ベルギー・ファースト・ディビジョンA ベルギー・ファースト・ディビジョンAの概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ベルギー・ファースト・ディビジョンAの解説 > ベルギー・ファースト・ディビジョンAの概要 

ベルギー・ファースト・ディビジョンA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 14:13 UTC 版)

ジュピラー・プロ・リーグ
Jupiler Pro League
加盟国 ベルギー
大陸連盟 UEFA
創立 1895年
参加クラブ 16
リーグレベル 第1部
下位リーグ ファースト・ディヴィジョンB
国内大会 ベルギーカップ
ベルギー・スーパーカップ
国際大会 UEFAチャンピオンズリーグ
UEFAヨーロッパリーグ
UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ
最新優勝クラブ ロイヤル・アントワープFC (5回目) (2022-23)
最多優勝クラブ RSCアンデルレヒト (34回)
テレビ局 イレブンスポーツ
DAZN
公式サイト http://www.jupilerproleague.be
2023-24英語版

歴史

1890年代 - 1930年代

ベルギーのサッカーにおいて最初のリーグ戦は1895-96に7チームによる総当り戦トーナメントとして実施された[4]。7チームはアントワープFCFCブルジョワFCリエジョワフランス語版RCブリュッセルオランダ語版レオポール・クリュブフランス語版SCブリュッセルフランス語版ユニオンFCディクセルフランス語版である[4]。最初のベルギーチャンピオンに輝いたのはFCリエジョワだった[4]。ベルギーサッカーにおける最初の8タイトルはFCリエジョワとRCブリュッセルによって独占された[4]。当時は昇格・降格システムは存在しなかったが、下位の2クラブ(FCブルジョワとユニオンFCディクセル)は脱退し、新たにアスレティック・アンド・ラニング・クラブ・ドゥ・ブリュッセルフランス語版が加わった[4]

1896-97終了後にSCブリュッセルが脱退したことにより、1897-98はわずか5クラブによって行われた[4]。1898-99および1899-1900シーズン、サッカー協会はトップレベルの2つのリーグと2レグ制の決勝戦からなる新フォーマットを導入した[4]。1900-01に一旦、9クラブによる1リーグ制に戻った後、1901-02から1903-04シーズンまで再び2リーグ制が用いられ、今度は両リーグの上位2チームずつが決勝ラウンドに進んだ[4]。1904-05シーズンは11チームによる1リーグ制で実施された[4]。アスレティック・アンド・ラニング・クラブ・ドゥ・ブリュッセルはこのシーズンで脱退し、1906シーズン以降、セカンドディヴィジョンの優勝チームとファーストディヴィジョンの最下位チームが入れ替わる昇格・降格システムが導入された[4]

1899-1900から1902-03シーズンまでRC・ド・ブリュッセルが4連覇した直後、1906-07シーズンまでユニオン・サン=ジロワーズが4連覇した。つづく3シーズンも両クラブが優勝したが、1910-11シーズンにCSブルジョワがライバルのFCブルジョワを1ポイント上回って初優勝した[4]。1907-08シーズン終了後、ファーストディヴィジョンのチーム数が10から12へと増やされた[4]。プロモシオンに優勝したRCガンフランス語版と準優勝のエクセルシオーSCブリュッセルフランス語版が昇格し、ファーストディヴィジョンからの降格はなかった[4]第一次世界大戦が近付いたこの頃、デアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤルフランス語版がチャレンジャーの地位を確立し、1911-12・1913-14シーズンに優勝した。この時期はユニオン・サン=ジロワーズのみが彼らと渡り合うことができ、1912-13シーズンに得失点差により優勝した[4]

第一次世界大戦の間は中止されていた。1919-20シーズンに再開され、過去に5回準優勝(内2回は決勝戦、1回はプレーオフで敗退)の経験があるFCブルジョワが初優勝した。1920-21シーズン終了後、チーム数が12から14に増やされ、ファーストディヴィジョンでは最下位のロワイヤル・イクル・スポールフランス語版のみが降格し、プロモシオンから上位3チームが昇格した(スタンダール・クリュブ・リエジョワFCマリノワRSCアンデルレヒト)。1921-22から1931-32シーズンまでの10年間のタイトルはアントウェルペン州のクラブによって独占された。

レイモン・ブレーヌフランス語版がいたベールスホトACオランダ語版はクラブにとって最初の5タイトルを、ロイヤル・アントワープは最初の2タイトルを、そしてストライカーのベルナルト・フォールホーフオランダ語版に率いられた小クラブのリールセSKは1931-32シーズンに初めての優勝を果たした。この時期のチャレンジャーたちには、CSブルジョワ(この時期に2回優勝)、デアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤル、ユニオン・サン=ジロワーズ(1回優勝)、スタンダール・クリュブ・リエジョワがいた。1932年12月25日より3シーズンにわたるユニオン・サン=ジロワーズによる60試合無敗記録が始まり、1932-33・1933-34・1934-35シーズンのタイトルを獲得した。当時のユニオンのライバルはデアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤルであり、彼らは次の2シーズンのチャンピオンシップを獲得した。レイモン・ブレーヌが復帰したベールスホットは、第二次世界大戦前最後の2シーズンのタイトルを獲得した。

1940年代 - 1970年代

1940年5月10日にドイツ軍がベルギーに侵攻したことにより、1939-40および1940-41のシーズンは中止された。大会は1941年9月に再開され、リールセSKはクラブにとって2度目となるタイトルを獲得した。このシーズン終了後は降格するクラブはなく、クラブ数が14から16に増やされた。1942-43シーズン、リールセSKは3人のキープレイヤーを失って(2人は爆撃、もう1人はピッチ上で負った重傷により)3位に終わり、同クラブの近郊にあるKVメヘレンが歴史上初めてのチャンピオンになった。

リーグは1945-46シーズンに再開され、KVメヘレンがタイトルを獲得した。このシーズンはファーストディヴィジョンのクラブ数が16から19になり、3クラブがファーストディヴィジョンに昇格して、降格したチームはなかった。得点王賞もこのシーズンから導入され、KVメヘレンのアルベルト・デ・クラインオランダ語版が受賞した。2シーズン後、5クラブが降格して、2クラブが昇格した。1946-47、主軸ストライカーのヨセフュス・メルマンスフランス語版を擁するRSCアンデルレヒトワが初めての優勝を果たした。同クラブはベルギーサッカー界を席巻し、その後9シーズンの間に6度タイトルを獲得した。残りのタイトルはKVメヘレン (1947-48シーズン) 、FCリエジョワ (1951-52・1952-53シーズン) が獲得した。1954年、ファーストディヴィジョンで前暦年において最も優れた選手に贈られるベルギー・ゴールデン・シューが始まった。

1950年代後半、スタンダールは1957-58シーズンに初めてトロフィーを掲げると、彼らは1982-83シーズンまでに8タイトルを重ね、やがてリーグ内でアンデルレヒトの最大のライバルとなっていった。1950年代後半のほかのタイトルはロイヤル・アントワープとアンデルレヒトが獲得した。1960年代にはポール・ヴァン・ヒムストのアンデルレヒトが6回(1963-64から1967-68シーズンにかけてベルギー記録となっている5連覇を含む)、スタンダールが3回、リールセが1回優勝した。スタンダールはキープレイヤーのヴィルフリト・ファン・ムルオランダ語版とともに1968-69シーズンから3連覇した。1974-75シーズンは20ものクラブが参加したリーグ史上唯一のシーズンだった。

ベルギーのクラブは1970年代からヨーロッパのカップ戦で良いパフォーマンスを見せ始めた。1975-76シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップに優勝し、クリュプ・ブリュッヘKVはUEFAカップで準優勝した(決勝でリヴァプールFCに敗れる)。1976-77シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップで準優勝し(決勝でハンブルガーSVに敗れる)、1977-78シーズンにはアンデルレヒトがカップウィナーズカップで2度目の優勝、クリュプ・ブリュッヘKVがチャンピオンズカップで準優勝した(決勝でリヴァプールFCに敗れる)。1970年代のベルギー・ファーストディヴィジョンでは、クリュプ・ブリュッヘKVが4回、アンデルレヒトが2回、ヨハンネス・ボスカンプオランダ語版を擁するRWDモレンベーク(デアリング・クラブ・ドゥ・ブリュッセル・ソシエテ・ロワイヤルの後身)、ゴールキーパーのジャン=マリー・プファフを擁するKSKベフェレンがそれぞれ1回優勝した。

1980年代 - 2020年代

1980年代、ベルギーのクラブは引き続きヨーロッパで成功を収め、1981-82シーズンでスタンダールはカップウィナーズカップで準優勝し(決勝でFCバルセロナに敗北)、1982-83シーズンでアンデルレヒトはUEFAカップに優勝した後、翌1983-84シーズンのUEFAカップ準優勝(決勝でトッテナム・ホットスパーFCに敗北)、1987-88シーズンでKVメヘレンがカップウィナーズカップで優勝した。国内リーグにおいてはアンデルレヒトが1986-87シーズンに20回目のタイトルを獲得した。これは最初のタイトル獲得から40年目でもあった。クリュプ・ブリュッヘKVとスタンダールは1980年代にそれぞれ2つ、KSKベフェレンとKVメヘレンはそれぞれ1つのタイトルを獲得した。

1990年代、ヨーロッパの大会でのベルギーチームのパフォーマンスは下降し、1989-90シーズンにアンデルレヒト、1992-93シーズンにロイヤル・アントワープがカップウィナーズカップの決勝に進出したのみだった。国内リーグではRSCアンデルレヒトとクリュプ・ブリュッヘKVが10年間にそれぞれ4つのタイトルを獲得し、そのほかの2シーズンはリールセSKとニューカマーのKRCヘンクがタイトルを獲得した。

2000年代はアンデルレヒトが2000-01シーズンのチャンピオンズリーグで2次グループステージに到達するという輝かしいスタートを切ったが、その後10年間はヨーロッパの大会ではベルギーのクラブはさしたる成功を収められなかった。リーグでは10年間にアンデルレヒトが5回、クリュプ・ブリュッヘKVが2回優勝、KRCヘンクが2度目となる優勝を果たした。10年期の終わりにスタンダール・リエージュが2連覇し、1982-83シーズン以来25年ぶりのタイトルを獲得した。2009-10シーズンにリーグは再構築され、レギュラーシーズンの後にプレーオフ・ラウンドが設けられた。アンデルレヒトは新形式のリーグを制して30回目のタイトルを獲得した。

2021年3月16日、ベルギープロリーグの総会でリーグ戦の将来について検討を行い、オランダエールディヴィジと統合して「BeNeLiga(ベネリーガ)」の創設に向けて全会一致で合意したことを発表した[5]

大会形式

  • レギュラーシーズンは16クラブによる2回総当り・ホーム・アンド・アウェー方式の全30試合が行われ、レギュラーシーズン終了後、1位から6位までのクラブはチャンピオンズ・プレーオフ、7位から12位までのクラブはヨーロッパ・プレーオフ、13位から16位までのクラブは降格プレーオフに進出する[6]
  • チャンピオンズ・プレーオフ (1位から6位) では、最初にリーグ戦で獲得した勝ち点を半分(端数切り上げ、最終的に勝ち点が並んだ場合は切り上げた分を差し引いて計算。)にした後、ホーム&アウェーの総当たり戦を行う。プレーオフ終了後、1位のクラブが優勝となる。また、プレーオフの優勝クラブにはUEFAチャンピオンズリーグのグループステージ、準優勝クラブにはUEFAチャンピオンズリーグの国内リーグ上位チーム3次予選、3位クラブにはUEFAヨーロッパリーグの2次予選の出場権が与えられる。4位クラブはヨーロッパ・プレーオフの勝者とホームで対戦し、勝者がUEFAカンファレンスリーグ2次予選の出場権を獲得する[6]
  • ヨーロッパ・プレーオフ(7位から12位)では、チャンピオンズ・プレーオフと同様に勝ち点を半分にした後、ホーム&アウェーの総当たり戦を行う。プレーオフの終了後、ヨーロッパ・プレーオフの勝者はチャンピオンズ・プレーオフの4位クラブとアウェイで対戦し、勝者がUEFAカンファレンスリーグ2次予選の出場権を獲得する[6]
  • 降格プレーオフ(13位から16位)では他のプレーオフと異なり、レギュラーシーズンの勝ち点をそのまま引き継いで、ホーム&アウェーの総当たり戦を行う。降格プレーオフ終了後、13位のクラブは自動残留。15位、16位のクラブは自動降格。14位のクラブは残留をかけてチャレンジャー・プロ・リーグ(2部)の昇格プレーオフ勝者と対戦する[6]
  • 外国人枠やEU外選手枠など国籍による規制はない。全ての公式戦で、試合のメンバーに6人以上のベルギー国内で育成された選手(国籍は問わず)が登録されていなくてはならない。

シーズン別大会名

  • 1895年 - 1904年:クープ・デュ・シャンピオナ (Coupe du Championnat) 、ベーカー・ファン・ヘット・カンピューンスハップ (Beker van het Kampioenschap)
  • 1904年 - 1926年:プルミエール・ディヴィジョン (Première Division) 、エールステ・アフデーリング (Eerste Afdeling)
  • 1926年 - 1952年:ディヴィジョン・ドヌール (Division d'Honneur) 、エールディヴィジ (Eredivisie)
  • 1952年 - 1993年:プルミエール・ディヴィジョン (Première Division) 、エールステ・アフデーリング (Eerste Afdeling)
  • 1993年 - 2008年:ジュピラー・リーグ (Jupiler League)
  • 2008年 - 現在:ジュピラー・プロ・リーグ[7] (Jupiler Pro League)

  1. ^ Newmedia, R. T. L. (2021年12月10日). “Jupiler Pro League - Victoire compliquée sous la neige pour Charleroi face à Ostende” (フランス語). RTL sport. 2021年12月11日閲覧。
  2. ^ DPG Media Privacy Gate”. myprivacy.dpgmedia.be. 2021年12月11日閲覧。
  3. ^ Sports+, DH Les (2021年12月6日). “La Pro League prend des mesures fermes suite aux incidents: les supporters visiteurs interdits dans les stades jusqu'à la fin de l'année” (フランス語). DH Les Sports +. 2021年12月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n Belgium - Final Tables 1895-2008
  5. ^ ベルギー・リーグがオランダとの合併に基本合意、「BeNeLiga」誕生か。参入候補クラブには日本人選手3名も”. サッカーダイジェスト (2021年3月17日). 2023年5月30日閲覧。
  6. ^ a b c d Ontdek het format voor het seizoen 2023-2024” (オランダ語). プロ・リーグ (2023年7月28日). 2024年2月12日閲覧。
  7. ^ Jリーグのように「冠スポンサー」を結んでいる海外の1部リーグを調べてみた”. サッカーキング (2017年4月17日). 2023年5月30日閲覧。
  8. ^ RSSSF Archive
  9. ^ 清水の遠藤がベルギー移籍”. 朝日新聞 (2000年6月17日). 2013年9月6日閲覧。
  10. ^ DMMグループがベルギー1部リーグに所属するクラブの経営権を取得。様々な面での国際交流も図る”. FootballTribe (2017年11月16日). 2017年11月16日閲覧。
  11. ^ シェフケンゴ (2021年1月14日). “2021年のゴールデンシューはオヌアチュが受賞。伊東純也は5位に”. footballista. 2022年1月15日閲覧。
  12. ^ 上田綺世、今季22ゴール目 ベルギー1部”. 日本経済新聞 (2023年5月28日). 2023年5月30日閲覧。


「ベルギー・ファースト・ディビジョンA」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ベルギー・ファースト・ディビジョンA」の関連用語

ベルギー・ファースト・ディビジョンAのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ベルギー・ファースト・ディビジョンAのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのベルギー・ファースト・ディビジョンA (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS