ジュピラー・プロ・リーグ 歴史

ジュピラー・プロ・リーグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/25 16:10 UTC 版)

歴史

初期 (1895-1914)

ベルギーのサッカーにおいて最初のリーグ戦は1895-96に7チームによる総当り戦トーナメントとして実施された[1]。7チームはアントワープFCFCブルジョワ、FCリエジョワ、RC・ド・ブリュッセル、レオポール・クラブ・ド・ブリュッセル、SC・ド・ブリュッセル、ユニオン・ディクセルである[1]。最初のベルギーチャンピオンに輝いたのはFCリエジョワだった[1]。ベルギーサッカーにおける最初の8タイトルはFCリエジョワとRC・ド・ブリュッセルによって独占された[1]。当時は昇格・降格システムは存在しなかったが、下位の2クラブ(FCブルジョワとユニオン・ディクセル)は脱退し、新たなクラブが加わった(アスレティック・アンド・ランニング・クラブ・ド・ブリュッセル)[1]。1896-97終了後にSC・ド・ブリュッセルが脱退したことにより、1897-98はわずか5クラブによって行われた[1]。1898-99および1899-1900シーズン、サッカー協会はトップレベルの2つのリーグと2レグ制の決勝戦からなる新フォーマットを導入した[1]。1900-01に一旦、9クラブによる1リーグ制に戻った後、1901-02から1903-04シーズンまで再び2リーグ制が用いられ、今度は両リーグの上位2チームずつが決勝ラウンドに進んだ[1]。1904-05シーズンは11チームによる1リーグ制で実施された[1]。アスレティック・アンド・ランニング・クラブ・ド・ブリュッセルはこのシーズンで脱退し、1906シーズン以降、セカンドディビジョンの優勝チームとファーストディビジョンの最下位チームが入れ替わる昇格・降格システムが導入された[1]

1899-1900から1902-03シーズンまでRC・ド・ブリュッセルが4連覇した直後、1906-07シーズンまでユニオン・サン=ジロワーズが4連覇した。つづく3シーズンも両クラブが優勝したが、1910-11シーズンにCSブルジョワがライバルのFCブルジョワを1ポイント上回って初優勝した[1]。1907-08シーズン終了後、ファーストディビジョンのチーム数が10から12へと増やされた[1]。プロモシオンに優勝したRCド・ガンと準優勝のESCフォレストが昇格し、ファーストディビジョンからの降格はなかった[1]第一次世界大戦が近付いたこの頃、デアリング・クラブ・ド・ブリュッセルがチャレンジャーの地位を確立し、1911-12・1913-14シーズンに優勝した。この時期はユニオン・サン=ジロワーズのみが彼らと渡り合うことができ、1912-13シーズンに得失点差により優勝した[1]

第一次世界大戦後 (1919-1945)

第一次世界大戦の間は中止されていた。1919-20シーズンに再開され、過去に5回準優勝(内2回は決勝戦、1回はプレーオフで敗退)の経験があるFCブルジョワが初優勝した。1920-21シーズン終了後、チーム数が12から14に増やされ、ファーストディビジョンでは最下位のイクル・スポルトのみが降格し、プロモシオンから上位3チームが昇格した(スタンダール・クラブ・リエジョワ、FCマリノワ、RSCアンデルレヒト)。1921-22から1931-32シーズンまでの10年間のタイトルはアントウェルペン州のクラブによって独占された。レイモン・ブレーヌがいたKベールスホットVACはクラブにとって最初の5タイトルを、ロイヤル・アントワープは最初の2タイトルを、そしてストライカーのベルナルト・フォールホーフに率いられた小クラブのリールセSKは1931-32シーズンに初めての優勝を果たした。この時期のチャレンジャーたちには、CSブルジョワ(この時期に2回優勝)、デアリング・クラブ・ド・ブリュッセル、ユニオン・サン=ジロワーズ(1回優勝)、スタンダール・クラブ・リエジョワがいた。1932年12月25日より3シーズンにわたるユニオン・サン=ジロワーズによる60試合無敗記録が始まり、1932-33・1933-34・1934-35シーズンのタイトルを獲得した。当時のユニオンのライバルはデアリング・クラブ・ド・ブリュッセルであり、彼らは次の2シーズンのチャンピオンシップを獲得した。レイモン・ブレーヌが復帰したベールスホットは、第二次世界大戦前最後の2シーズンのタイトルを獲得した。

1940年5月10日にドイツ軍がベルギーに侵攻したことにより、1939-40および1940-41のシーズンは中止された。大会は1941年9月に再開され、リールセSKはクラブにとって2度目となるタイトルを獲得した。このシーズン終了後は降格するクラブはなく、クラブ数が14から16に増やされた。1942-43シーズン、リールセSKは3人のキープレイヤーを失って(2人は爆撃、もう1人はピッチ上で負った重傷により)3位に終わり、同クラブの近郊にあるKVメヘレンが歴史上初めてのチャンピオンになった。

第二次世界大戦後 (1945-1980)

リーグは1945-46シーズンに再開され、KVメヘレンがタイトルを獲得した。このシーズンはファーストディビジョンのクラブ数が16から19になり、3クラブがファーストディビジョンに昇格して、降格したチームはなかった。得点王賞もこのシーズンから導入され、KVメヘレンのベルト・デ・クレインが受賞した。2シーズン後、5クラブが降格して、2クラブが昇格した。1946-47、主軸ストライカーのジェフ・メルマンスを擁するRSCアンデルレヒトワが初めての優勝を果たした。同クラブはベルギーサッカー界を席巻し、その後9シーズンの間に6度タイトルを獲得した。残りのタイトルはKVメヘレン (1947-48シーズン) 、FCリエジョワ (1951-52・1952-53シーズン) が獲得した。1954年、ファーストディビジョンで前暦年において最も優れた選手に贈られるベルギー・ゴールデン・シューが始まった。

1950年代後半、スタンダールは1957-58シーズンに初めてトロフィーを掲げると、彼らは1982-83シーズンまでに8タイトルを重ね、やがてリーグ内でアンデルレヒトの最大のライバルとなっていった。1950年代後半のほかのタイトルはロイヤル・アントワープとアンデルレヒトが獲得した。1960年代にはポール・ヴァン・ヒムストのアンデルレヒトが6回(1963-64から1967-68シーズンにかけてベルギー記録となっている5連覇を含む)、スタンダールが3回、リールセが1回優勝した。スタンダールはキープレイヤーのウィルフリート・ファン・モールとともに1968-69シーズンから3連覇した。1974-75シーズンは20ものクラブが参加したリーグ史上唯一のシーズンだった。ベルギーのクラブは1970年代からヨーロッパのカップ戦で良いパフォーマンスを見せ始めた。1975-76シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップに優勝し、クラブ・ブルッヘはUEFAカップで準優勝した(決勝でリヴァプールFCに敗れる)。1976-77シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップで準優勝し(決勝でハンブルガーSVに敗れる)、1977-78シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップで2度目の優勝、クラブ・ブルッヘがチャンピオンズカップで準優勝した(決勝でリヴァプールFCに敗れる)。1970年代のベルギー・ファーストディビジョンでは、クラブ・ブルッヘが4回、アンデルレヒトが2回、ヨハン・ボスカンプを擁するR・ホワイト・デアリング・モレンベーク(デアリング・クラブ・ド・ブリュッセルの後身)、ゴールキーパーのジャン=マリー・プファフを擁するKSKベフェレンがそれぞれ1回優勝した。

近年 (1980-現在)

1980年代、ベルギーのクラブは引き続きヨーロッパで成功を収め、1981-82シーズンでスタンダールはカップウィナーズカップで準優勝し(決勝でFCバルセロナに敗北)、1982-83シーズンでアンデルレヒトはUEFAカップに優勝した後、翌1983-84シーズンのUEFAカップ準優勝(決勝でトッテナム・ホットスパーFCに敗北)、1987-88シーズンでKVメヘレンがカップウィナーズカップで優勝した。国内リーグにおいてはアンデルレヒトが1986-87シーズンに20回目のタイトルを獲得した。これは最初のタイトル獲得から40年目でもあった。クラブ・ブルッヘとスタンダールは1980年代にそれぞれ2つ、KSKベフェレンとKVメヘレンはそれぞれ1つのタイトルを獲得した。

1990年代、ヨーロッパの大会でのベルギーチームのパフォーマンスは下降し、1989-90シーズンにアンデルレヒト、1992-93シーズンにロイヤル・アントワープがカップウィナーズカップの決勝に進出したのみだった。国内リーグではRSCアンデルレヒトとクラブ・ブルッヘが10年間にそれぞれ4つのタイトルを獲得し、そのほかの2シーズンはリールセSKとニューカマーのKRCヘンクがタイトルを獲得した。

2000年代はアンデルレヒトが2000-01シーズンのチャンピオンズリーグで2次グループステージに到達するという輝かしいスタートを切ったが、その後10年間はヨーロッパの大会ではベルギーのクラブはさしたる成功を収められなかった。リーグでは10年間にアンデルレヒトが5回、クラブ・ブルッヘが2回優勝、KRCヘンクが2度目となる優勝を果たした。10年期の終わりにスタンダール・リエージュが2連覇し、1982-83シーズン以来25年ぶりのタイトルを獲得した。2009-10シーズンにリーグは再構築され、レギュラーシーズンの後にプレーオフ・ラウンドが設けられた。アンデルレヒトは新形式のリーグを制して30回目のタイトルを獲得した。







ベルギー・ファースト・ディビジョンA

(ジュピラー・プロ・リーグ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 14:13 UTC 版)

ベルギー・ファースト・ディヴィジョンAオランダ語: Eerste klasse A; フランス語: Championnat de Belgique de football; ドイツ語: Division 1A)は、スポンサーシップによりジュピラー・プロ・リーグ[1](Jupiler Pro League, オランダ語発音: [ˈʒypilɛr ˈproː ˈlik])、およびプロ・リーグ[2][3](Pro League)として知られる、ベルギーにおけるプロサッカーの最上位リーグである。


  1. ^ Newmedia, R. T. L. (2021年12月10日). “Jupiler Pro League - Victoire compliquée sous la neige pour Charleroi face à Ostende” (フランス語). RTL sport. 2021年12月11日閲覧。
  2. ^ DPG Media Privacy Gate”. myprivacy.dpgmedia.be. 2021年12月11日閲覧。
  3. ^ Sports+, DH Les (2021年12月6日). “La Pro League prend des mesures fermes suite aux incidents: les supporters visiteurs interdits dans les stades jusqu'à la fin de l'année” (フランス語). DH Les Sports +. 2021年12月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n Belgium - Final Tables 1895-2008
  5. ^ ベルギー・リーグがオランダとの合併に基本合意、「BeNeLiga」誕生か。参入候補クラブには日本人選手3名も”. サッカーダイジェスト (2021年3月17日). 2023年5月30日閲覧。
  6. ^ a b c d Ontdek het format voor het seizoen 2023-2024” (オランダ語). プロ・リーグ (2023年7月28日). 2024年2月12日閲覧。
  7. ^ Jリーグのように「冠スポンサー」を結んでいる海外の1部リーグを調べてみた”. サッカーキング (2017年4月17日). 2023年5月30日閲覧。
  8. ^ RSSSF Archive
  9. ^ 清水の遠藤がベルギー移籍”. 朝日新聞 (2000年6月17日). 2013年9月6日閲覧。
  10. ^ DMMグループがベルギー1部リーグに所属するクラブの経営権を取得。様々な面での国際交流も図る”. FootballTribe (2017年11月16日). 2017年11月16日閲覧。
  11. ^ シェフケンゴ (2021年1月14日). “2021年のゴールデンシューはオヌアチュが受賞。伊東純也は5位に”. footballista. 2022年1月15日閲覧。
  12. ^ 上田綺世、今季22ゴール目 ベルギー1部”. 日本経済新聞 (2023年5月28日). 2023年5月30日閲覧。


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