パパパパパフィー 概要

パパパパパフィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 22:05 UTC 版)

概要

PUFFY大貫亜美吉村由美が司会を務めていた深夜番組で、PUFFYの冠番組である。当初は2人がゲストを迎えてもてなすという趣旨で[1]、2人の「ユルさ」をもって自由なスタイルで行うスタジオトーク番組であったが、後期にはロケ企画が大半を占めていた。プロデューサーは『ミュージックステーション』の山本たかおが担当していた。

1996年10月28日放送分のフジテレビの音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』にその週のMUSIC CHAMPとして出演した際に、2人が極度の人見知りのためにあまりに喋らないことを心配したダウンタウン松本人志が、もし将来番組を持ったらというシミュレーションを行った。その際に思いつきで発したタイトルが「パパパパPUFFY」だった。それが1年と経たずに現実化し、思いつきのタイトルがそのまま番組タイトルに使われた。1997年10月8日放送分ではタイトルを使用するにあたってダウンタウンの下へ挨拶をしに行く模様が放送され、その際に2人は『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコーナーに出演したが、本番組でのスタジオ共演は無かった(ロケ企画への出演はあり)。

基本的にはスタジオに歌手や俳優、芸人など多様のゲストが登場してオープニングでPUFFYとともに一曲歌い、ロケのVTRを見てトークをし、ゲストを喜ばせる企画を行うという流れで行われていた。バラエティ番組にはあまり出演しないアーティストが、PUFFYの自由な言動に困惑しつつ、コントや様々な企画を行うのが見所である。また、2人が行ったVTR企画は、過酷な海外ロケ、海外有名人へのインタビューのほか、料理・スポーツ・探検(後述の「ミステリーツアー」や「クエストシリーズ」)・仕事体験など、多岐に及んでいる。

放送時間

ネオバラエティ』枠で一貫して水曜日に放送されていた。後述のスペシャル回については曜日不定で、ゴールデンタイムに放送されることもあった。

  • 水曜 23時25分 - 23時55分(1997年10月1日 - 2000年3月) - 『大相撲ダイジェスト』の放送期間中には放送を休止。
  • 水曜 23時09分 - 23時54分(2000年4月 - 2001年9月) - 『大相撲ダイジェスト』の放送期間中には30分枠で放送。
  • 水曜 23時15分 - 翌0時00分(2001年10月 - 2002年3月27日)

スペシャル放送

  • 97年総集編1時間スペシャル(1998年1月1日)
  • 激レア限定盤 2時間スペシャル(1998年3月21日 19時00分 - 20時54分)
  • パパパパパフィー1周年!秋の激レア限定盤 2時間スペシャル(1998年10月9日 19時00分 - 20時54分)
  • 年末拡大盤 パパパパパフィーカルトクイズ1時間スペシャル(1998年12月29日 19時00分 - 20時54分)
  • 由美ちゃんおめでとう秋の激レア限定盤 2時間生放送スペシャル(1999年4月11日 18時56分 - 20時56分)
  • 祝2周年!激レア限定盤 90分スペシャル(1999年10月11日 20時54分 - 22時24分)
  • 年末拡大盤 55分スペシャル(1999年12月29日 16時00分 - 17時15分)
  • 女だらけの音楽祭!2時間半スペシャル(2000年9月30日 18時28分 - 20時54分)
  • 女だらけの湯けむり忘年会 85分スペシャル(2000年12月29日 22時55分 - 24時20分)
  • 女だらけの音楽祭2001・春 90分スペシャル(2001年3月22日 20時54分 - 22時24分)
  • 真夏の拡大版 90分スペシャル(2001年8月22日 20時54分 - 22時24分) - この回のみレギュラー回にカウントされていた。
  • さよならパパパパパフィー!超豪華保存版 97年10月から4年半…204回全部見せます!(2002年3月31日 19時00分 - 20時54分)
  • 激レア!パパパパパフィー限定復刻盤(2003年12月16日 23時15分 - 24時40分)
  • ドスペ2〜祝・パフィー10周年!パパパパパフィー復刻盤!(2006年6月24日 24時30分 - 25時25分)

  1. ^ ゲストは必ずPUFFYに土産を渡すお約束があるが、一度だけTUBEがゲスト出演した時は罰ゲームの関係でPUFFYが土産を渡した。
  2. ^ トータス松本がPUFFYに『ヒゲのOL薮内笹子』を紹介した放送後、問い合わせが殺到し、しりあがり寿が大ブレイクした。
  3. ^ 同時期に放送開始したテレビ朝日の深夜番組『ぷらちなロンドンブーツ』とコラボレーションし、VTRの前後半を各番組で放送した。
  4. ^ 大貫が『鬼平犯科帳』の大ファンである。
  5. ^ 来日中のエアロスミス横浜アリーナでのコンサートにて、大貫がタイラーに衣装を届けるために舞台に上がった。
  6. ^ 森高が平気で激辛カレーを平らげたのがきっかけで番組内で激辛ブームが起こった。
  7. ^ 大貫は小学生の頃に2年間ソウルに住んでいた。
  8. ^ 当初はロケの予定であったが、現地であまりにPUFFYが人気のため、急遽ホテル内で企画を行うことになった。
  9. ^ 敗者の罰ゲームとして、広島のコンサートで大貫が「モミジマンジュウ」のギャグをやらされた(ライブビデオに収録)。
  10. ^ 富士急ハイランドのコニファーフォレストにて行われた野外ライブ。13000人を集めた。翌年にも開催。
  11. ^ 大運動会の罰ゲーム。
  12. ^ 前回クエストの罰ゲーム。
  13. ^ 大泉は「北海道の大スター」としていつもジャージ姿で登場していた。ジャージは大泉が出演する『水曜どうでしょう』内では「正装」だが、当時同番組は全国的には知られていなかったためにPUFFYに理解されず、毎回進行にテンパる大泉を2人が罵倒するのが恒例だった。なお、制作局・北海道テレビでは、1998年4月から、テレビ朝日の『パパパパパフィー』の枠で『水曜どうでしょう』を放送していた(『パパパパパフィー』は、火曜→木曜に放送)。
  14. ^ バドミントンのチーム名。
  15. ^ 正月放送のボウリング対決の罰ゲーム。
  16. ^ 亜美が扮する白ずくめの占い師。
  17. ^ この回からセットをリニューアル。
  18. ^ 番組プロデューサーの自宅。
  19. ^ アメリカのテキサス州で開催された「SXSW」に出演した模様が放送され、後のPUFFYの全米進出に影響を与えることとなった。
  20. ^ ほか、ボウリング対決の罰ゲームでKiroroが一日ADを務めた。
  21. ^ 前回出演時の対決に敗れた罰ゲーム。
  22. ^ 大貫が左足靭帯断裂により3週間松葉杖で出演。
  23. ^ 新曲「ハリケーン」のバックダンサーを募ってオーディションを行った。ダンサーらはPVにも出演した。






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