トレンティーノ・バレー トレンティーノ・バレーの概要

トレンティーノ・バレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 04:35 UTC 版)

トレンティーノ・バレー
原語表記 Trentino Volley S.p.A.
総称 Energy T.I. Diatec Trentino
ホームタウン トレント
クラブカラー 白、赤
創設年 2000年
所属リーグ イタリアリーグ・セリエA1
代表者 ディエゴ・モスナ
監督 ラドスティン・ストイチェフ
ホームアリーナ
パラトレント
ホームページ 公式サイト
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名称

スポンサー名込みの総称および通称[2]

  • 2000-2001年 Itas Gruppo Diatec Trentino(トレント)
  • 2001-2002年 Itas Diatec Trentino(トレント)
  • 2002-2003年 Itas Grundig Trentino(トレント)
  • 2003-2013年 Itas Diatec Trentino(トレント)
  • 2013-2014年 Diatec Trentino(トレント)
  • 2014-2015年 Energy T.I. Diatec Trentino(トレント)

歴史

2000年、ITAS BTB メッツォロンバルド(メッツォロンバルド・バレー)の配下から、トレンティーノ・バレーSpAが創設[3]。当時、財政上の問題を抱えていたラヴェンナから権利を買い取り、トレントはセリエA1へ参入[3]A2のメッツォロンバルドはセリエCへ降格した[要出典]

2001年、1年目のレギュラーシーズンを10位で終える。2004年にレギュラーシーズンを1位で終えたものの、プレーオフ・クオーターファイナルでペルージャに敗退。2006年はセミファイナルでトレヴィーゾに屈した。再びレギュラーシーズンを制した2008年、プレーオフを順当に勝ち上がり初のファイナル進出。第3戦でピアチェンツァを破り、リーグ初優勝を飾った[4]

2009年欧州チャンピオンズリーグでギリシャのイラクリスを3-1で降し初優勝[5]。リーグ戦も2年連続ファイナル進出を果たしたが、前年と同じ顔合わせとなったピアチェンツァに第5戦で敗れ、準優勝に終わった。同年世界クラブ選手権で初優勝を飾った[6]

2010年コッパ・イタリア初優勝[7]。欧州チャンピオンズリーグでロシアのディナモ・モスクワを3-0で降し2連覇を飾った。リーグ戦ではレギュラーシーズンを1位で終えながらプレーオフ・ファイナルでクーネオに敗退した。

2012年、世界クラブ選手権4連覇を達成した[8]

主な成績

セリエA(4)
  • 優勝:2008、2011、2013、2015
  • 準優勝:2009、2010、2012
コッパ・イタリア(3)
  • 優勝:2010、2012、2013
スーペルコッパ・イタリアーナ(2)
  • 優勝:2011、2013
欧州チャンピオンズリーグ(3)
  • 優勝:2009、2010、2011
世界クラブ選手権(5)
  • 優勝:2009、2010、2011、2012、2018

  1. ^ Energy T.I. Diatec Trentino - Stagione 2014/2015”. Legavolley. 2014年10月30日閲覧。
  2. ^ セリエA 年度別成績 より参照。Legavolley. 2014年10月30日閲覧。
  3. ^ a b Società”. Trentino volley. 2014年11月1日閲覧。
  4. ^ Piacenza Sonfitta 3-0, Itas Diatec Trentino Campione d'Italia!!!”. Trentino volley (2008年5月7日). 2014年11月1日閲覧。
  5. ^ Iraklis piegato 3-1, Trentino Volley campione d'Europa!!!”. Trentino volley (2009年4月5日). 2014年11月1日閲覧。
  6. ^ Belchatow piegato 3-0, Trentino BetClic Campione del Mondo!”. Trentino volley (2009年11月8日). 2014年11月1日閲覧。
  7. ^ Cuneo piegata 3-1 in finale, la Coppa Italia è dell'Itas Diatec Trentino!”. Trentino volley (2010年1月31日). 2014年11月1日閲覧。
  8. ^ At least another year to see who will unseat Trentino”. FIVB (2012年10月24日). 2015年1月7日閲覧。


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