トーマス・スタッフォード 引退後

トーマス・スタッフォード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 15:48 UTC 版)

引退後

1990年6月、アメリカ合衆国副大統領ダン・クエールと次期NASA長官で提督のリチャード・トゥルーリーがスタッフォードに対し、ジョージ・H・W・ブッシュが提唱する火星への往来ミッションに対して外部からアドバイスするチームの長に就任することを要請した。スタッフォードはアメリカ国防総省アメリカ合衆国エネルギー省、NASA等からの40人の常勤と150人の非常勤からなるチームを率い、アメリカ合衆国の今後30年間の有人飛行計画の道筋を示したロードマップを作る「Stafford assembled teams」と呼ばれる研究を行った。スタッフォードとクエールは1991年6月にホワイトハウスで共同記者会見を開き、これを公表した。

彼はバージニア州アレクサンドリア技術コンサルタント会社スタッフォード・バーク・ヘッカーを共同設立した。また、シーゲイト・テクノロジー等の、ニューヨーク証券取引所に上場している6企業、その他の3企業の取締役を務めた。シーゲイト・テクノロジーは、世界最大のハードディスクドライブ製造会社である。さらに、NASA、空軍システム軍団等のいくつかの政府系機関のアドバイザーとしても働いた。1980年の大統領選挙ではロナルド・レーガンの防衛アドバイザーを務めた。NASA評議会のシャトル・ミール・ランデブー・タスクフォースやISSオペレーション・タスクフォースの議長も務めた。

2024年3月18日に長期の闘病の末に死去。93歳没[3]

記念

スタッフォードは1974年のテレビ映画 Houston, We've Got a Problem では自分自身の役を演じた。1996年のテレビ映画 Apollo 11 では、トニー・カーリンが彼の役を演じた。1998年の『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ』では、スティーブ・ホーフェンダールに演じられた。

スタッフォードはいくつかの名誉学位も受けている。その中にはオクラホマシティー大学の名誉理学博士号、ウェスタンステート大学の名誉法学博士号、エマーソン大学の名誉情報学博士号、エンブリー・リドル航空大学の名誉航空工学博士号等があった。

スタッフォードは現在、オクラホマシティからフロリダ州に転居している。故郷のウェザーフォールドでは、トーマス・P・スタッフォード空港に名付けられたり、スタッフォード航空宇宙博物館が建設されるなど、大きく称えられている[4]

イギリスのロックバンドニュー・モデル・アーミーは、1990年の5枚目のアルバム Impurity の中の曲 Space で、スタッフォードの詩を引用した。


  1. ^ 月面に降り立った(ムーンウォーカー)12人と、周回飛行のみをおこなった12人。スタッフォードは後者。
  2. ^ On the Shoulders of Giants
  3. ^ Thomas Stafford, NASA astronaut who led Apollo-Soyuz joint mission, dies at 93”. collectSPACE.com (2024年3月18日). 2024年3月18日閲覧。
  4. ^ AirNav: KOJA - Thomas P Stafford Airport


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