スカーレット (小説)
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概要
1936年の出版以来、世界的に読み継がれている小説『風と共に去りぬ』の続編で、主人公スカーレット・オハラとレット・バトラーの“その後”を描く。著者であるマーガレット・ミッチェルが続編を書こうとしなかったので、ミッチェルの相続人たちが続編の企画を発表すると、大きな期待が寄せられた。執筆者にはアレクサンドラ・リプリーが選ばれ、1991年9月、『スカーレット』が刊行された。世界的なベストセラーとなったが、作品自体に対する当時の世評は厳しいものがあった。
1994年、テレビドラマ化され、1996年、日本で演劇が製作された。
出版までの経緯
執筆者の選考
マーガレット・ミッチェルの小説『風と共に去りぬ』は、1936年の出版以来、世界中で売れ続け、「これを上回るのは聖書しかない」といわれることもあるほどだった[1]。そして、深い余韻を残す結末を迎えた主人公のスカーレット・オハラとレット・バトラーの“その後”に、多くの読者が気をもんだ。だが、『風と共に去りぬ』を完結した物語と考えていたマーガレット・ミッチェルは、何度勧められても、続編の筆を執ることはなく、1949年、交通事故で急逝してしまった。
マーガレットの死後、『風と共に去りぬ』の著作権は、夫ジョン・マーシュ(John Marsh)、兄スティーブンズ・ミッチェル(Stephens Mitchell)を経て、1983年、スティーブンズの子ども(つまり、マーガレットの甥にあたる)であるジョー・ミッチェル(Joe Mitchell)とユージェン・ミッチェル(Eugene Mitchell)に相続された。
相続人たちは、2011年に『風と共に去りぬ』の著作権が切れた後、誰もが続編を競って書き始める状況が現出するのを危惧した。悪くすると、南北戦争の仇敵である北部出身者や三流の作家が、続編を書いてしまう惧れがある。アン・エドワーズのような実例もあった[2]。このような懸念から、相続人たちは先手を打って続編の出版を企画、執筆者を公募した。10人以上の作家がこれに応募し、1986年、弁護士よりなる選考委員会により、レット・バトラーと同じチャールストン出身のアレクサンドラ・リプリーが選ばれた。
続編の執筆
アレクサンドラ・リプリーが『風と共に去りぬ』を初めて読んだのは、13歳のときであった。その時は、スカーレット・オハラよりもメラニー・ウィルクスの性格に惹かれたという[3]。
続編の執筆者に選ばれると、アレクサンドラ・リプリーは準備に念を入れた。執筆にあたって彼女は、少なくとも2つのこと、すなわち、マーガレット・ミッチェルに対する義務として登場人物の性格を変えないことと、『風と共に去りぬ』を愛読してきた多くの読者のために自分の作品を書くことを心掛けたと、のちに日本人のインタビューで語っている[4]。
準備のために、彼女が『風と共に去りぬ』を読み返した回数は、5回とも6回ともいわれる。マーガレット・ミッチェルの文体を把握するために、『風と共に去りぬ』を200〜300ページにわたり手書きで写した。小説の舞台となるアトランタ、チャールストン、サバンナ、アイルランドを訪ね歩き、100年以上前の資料も調査した。また、続編の内容が漏れないように気を配った。うっかり口を滑らさないように、マスコミには一切会わなかった。資料が散乱している自宅へは、友人さえも招き入れなかった。
『スカーレット』の完成には5年(ただし、最初の1年は著作権上の問題に費やされた)かかったが、原稿完成後も順調に事は運ばなかった。原稿を読んだ編集担当者は「歴史の細部に拘りすぎて売れない」と考えたので、出版には至らなかった。その後、その編集担当者が交代したので、原稿完成から1年が経過して、ようやく出版の運びとなった[3]。
大ベストセラーに
1991年9月25日、『スカーレット』が発売された。読者の期待は相当なもので、アメリカでは発売前の予約だけで100万部に達した[5]。書店や図書館には、いつ『スカーレット』が届くのか問い合わせが続出した。発売を前にして、アトランタのある書店前には、200人もの客が徹夜の行列を作った[6]。
『スカーレット』が発売されると、たちまち売り切れ店が続出した。配給元の在庫も尽き、いったん受けた注文をやむを得ずキャンセルする書店もあった[7]。発売初日だけで25万部が売れたという[6]。著者であるアレクサンドラ・リプリーも一躍、時の人となった。発売4日目の9月28日、アトランタのあるスーパーマーケットでサイン会が催されたが、大勢の人が詰め掛け、予約客だけで6,000人に達し、3時間のサイン会では処理しきれないほどだったという[8]。
『スカーレット』は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど世界各地で同時に出版された。世界中で売れ続け、数百万部にのぼる大ベストセラーとなった[9]。
あらすじ
小説は4部構成で、第一部「闇の中で」(第1 - 9章)、第二部「大博打」(第10 - 32章)、第三部「新しい出発」(第33 - 46章)、第四部「タラの丘」(第47 - 89章)となっている。
第一部「闇の中で」
『風と共に去りぬ』のその後、夫であるレット・バトラーと疎遠になったスカーレットが、義妹でありアシュレ・ウィルクスに恋していた頃のライバルであるメラニー・ウィルクスの葬式に出席したところから始まる。スカーレットはレットがいなくなり、傷心でタラへ向かうとスカーレットが生まれた時からの頼みの綱であるマミーが危篤の状態であった。スカーレットは自身がそこにいることを知ると来ないであろうレットに、妹スエレンの夫ウィル・ベンティンの名でマミーの危篤を電報で知らせた。マミーは死に際にレットにスカーレットの面倒を見ることを誓わせた。レットはそう誓ったが、そうするつもりはなかった。マミーの死後、レットとスカーレットは口論になり、レットは去りスカーレットはアトランタの家に戻りレットに戻ってきてもらうことを決意する。
第二部「大博打」
スカーレットはレットに早く戻ってきてほしくて、レットの家族を訪問するためにチャールストンへ向かい、彼の母を味方につけて彼を追い込むこととした。しかし彼は川の上流にある伝来の古いプランテーションに身を隠した。スカーレットはレットにせがんでヨットに乗ったがひどい嵐で転覆した。船が難破している間、レットは陸に着くまでスカーレットが眠ってしまわないようにした。スカーレットとレットは島に着くまで泳ぎ、砂丘のくぼみに避難し洞窟で結ばれた。レットが言った「おお、おれのダーリン、きみを失ったかと思った。おれの愛、おれの命…」という言葉をスカーレットはどういう意味だったのかを考えたが、レットは後で「命からがら生き残った男はそうしたいと思うものだ。男はそうしておかしなことを言ったりするものだ。」と、さきほどの言葉に大きな意味をなさないこと、彼はもう彼女を愛していないことを告げた。彼はアヘン中毒に例えて彼女によって『自分自身』を再び失うことを恐れて外へ出て行った。無事にチャールストンのレットの母の家に戻るとレットからの置き手紙があり、彼は危機に直面した時の彼女の勇気に感心しながらも二人の関係は修復されず、もう二度と彼女と会わないことを告げていた。
スカーレットの体力が回復すると、サバンナにいる母方の祖父の誕生会のために叔母であるポーリンとユレーリと共にチャールストンを離れることにした。彼女は敬愛する義母に急いで手紙を書いてレットの妹のローズマリーに託したが、彼女はそれを燃やしてしまった。(ローズマリーはレットとスカーレットのやり取りを聞いたことがあり、兄の裏の顔を知り不信感を抱いた。しかしレットはローズマリーに、スカーレットをもはや愛していないこと、そして彼女を避けなければ再び彼女を愛してしまうかもしれないことなど、二人の結婚生活の全てを話した。)
第三部「新しい出発」
スカーレットは母方の家族の思いに反して、父方のオハラ家と繋がりを持つようになった。スカーレットの母方の祖父は、スカーレットが父方の親戚との関係を絶ち、祖父の最期を看取るならば全財産を遺すことを提案した。スカーレットはこれに激怒して断り、祖父の家を飛び出していとこのジェイミーの家に転がり込んだ。その後すぐにアイルランドから別のいとこで神父のコラムがきた。そしてスカーレットは彼と共にアイルランドへ行くこととなった。この時、スカーレットはレットの子供を身ごもっていることに気付いたが、このことを隠しておくことにした。
第四部「タラの丘」
スカーレットはアイルランドで、彼女の祖母であり父ジェラルドの母である老ケティ・スカーレットなどの親族たちに温かく迎えられた。ある日コラムと市内を散策している時に、昔イギリス人に侵略された城壁に囲まれたオハラ家の土地バリハラの古い屋敷を見た。スカーレットはそこにほどほどの興味を持っていた。レットからの離婚通知が届くまでは。スカーレットはすぐにアメリカへ経つ計画をしたが、それ以上に悪い知らせ、レットがチャールストンのアン・ハンプトンというメラニー・ハミルトンに似た女性と結婚したと聞いて気絶した。かつてないほどの傷心と自責の念にかられスカーレットはアイルランドに残ることになった。彼女は弁護士を雇い、彼女の持分である父のプランテーションのタラの三分の二を息子のウェード・ハミルトン(最初の夫でメラニー・ウィルクスの兄弟であるチャールズ・ハミルトンとの息子)に譲渡し、アイルランドに住みアイルランドの彼女の親戚を喜ばせるためバリハラを買い戻すことにした。彼女といとこのコラムは周囲に離婚したと真実を言うのではなく、彼女の夫は病死して未亡人となったということにした。
バリハラはゆっくり復興し、スカーレットは待望の赤ん坊が女の子であることを祈り、良い母親になることを誓った。彼女はアイルランド人の誇りとよく働いて収益を上げたことで村人たちや親戚たちから尊敬された。彼女は『ザ・オハラ』という一族の長の名を与えられた。
嵐のハロウィンの夜に彼女は破水した。女中頭のミセス・フィッツパトリックと、コラムが連れてきた産婆はどうすることもできず、スカーレットは瀕死の状態になった。しかし幽霊が化けて出ると言われる塔のそばに住む賢女カイリャハが突然やってきて彼女を救った。帝王切開は成功したが腹部に損傷が残った。スカーレットはもう子供が生めない体となったのだ。生まれた赤ん坊は女の子でレットのような黒い肌をしていたが、青い瞳は次第にスカーレットのような緑の瞳になっていった。愛と感謝に満たされ、スカーレットは赤ん坊にケティ・コラム・オハラと名付け、緑の瞳にちなみ猫を意味する『キャット』と呼ぶことにした。追い出された産婆は魔女のカイリャハがスカーレットから健康な男の子を取り出したが女の子と取り替えたという噂を流した。これらの噂はハロウィンに生まれたことにより一層不安感を与えた。
スカーレットがバリハラに住むようになって、アメリカに行った際のボストンへの船の上など何度もレットに偶然会うようになり、狩りに出掛けた一週間後に彼女はまだ彼を愛していることに気付いた。彼はまだ自分の子供が生まれたことを知らなかった。彼は舞踏会で彼女を捜し出し、その時の仕草でスカーレットは彼がまだ彼女を愛していることを確信し、彼女もまた彼を愛していた。
ヨーロッパの富裕層の一人であるフェントン伯爵がスカーレットに熱心に求婚したが、あまりいい意図ではなかった。彼はスカーレットにキャットのような強い精神力と恐れを知らない彼の子を生んでほしかった。また、彼の持つアダムスタウンと隣接するスカーレットの持つ土地の統合を計画した。この統合した土地は彼らの死後に、将来生まれるはずの息子に引き継がれるが、キャットには称号が与えられあらゆる物が手に入る。彼の傲慢さに怒り、スカーレットは拒絶し、彼女の家から出て行くように言った。彼は笑って彼女に考えが変わったら連絡をくれるように言った。スカーレットは例年通りパーティと狩りのためにダブリンに出掛けた。彼女はアンがレットとの第二子を妊娠したと聞いて、フェントン伯爵と結婚することを決めた(第一子は流産していた)。競馬場でこのニュースを聞いたレットはひどく酔っ払い、彼女を侮辱した。スカーレットは、アンが熱により亡くなり赤ん坊も誕生後4日で亡くなったことを共通の友人から聞き、レットが彼女を探しにくると思って急いでバリハラに戻った。彼女はイギリスへの反乱を画策しているアイルランド人グループであるフェニアン団のリーダーのコラムを逮捕する令状を持ったイギリス人を見つけた。コラムは殺害され、ミセス・フィッツパトリックはコラムの復讐のためイギリス人の武器庫に火をつけた。村人たちはスカーレットがイギリスに味方したと考え、彼女の家を焼き払った。レットが彼女を助けに来て、一緒に逃げるよう説得した。スカーレットは行かずに「キャット!キャット!どこなの?」と彼女の家の周りを叫びながら走り回った。レットは混乱して「猫を探している時間はない!逃げよう!」と言った。スカーレットは呆然と彼を見つめて「違うのよ!猫じゃないの。」そして叫んだ。「ケティ・コラム・オハラ、キャットと呼んでいるの。あなたの娘よ。」驚いてレットはそのいきさつを聞いた。スカーレットはキャットが見つからないことが心配だったが急いで説明した。スカーレットはキャットがキッチンを好きだったことを思い出し、そこでキャットを見つけた。3人はキャットが遊び場として使っていたバリハラの高い塔に登り一晩を明かした。スカーレットはなぜキャットのことを彼に隠していたのかを説明し、彼は理解し、レットとスカーレットはお互いに愛を伝えた。翌朝目覚めて新しい生活がスタートし、アイルランドを離れた。本の最後はキャットの言葉で、塔から降りる際に使う縄梯子について「グラーニャ(カイリャハ)が私にそのままでって言ってたよ」と締めくくられている。
(英語版の小説と日本語版の小説には内容に多少の相違がある)
- ^ 石川幸代 「話題騒然! 『風と共に去りぬ』続編の読み所」 『プレジデント』1991年11月号、プレジデント社、p.436.
- ^ アン・エドワーズは、マーガレット・ミッチェルの伝記『タラへの道』の著者。映画の脚本として続編を書いたが、「続編執筆の権利」をめぐる裁判の結果、公開を阻止された。仙名紀「戻る? 戻らぬ? スカーレットとレットのより – “続『風と共に去りぬ』”が描く本当の結末 - 」 『月刊 Asahi』 1991年12月号、朝日新聞社、p.129. なお、「より」の部分は、原文では傍点が付されている。
- ^ a b 仙名紀「戻る? 戻らぬ? スカーレットとレットのより – “続『風と共に去りぬ』”が描く本当の結末 - 」 『月刊 Asahi』1991年12月号、朝日新聞社、p.129.
- ^ 大平和登 「【ニューヨーク・オン・ライン】 その後の『スカーレット』を求めて -『続・風と共に去りぬ』の作者 アレキサンドラ・リプリー女史に聞く - 」 『潮』 1992年5月号、潮出版社、p.277. なお、表題「アレキサンドラ・リプリー」は原文のとおり。
- ^ 仙名紀「戻る? 戻らぬ? スカーレットとレットのより – “続『風と共に去りぬ』”が描く本当の結末 - 」 『月刊 Asahi』1991年12月号、朝日新聞社、p.128.130.
- ^ a b Jean Seligmann 「続『風と共に去りぬ』フィーバー – 初日だけで25万部売れ、行列もできたパート2の異常人気 - 」 『ニューズウィーク日本語版』1991年10月17日号、p.79.
- ^ 石川幸代 「話題騒然! 『風と共に去りぬ』 続編の読み所」『プレジデント』1991年11月号、プレジデント社、pp.436-437.
- ^ a b c 仙名紀「戻る? 戻らぬ? スカーレットとレットのより – “続『風と共に去りぬ』”が描く本当の結末 - 」 『月刊 Asahi』1991年12月号、朝日新聞社、p.130.
- ^ 販売部数は資料によって開きがある。1994年刊行の日本語訳文庫版では全世界の発行部数を800万部とし、同じ年に出版された『ニューズウィーク日本語版』では「1,500万部の大ベストセラー」であり、2007年発売の『出版ニュース』では「世界で600万部売れた」とする。森瑤子訳 『スカーレット(四)』 新潮文庫、1994年の巻末にある著者紹介、ハリー・ウォーターズ 「スカーレットの夢よ再び – テレビ版『風と共に去りぬII』は小説同様、陳腐な代物 - 」 『ニューズウィーク日本語版』1994年12月21日号、p.61. 及び 小山猛 「 - 海外出版レポート アメリカ - 『風と共に去りぬ』2度目の続編」 『出版ニュース』2007年6月下旬号、出版ニュース社、p.19. 参照。
- ^ a b 石川幸代 「話題騒然! 『風と共に去りぬ』続編の読み所」 『プレジデント』1991年11月号、プレジデント社、p.440.
- ^ Jean Seligmann 「続『風と共に去りぬ』フィーバー – 初日だけで25万部売れ、行列もできたパート2の異常人気 - 」 『ニューズウィーク日本語版』1991年10月17日号、p.78.
- ^ a b 猿谷要 「-『風と共に去りぬ』続編- 『スカーレット』を読む」 『朝日新聞』1992年12月6日付朝刊、12版、11面
- ^ 石川幸代 「話題騒然! 『風と共に去りぬ』 続編の読み所」 『プレジデント』1991年11月号、プレジデント社、p.439.
- ^ 石川幸代 「話題騒然! 『風と共に去りぬ』続編の読み所」『プレジデント』1991年11月号、プレジデント社、p.438. 前掲『ニューズウィーク日本語版』や『月刊Asahi』でも同様の意見が書かれている。
- ^ 森瑤子 「訳者あとがき」 『スカーレット』 新潮社、1992年、pp.1093-1094. より。森瑤子が読んだ記事の出典は不明。なお、日本の月刊誌『潮』に掲載されたインタビュー記事では、アレクサンドラ・リプリーは、「スカーレットは何よりも私とはまるで正反対の性格で、いうなれば、私の嫌いなタイプの女性なのです。利己主義で、教育も十分にうけておらず、鼻もちならない。しかし、まずスカーレットを愛してかからねばと、あるとき悟って、それからスカーレットの心理を理解し、彼女の世界に次第に深く没入してゆきました」と語っている。また、スカーレットに流れるアイルランド人の血について、スコットランド系である自身と対比させて、「アイルランド人の、いったん仲間になったら徹底的に親身になる民族性、歓迎する受容性、権力への反抗性、問題児というアウトロウ気質はスカーレットやレットの世界にぴったり適合します。」と語っている。大平和登 「【ニューヨーク・オン・ライン】 その後の『スカーレット』を求めて -『続・風と共に去りぬ』の作者 アレキサンドラ・リプリー女史に聞く- 」 『潮』 1992年5月号、潮出版社、pp.277-278. より。
- ^ 森瑤子 「訳者あとがき」 『スカーレット』 新潮社、1992年、pp. 1094-1095.
- ^ 「『続・風と共に去りぬ』10億円でTVシリーズに」『毎日新聞』1991年11月5日付朝刊、14版、30面. ただし、『ニューズウィーク日本語版』の記事では900万ドルとなっている。ハリー・ウォーターズ 「スカーレットの夢よ再び – テレビ版『風と共に去りぬII』は小説同様、陳腐な代物 - 」 『ニューズウィーク日本語版』1994年12月21日号、p.61. 参照。
- ^ ハリー・ウォーターズ 「スカーレットの夢よ再び – テレビ版『風と共に去りぬII』は小説同様、陳腐な代物 - 」 『ニューズウィーク日本語版』1994年12月21日号、p.61.
- ^ a b 当時、彼女はヴァル・キルマーと結婚していた。離婚後、キルマー姓を除いて「ジョアンヌ・ウォーリー」を名乗った。
- ^ 同時にドラマのメイキングも放映された。さらに同じ週には、宝塚歌劇『風と共に去りぬ –レット・バトラー編-』(12月22日)、同じく『-スカーレット編-』(12月23日)、映画『風と共に去りぬ』(12月24日)も放映され、あたかも「風と共に去りぬ」週間のような様相を呈した。『NHKウイークリーステラ』 1994年12月23日号、NHKサービスセンター、p.87.
- ^ 日本演劇協会監修 『演劇年鑑』 1997年版、日本演劇協会、1997年、p.81.
- ^ 「スカーレット“十三変化”」 『週刊読売』1996年2月25日号、読売新聞社、p.16.
- ^ 「スカーレット“十三変化”」 『週刊読売』1996年2月25日号、読売新聞社、p.17.
- 1 スカーレット (小説)とは
- 2 スカーレット (小説)の概要
- 3 登場人物
- 4 テレビドラマ
- 5 演劇
- 6 脚注
- スカーレット (小説)のページへのリンク