ハントリー侯爵 ハントリー侯爵の概要

ハントリー侯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 03:53 UTC 版)

ハントリー侯爵
Marquess of Huntly
創設時期1599年4月17日
創設者ジェームズ6世
貴族スコットランド貴族
初代6代伯ジョージ・ゴードン英語版
現所有者13代侯グランヴィル・ゴードン英語版
相続人アラステアー・ゴードン英語版
相続資格初代侯の直系の嫡出の男系男子
付随称号
  • アボイン伯爵英語版
  • ゴードン卿
  • メルドラム男爵(uk
邸宅アボイン城英語版
旧邸宅ハントリー城英語版
モットー謀略ではなく勇気を持て
(Animo Non Astutia)
スコットランド貴族筆頭侯爵
(Premier Marquess in Scotland)

1445年創設のハントリー伯爵位を前身とし、1599年に第6代ハントリー伯爵ジョージ・ゴードン英語版が叙されたのに始まる。1684年に4代ハントリー侯爵ジョージ・ゴードンゴードン公爵に叙せられ、一時その従属爵位となったが、ゴードン公爵位は1836年に絶えている。一方ハントリー侯爵位は分流に継承されて現存している。

歴史

現在のハントリー侯爵家の邸宅アボイン城英語版

スコットランドゴードン氏族英語版の長であるアレグザンダー・ゴードン英語版(-1470)は、1445年7月3日スコットランド貴族爵位「ハントリー伯爵(Earl of Huntly)」に叙された[1][2]

2代ハントリー伯ジョージ・ゴードン英語版(-1501年)や、3代ハントリー伯アレグザンダー・ゴードン英語版(-1524)の長男ゴードン卿ジョン・ゴードン英語版(-1517)スコットランド国王ジェームズ4世の娘を妻に迎えている[1]

6代ハントリー伯ジョージ・ゴードン英語版(1562–1636)カトリック教徒で、1589年スペインフェリペ2世と密約を交わした容疑にかけられたが、スコットランド王ジェームズ6世の配慮により寛大な措置で済んだだけでなく、1592年にはジェームズ6世の命令で、国王襲撃事件を起こしたボスウェル伯フランシス・ステュアート英語版の共犯とされた第2代マリ伯爵ジェームズ・ステュアート英語版を殺害した後は王に匿われるなど厚遇された[3]1599年4月17日にスコットランド貴族爵位「ハントリー侯爵(Marquess of Huntly)」「インジー伯爵(Earl of Enzie)」「バデノックのゴードン卿(Lord Gordon of Badenoch)」に叙せられた [4][5]

2代ハントリー侯ジョージ・ゴードン英語版(1592–1649)イングランド王兼スコットランド王チャールズ1世に仕え、宗教問題で王と対立したスコットランド国民盟約と戦ったが、1639年主教戦争におけるディー橋の戦いで盟約派モントローズ伯爵(後にモントローズ侯爵)ジェイムズ・グラハムに敗れ捕虜になった[6]

1642年から清教徒革命が始まると2代侯は王党派に入り引き続きチャールズ1世に仕えたが、不仲だった長男のジョージ・ゴードン卿が母方の伯父に当たる盟約派のアーガイル侯爵アーチボルド・キャンベルに味方したためゴードン氏族は分裂した[7]。2代侯は次男のアボイン子爵英語版ジェイムズ・ゴードン英語版(1620頃-1649)と共に王党派に留まり、1644年3月にスコットランド北東のアバディーンを乗っ取って国王支持を表明、かつての敵だったモントローズ侯も呼応したが、アーガイル侯ら盟約派に機先を制され2代侯はアバディーンから逃亡した[8]。モントローズ侯がスコットランド内戦英語版でスコットランドを転戦する中2代侯は動かず、代わりにゴードン卿が盟約派から離反して1645年2月2日インヴァロッヒーの戦いに勝利したモントローズ侯率いる王党派の軍に合流したが、7月2日アルフォードの戦い英語版で王党派の勝ち戦の最中に戦死した[9]

ゴードン卿の死後実質的にゴードン氏族を率いた弟のアボイン子爵は兄と異なり、モントローズ侯から離脱した。2代侯もモントローズ侯と協力せず、落ち目になったモントローズ侯は没落していった。1646年になると2代侯はモントローズ侯に代わるスコットランド王党派の中心になろうと画策したり、イングランド内戦第一次イングランド内戦)に敗れ盟約派に監禁されたチャールズ1世の脱走受け入れを計画したがいずれも失敗[10]1649年の2代侯の死後ハントリー侯爵位は三男でゴードン卿とアボイン子爵の弟であるルイス・ゴードン英語版(1626頃–1653)が継承している。

2代侯は特別継承権で彼か彼の父の死後に次男ジェイムズ・ゴードンに継承されるアボイン子爵に叙せられている。その規定通り初代ハントリー侯の死後にジェイムズは第2代アボイン子爵となったが、子供を残さずに父の2代侯に先立って死亡したため同子爵位は2代で廃絶している[11]。兄のジョージ・ゴードン卿も子供無く先立って死んでいたのでハントリー侯爵位はルイス・ゴードンが継承している。また四男チャールズ・ゴードンはスコットランド貴族「アボイン伯爵英語版」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」に叙せられている。後にこのアボイン伯爵家がハントリー侯爵位を継承することになる[4]

4代ハントリー侯ジョージ・ゴードン(1643–1716)は、1684年11月1日にスコットランド貴族爵位「ゴードン公爵(Duke of Gordon)」、「ハントリー侯爵(Marquess of Huntly)」「ハントリー=インジー伯爵(Earl of Huntly and Enzie)」、「インヴァーネス子爵(Viscount of Inverness)」、「バデノック、ロシャベール、ストラサヴォン、ベルモア、オーチドン、ガースィー及びキンカーディン卿(Lord Badenoch, Lochaber, Strathavon, Balmore, Auchidon, Garthie and Kincardine)」に叙せられた[12][13]。しかしこれらの爵位群は、5代ゴードン公爵ジョージ・ゴードン(1770–1836)が後継者なく死去したことで廃絶している[12](後に女系の子孫であるリッチモンド公爵レノックス家が新規に連合王国貴族としてゴードン公爵位を与えられている)[14]

ハントリー侯爵位のみ2代侯に遡っての分流である第5代アボイン伯爵ジョージ・ゴードン(1761–1853)に継承された。しかしこの際、ハントリー侯爵位と一緒に創設されたはずのインジー伯爵位とバデノックのゴードン卿の爵位の継承は認められなかった。またハントリー伯爵位は女系継承が可能な爵位との反論があり、リッチモンド公爵家が継承者である可能性があるため、やはり継承を認められなかった[4]。しかし彼は先立つ1794年にスコットランド貴族爵位「アボイン伯爵(Earl of Aboyne)」と「ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿(Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)」を継承しており、また1815年には連合王国貴族爵位「アバディーン州におけるモーヴァンのメルドラム男爵(Baron Meldrum, of Morven in the County of Aberdeen)」に叙されているため、これらがハントリー侯爵位の新たな従属爵位となった[4]

以降今日まで彼の子孫によってそれらの爵位は継承され続けている。2015年現在の当主は13代ハントリー侯グランヴィル・ゴードン英語版(1944-)である[4]

本邸はスコットランドアバディーンシャーにあるアボイン城英語版である[4]。一族のモットーは「計略ではなく勇気を持て (Animo Non Astutia)」[4]

現当主の全保有爵位

現当主13代ハントリー侯グランヴィル・ゴードン英語版は以下の爵位を保有している[15][4]

  • 第13代ハントリー侯爵 (13th Marquess of Huntly)
    (1599年創設スコットランド貴族爵位)
  • 第9代アボイン伯爵英語版 (9th Earl of Aboyne)
    (1660年創設スコットランド貴族爵位)
  • ストラサヴォン及びグレンリベットの第9代ゴードン卿 (9th Lord Gordon of Strathavon and Glenlivet)
    (1660年創設スコットランド貴族爵位)
  • アバディーン州におけるモーヴァンの第5代メルドラム男爵 (5th Baron Meldrum, of Morven in the County of Aberdeen)
    (1815年創設連合王国貴族爵位)

  1. ^ a b Heraldic Media Limited. “Huntly, Earl of (S, c.1445)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  2. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Gordon, 1st Earl of Huntly” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。
  3. ^ トランター、P250 - P254、小林、P230、P233、P263。
  4. ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Huntly, Marquess of (S, 1599)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2010年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Alexander Gordon, 1st Earl of Huntly” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。
  6. ^ トランター、P274 - P275。
  7. ^ ウェッジウッド、P144、P277 - P278。
  8. ^ ウェッジウッド、P284 - P285、P320 - P323。
  9. ^ トランター、P279、ウェッジウッド、P374、P405 - P406、P431 - P432、P496 - P498。
  10. ^ ウェッジウッド、P517、P581 - P582、P629、P634 - P635。
  11. ^ Heraldic Media Limited. “Aboyne, Viscount of (S, 1632 - 1649)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  12. ^ a b Heraldic Media Limited. “Gordon, Duke of (S, 1684 - 1836)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  13. ^ Lundy, Darryl. “George Gordon, 1st Duke of Gordon” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。
  14. ^ Heraldic Media Limited. “Richmond, Duke of (E, 1675)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年11月28日閲覧。
  15. ^ Lundy, Darryl. “Granville Charles Gomer Gordon, 13th Marquess of Huntly” (英語). thepeerage.com. 2015年11月28日閲覧。


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