ビルマ暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 04:31 UTC 版)
精度
再三述べた通り、ビルマ暦は太陰暦を使用しながら、太陽年とペースを合わせんとしている。現在のタンデイッタにおける太陽年は、実際の平均太陽年である365.241289日よりも約23分51.43秒進んでいる。先述の通りこれより古いマカランタの方がわずかに正確で、実際の年より23分50.87秒進んでいた[28]。以下にこの2つの体系におけるズレの詳細を示す。
マカランタ | タンデイッタ | |
---|---|---|
19太陽年(メトン周期) | 6939.91625日 | 6939.9163731466日 |
235朔望月 | 6939.687005日 | 6939.68816731日 |
差異 | 0.229245日 | 0.2282058366日 |
19年間で0.0010391634日(89.78371776秒)、つまり1年で約4.72546秒の差が表れることになる。しかし、タンデイッタは、その後より正確な平均朔望月と、朔望月と比べると比較的不正確な太陽年を再定義することでこの差を生んでいるため、錯覚的なものとなっている。下の表は、2体系の太陽年を実際の平均太陽年と比較したものであり、ここから分かる通りタンデイッタはマカランタより1年当たり0.56秒精度が低い[28]。
マカランタ | タンデイッタ | |
---|---|---|
19太陽年の相当日数 | 6939.91625日 | 6939.9163731466日 |
実際の19太陽年の日数 | 6939.601591日 | |
実際の太陽年とのズレ | 0.314659日 | 0.3147821466日 |
1年あたりのズレ | 23.84784分
(1430.8704秒) |
23.85717322分
(1431.430393秒) |
結局どちらのシステムも実際の太陽年よりも年間約24分進んでおり、閏月・閏日の挿入方法はその中での誤差のみを修正し、タンデイクタは各年のずれをわずかに増大させている。この誤差の積み重ねは、638年3月22日(ユリウス暦)の紀元時には春分の日の近くにあった元旦[4]が、現在では2022年4月17日(グレゴリオ暦)となり、23日の差が生じたことを意味する[注釈 12]。ビルマの暦学者はこの問題に対処するため、見かけ上の計算を用い、メトン周期による閏日・閏月挿入の周期を定期的に変更することにしている。この方法の大きな欠点は、数年後以降の暦を発表することが難しいことであり、しばしば1年先までしか発表できないこともある。
注釈
- ^ 前432年ギリシアのメトンが発見した朔望月と太陽年の整数倍となる時間のこと、すなわち235朔望月にして19太陽年であり約6940日に相当。太陽年と朔望月による周期であるため、季節と月の満ち欠けがほぼ一致する。
- ^ パガン王朝第20代王(在位:613年 - 640年)。ただしこの時のパガン王朝は一般に知られる11世紀成立の国家をまだ建国していない。
- ^ ビルマ暦の第4月。後述参照。
- ^ ビルマ暦の第3月。後述参照。
- ^ ラオスは1889年3月にフランスの保護領となったが、かつての支配者シャムがそれを認めたのは1893年10月であった[29]。
- ^ 1940年(仏滅紀元2483年)が9月を以て打ち切られ、翌41年以降グレゴリオ暦との誤差が修正されている。グレゴリオ暦との日付のズレはこれによりなくなった一方、紀年法は現在まで異なったままである。詳細はタイ王国#祝祭日を参照。
- ^ 天文時参照。
- ^ 古くはပဟိုရ်と綴った。
- ^ 3時間 = 180分 = 24 * 7.5分
- ^ ビルマの伝統によれば、釈迦はアンジャナサカラージ148年カソン月の満月の日に亡くなったとされている[42]。
- ^ 惑星の位置関係から厳密には638年3月22日11時11分24秒に始まったとされている[43]。
- ^ グレゴリオ暦に対して約23日(31-25+17=23)、ユリウス暦に対して約13日(31-22+4)移動したことになる[44]。
- ^ ビルマ語で「lion」に当たる言葉。
- ^ Tazaungmon (Karttika)
- ^ Thadingyut (Asvina)
- ^ なお、スコータイやラーンサーンでの月の番号と、現在廃れてしまったビルマ暦の月の番号は同じである[49]。
出典
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