ビルマ暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 04:31 UTC 版)
ミャンマー外の派生暦
ビルマ暦には、現在のミャンマー国内だけでなく、国外にもその亜型といえるような暦が存在する。これらは年号の付け方が異なるものの、現在も使用されている。
ラカイン暦(アラカン暦)
ラカイン族(Rakhine people)の伝統によると、ダニャワディ王朝(Dhanyawaddy Dynasty)のトゥリヤ・テータ(Thuriya Thehta)という王が制定したとされるものである。ビルマ暦は19世紀半ば以来タンディクタに移行していたが、少なくとも20世紀初頭までマカランタを適用していた。アラカンの暦では、大閏年のタグ月(Tagu)に閏日が入る[26]。また、アラカンの伝統によると、元日のみが祝祭日となっている[47]。バングラデシュのマグ族は、マギ=サンという名前で現在でもラカイン暦を使っている[26]。
チュラ・サッカラート
ビルマ暦は初め、13世紀半ばに現在のタイ北部で、16世紀後半までにタイ中部でもちいられるようになった。当時ラーンナー、ラーンサーン、アユタヤ王朝、カンボジアなどの諸王国は、西暦638年を紀元とするミャンマーのシステムを採用したが、諸地域ではめいめいの伝統を保持、ないしはその後に独自に修正をした。例えば、ケントゥン暦(Kengtung)、ラーンナー暦、ラーンサーン暦、スコータイ暦では、ビルマ暦が月名と並行して数字で月を表さなくなったにも関わらず、この制度を続用した。
なんにせよ、先述の通り諸地域では独自のナンバリングが行われていたため、このようなことはビルマ暦の導入以前から行われていた可能性がある。ケントゥン暦、ラーンナー暦、ラーンサーン暦、スコータイ暦の最初の月(つまり1月)は、それぞれタザウンモン(カルティカ)[注釈 14]、タディンギュッ(アスヴィナ)[注釈 15]、(ナドー)マーガシーシャ(Margasirsha)である[48]。これは、タイで古文書や碑文を読むには、正しい地域に対して正しく運用されているかどうかだけでなく、他国による侵略によって慣習が変化した場合の地域内での変動そのものにも、常に気を配る必要があることを意味する[37][注釈 16]
同様に、カンボジアとタイのシステムは、12年周期で各年に動物の名前を付ける慣習を保っている[50]。この慣習はパガン朝期のミャンマーにもあったものだが、後に消滅した[40]。
さらに、チュラサカラットはビルマ暦で使われている太陰暦と似ているが同一ではない3種類の暦を使用している[37]。それぞれの暦は、354日の平年と384日の閏年を持つ点は同じである。しかし、ビルマ暦がメトン周期による閏年にのみ閏日を加えるのに対し、シャム暦は通常の年に閏日を加える。ただし、シャム暦は同じタイミング(Jyestha/Nayon)に1日余分に追加している[51]。
暦法 | 通常(日) | 小閏年(日) | 大閏年(日) |
---|---|---|---|
ビルマ暦 | 354 | 384 | 385 |
チュラサッカラト | 354 | 355 | 384 |
最後に、コンバウン王朝が旧来のものよりも年間0.56秒長いタンデイクタに切り替えた19世紀半ばにも、計算方法が分岐した[23]。
タイ暦
中国のシーサンパンナのタイ族のタイ暦は、中国の影響を受けている可能性もあるが、主にはビルマ暦に基づいている[15]。
注釈
- ^ 前432年ギリシアのメトンが発見した朔望月と太陽年の整数倍となる時間のこと、すなわち235朔望月にして19太陽年であり約6940日に相当。太陽年と朔望月による周期であるため、季節と月の満ち欠けがほぼ一致する。
- ^ パガン王朝第20代王(在位:613年 - 640年)。ただしこの時のパガン王朝は一般に知られる11世紀成立の国家をまだ建国していない。
- ^ ビルマ暦の第4月。後述参照。
- ^ ビルマ暦の第3月。後述参照。
- ^ ラオスは1889年3月にフランスの保護領となったが、かつての支配者シャムがそれを認めたのは1893年10月であった[29]。
- ^ 1940年(仏滅紀元2483年)が9月を以て打ち切られ、翌41年以降グレゴリオ暦との誤差が修正されている。グレゴリオ暦との日付のズレはこれによりなくなった一方、紀年法は現在まで異なったままである。詳細はタイ王国#祝祭日を参照。
- ^ 天文時参照。
- ^ 古くはပဟိုရ်と綴った。
- ^ 3時間 = 180分 = 24 * 7.5分
- ^ ビルマの伝統によれば、釈迦はアンジャナサカラージ148年カソン月の満月の日に亡くなったとされている[42]。
- ^ 惑星の位置関係から厳密には638年3月22日11時11分24秒に始まったとされている[43]。
- ^ グレゴリオ暦に対して約23日(31-25+17=23)、ユリウス暦に対して約13日(31-22+4)移動したことになる[44]。
- ^ ビルマ語で「lion」に当たる言葉。
- ^ Tazaungmon (Karttika)
- ^ Thadingyut (Asvina)
- ^ なお、スコータイやラーンサーンでの月の番号と、現在廃れてしまったビルマ暦の月の番号は同じである[49]。
出典
- ^ a b c Irwin 1909: 2
- ^ Htin Aung 1970: 8–9
- ^ Hmannan Vol. 1 2003: 216
- ^ a b Eade 1989: 39
- ^ Hall 1960: 8–10
- ^ Hall 1960: 8
- ^ Aung-Thwin 2005: 35
- ^ Aung-Thwin 2005, p. 334 - 335.
- ^ Htin Aung 1959: 38–39
- ^ a b Oriental 1900: 375–376
- ^ a b Eade 1989: 11
- ^ a b Smith 1966: 11
- ^ Htin Aung 1967: 127
- ^ Eade 1989: 9
- ^ a b c Ohashi 2007: 354–355
- ^ a b Ohashi 2001, p. 398 - 399.
- ^ Chatterjee 1998, p. 151.
- ^ Ohashi 2001, p. 401 - 403.
- ^ a b Ohashi 2001: 398–399
- ^ Irwin 1909, p. 2 - 3.
- ^ a b Eade 1996, p. 17.
- ^ Ohashi 2007, p. 354 - 355.
- ^ a b Irwin 1909: 7
- ^ Eade 1995: 17
- ^ Rong 1986: 70
- ^ a b c d e f Irwin 1909: 2–3
- ^ Clancy (1906:58)
- ^ a b c Irwin 1909: 26–27
- ^ Simms and Simms, 2001 & 204 - 210.
- ^ a b Clancy 1906: 57
- ^ Luce Vol. 2 1970: 327
- ^ a b c d e Clancy 1906: 56–57
- ^ a b c Irwin 1909: 8–9
- ^ Irwin 1909: 5
- ^ Luce Vol. 2 1970: 328
- ^ Eade 1995: 15
- ^ a b c Eade 1989: 9–10
- ^ Chatterjee 1998: 150–151
- ^ Eade 1989: 135–145, 165–175
- ^ a b Luce Vol. 2 1970: 330
- ^ Eade 1995: 23-24
- ^ Kala Vol. 1, 2006 & 38.
- ^ Luce Vol. 2 & 1970 336.
- ^ Eade, 1989 & 39.
- ^ Irwin 1909: 7–8
- ^ Irwin 1909: 10–11
- ^ Parise 2002: 190
- ^ Eade 1995: 28–29
- ^ Eade, 1995 & 28-29.
- ^ Eade 1995: 22
- ^ Eade 1989: 20
ビルマ暦と同じ種類の言葉
- ビルマ暦のページへのリンク