バイロイト侯領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 15:02 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2017年10月) |
1604年にブランデンブルク=バイロイト辺境伯クリスティアンが宮廷をクルムバッハからバイロイトに移した後、この地域をまずは「クルムバッハ=バイロイト侯領」、次いで単に「バイロイト侯領」と呼んだのであった。しかし、この侯領の本来の名称は「ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯領」のままであった。
歴史
バイロイト侯領(クルムバッハ侯領)は、ニュルンベルク城伯領の "obergebirgisch"(山の上)部分にあたる。"untergebirgisch"(山の麓)部分と併せてホーエンツォレルン家のフランケン地方における本拠地である城伯領を形成する。1415年(1417年とも)にニュルンベルク城伯フリードリヒ6世は、それまで歴代有していた所領に加えて、世襲の辺境伯領を手に入れた。これよりホーエンツォレルン家は獲得した辺境伯の称号を用いることとなった。1427年に城伯の政庁であった城の帝国自由都市ニュルンベルクへの売却が完了し、国法上「ニュルンベルク城伯」は消滅した。フランケンの領土は、これより、辺境伯領として定着し、これが後に2つの辺境伯領として(当初は一時的なものであったのだが)分割されることとなる。
2つの独立した領邦への最終的な分割は1486年のアルブレヒト・アヒレスの死後に行われた。これは、アルブレヒト・アヒレスが2人の若い息子が領土を分割統治することを定め、1473年に公布したDispositio Achilleaに、その死後に従ったものである。どちらがどの分割部をとるかはくじ引きで決められた。これにより、弟のジークムントが高地地方を得、クルムバッハ侯領(後のバイロイト侯領)を創設したのであった。兄のフリードリヒは低地地方を相続し、アンスバッハ侯領を創設した。
クルムバッハ侯領及びバイロイト侯領は、たびたびアンスバッハ侯領と同君連合の形で統治された(1495年 - 1515年、1557年 - 1603年、1769年 - 1791年)が、神聖ローマ帝国の終焉まで国法上は独立した領邦であった。1791年にアンスバッハ侯領と共にプロイセン王国に編入されると、アンスバッハ=バイロイトとして、カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルクに包括管理されることとなった。フランス革命戦争でのプロイセンの敗北後はフランスに割譲され、とりあえずは軍政管理下に置かれたが、1810年に最終的にバイエルン王国領となった。
歴代辺境伯
ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯(1604年以後はブランデンブルク=バイロイト辺境伯)
- ヨハン(在位:1398年 - 1420年) - ニュルンベルク城伯フリードリヒ5世の息子。フリードリヒは1398年自らの領土を息子たちに分配した。
- フリードリヒ(在位:1420年 - 1440年) - ヨハンの弟。1398年からアンスバッハ辺境伯、1427年までニュルンベルク城伯(フリードリヒ6世)、1412年からブランデンブルク選帝侯(フリードリヒ1世)。
- ヨハン(在位:1440年 - 1457年)
- アルブレヒト・アヒレス(在位:1457年 - 1486年) - 1440年からアンスバッハ辺境伯、1471年からブランデンブルク選帝侯。
- ジークムント(在位:1486年 - 1495年)
- フリードリヒ2世(在位:1495年 - 1515年) - 1486年からアンスバッハ辺境伯
- カジミール(在位:1515年 - 1527年) - アンスバッハ辺境伯
- ゲオルク(在位:1527年 - 1541年) - カジミールの弟。アンスバッハ辺境伯。未成年であった甥アルブレヒト・アルキビアデスの後見として、クルムバッハ侯領を事実上支配した。
- アルブレヒト・アルキビアデス(在位:1527年/1541年 - 1554年) - 1552年に第二次辺境伯戦争を引き起こし、敗れて1554年に国外追放された。以降3年間辺境伯位は空位となった。
- ゲオルク・フリードリヒ(在位:1557年 - 1603年) - 1556年からアンスバッハ辺境伯、1578年からプロイセン摂政。
- クリスティアン(在位:1603年 - 1655年) - 治世初めに宮廷をクルムバッハからバイロイトへ移転させた。
- クリスティアン・エルンスト(在位:1655年 - 1712年)
- ゲオルク・ヴィルヘルム(在位:1712年 - 1726年)
- ゲオルク・フリードリヒ・カール(在位:1726年 - 1735年)
- フリードリヒ3世(在位:1735年 - 1763年)
- フリードリヒ・クリスティアン(在位:1763年 - 1769年)
- クリスティアン・フリードリヒ・カール・アレクサンダー(在位:1769年 - 1791年) - 1757年からブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯。1791年に称号を返上し、アンスバッハ侯領及びバイロイト侯領を終身年金と引き替えにプロイセン王国に売却。愛人で後に妻となるエリーザベト・クラーフェン(1750年 - 1828年)とイギリスに移り住み、1806年に亡くなった。
- 1 バイロイト侯領とは
- 2 バイロイト侯領の概要
- 3 地理
- 4 教育
固有名詞の分類
- バイロイト侯領のページへのリンク