちはシャリフの降板を検討したが、ワイラーもストライサンドもシャリフを降板させるなら自分も降板すると宣言した。その後、ファニーとニックのラヴシーンのスチール写真がエジプトのメディアで公開され、シャリフの市民権を無効にすることを求める運動が起こった。この問題について尋ねられたストライサンドは「カイロが怒ったと思うか?私のローズ叔母からの手紙を読むといい」と応えた[12]

アン・フランシスが新たな役である「ジーグフェルド・フォリーズ」のコーラスガールのリーダーに配役された[13]

ストライサンドのブロードウェイ・デビュー作『I Can Get It for You Wholesale』で振付を担当した振付師のハーバート・ロスがミュージカル・シーンの演出をした[12]

撮影

1967年7月、リハーサルおよび楽曲の事前収録が開始した[14]。事前収録の間、ストライサンドは納得いくまで何度も撮り直しを要求し、セットでは完璧主義を発揮し、ワイラーと衣裳や映像についてしばしば口論となった。

1967年8月、主要撮影が始まり、12月までに終了した。ストライサンドの最初の撮影はニュージャージー州のもう使用されていない列車停車場で、列車から降りてカメラマンの要求に応じてポーズをとるシーンであった。異なる角度から撮影するためミュージカル曲を何度も歌わねばならず、ストライサンドにとって思っていたより難しかった。『パレードに雨を降らせないで』の空撮は専門家のネルソン・タイラーが特別な装置を開発せねばならなかった[14]。本作公開前、ストライサンドとアン・フランシスの共演シーンを多くカットされ、フランシスはクレジットから自分の名前を削除することを求めたが応じられなかったとされる[12]。のちにストライサンドはいずれのシーンもワイラーにカットを頼んだことはなく、公開版はワイラーの決定によるもので自分の意見が反映されたものではないと語った。フランシスは「バーブラと確執がある訳ではない。しかしあの映画がやったことは『ガス燈』のようなものだった。私を激怒させたのは、私に何も言わずカットした彼らのやり方である。もし彼らが私に礼儀正しければバーブラが気分を害すると恐れたのでしょう」と語った[15]。ブライスを有名にした楽曲「マイ・マン」の撮影は終盤に行なわれた。シャリフはストライサンドの感情を高め、悲壮感を表すのを助けるために撮影現場に訪れた。このシーンは少なくとも10テイク撮影された。スタークは予算を800万ドルとして、壮大なミュージカルの半分の予算で2倍の収益と考えていた[14]

公開

公開に先駆けて、コロンビア・ピクチャーズは宣伝のため「"This Is Streisand"」、「"Barbra in Movieland"」、「"The Look of Funny Girl"」の3本の中編映画を制作した[16]


  1. ^ キャサリン・ヘプバーン冬のライオン)と得票数が同じになったため史上初の2人同時受賞となった[17]
  2. ^ ミア・ファローローズマリーの赤ちゃん)と得票数が同じになったため2人同時受賞となった。
  1. ^ Funny Girl (U)”. British Board of Film Classification (1968年10月3日). 2012年11月17日閲覧。
  2. ^ Funny Girl (1968) - Box office / business” (英語). IMDb. 2011年7月12日閲覧。
  3. ^ Funny Girl (1968)”. The Numbers. 2014年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月9日閲覧。
  4. ^ Daly, Steve (December 18, 2008). “25 Greatest Movie Musicals of All Time!”. Entertainment Weekly (Time). オリジナルのMarch 7, 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160307151108/http://www.ew.com/gallery/25-greatest-movie-musicals-all-time-0#6 2015年12月7日閲覧。. 
  5. ^ Top 50 Musicals”. Film4. Channel 4. 2017年6月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月7日閲覧。
  6. ^ Champion, Lindsay (2014年12月18日). “Pass the Popcorn! Broadway.com Readers Rank the Top 10 Best Movie Musicals of All Time”. Broadway.com. 2015年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月7日閲覧。
  7. ^ With "20,000 Leagues," the National Film Registry Reaches 700”. Library of Congress. 2020年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月2日閲覧。
  8. ^ Complete National Film Registry Listing”. Library of Congress. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月2日閲覧。
  9. ^ Miller, p.377
  10. ^ a b Taylor, Theodore (1979). Jule: The Story of Composer Jule Styne. New York: Random House. pp. 226–249. ISBN 978-0-3944-1296-2 
  11. ^ Pye, Hillier, "Funny Girl" entry
  12. ^ a b c d e f g Funny Girl (1968) – Overview”. Turner Classic Movies. WarnerMedia. 2014年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月23日閲覧。
  13. ^ Scott, Vernon (1967年8月25日). “"Honey West" now in "Funny Girl"”. The News-Dispatch. 2013年10月14日閲覧。
  14. ^ a b c d Barbra Streisand archives”. barbra-archives.com. 2017年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月4日閲覧。
  15. ^ Kleiner, Dick (1968年11月27日). “Knotts Goes Romantic”. The Sumter Daily Item. 2013年10月14日閲覧。
  16. ^ a b c d Barbra Streisand archives Page 2”. Archived copy from barbra-archives.com. 2017年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月20日閲覧。
  17. ^ a b c Basinger, p. 493
  18. ^ Top 20 Films of 1968 by Domestic Revenue”. boxofficereport.com. 2008年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月22日閲覧。
  19. ^ Funny Girl (1968): Awards”. IMDb. 2009年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月1日閲覧。
  20. ^ The 41st Academy Awards | 1969”. Oscars.org. Academy of Motion Picture Arts and Sciences. 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月23日閲覧。
  21. ^ Film in 1970”. British Academy of Film and Television Arts. 2018年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。
  22. ^ Search”. Directors Guild of America. 2021年8月15日閲覧。 Search results with keyword "Funny Girl".
  23. ^ Funny Girl”. Golden Globes. 2017年1月14日閲覧。
  24. ^ Enrique Rivero (2001年9月27日). “At 33, 'Funny Girl' Gets a Makeover”. hive4media.com. 2001年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月29日閲覧。
  25. ^ Antler, Joyce (1998). Talking Back: Images of Jewish Women in American Popular Culture. Lebanon: University Press of New England. pp. 10, 77, 172. ISBN 978-0-8745-1842-9 
  26. ^ Katharine Hepburn and Barbra Streisand Tie for Best Actress: 1969 Oscars”. YouTube. 2023年1月27日閲覧。
  27. ^ AFI'S 100 Greatest Movie Quotes of All Time”. AFI's 100 Years... 100 Movie Quotes. American Film Institute. 2019年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月23日閲覧。
  28. ^ ファニー・ガール - American Film Institute Catalog(英語)






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