ジャン・シメオン・シャルダン
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ジャン・シメオン・シャルダン Jean Siméon Chardin | |
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《日除けをかぶる自画像》1775年 ルーヴル美術館 | |
生誕 | 1699年11月2日 フランス王国・パリ |
死没 | 1779年12月6日(80歳没) フランス王国・パリ |
生涯
1699年、パリで家具職人の父親のもとに生まれた[2]。1718年から歴史画を得意としていたカーズ(Pierre-Jacques Cazes)の工房に入って画業を開始。1720年にはノエル=ニコラ・コワペルにも短期間師事し、その間に静物画を描く助手をつとめたことがあるらしい。
1728年に《赤エイ》と《食卓》で認められて王立絵画彫刻アカデミーの正会員となったが、その後も生計を立てるためフォンテーヌブロー宮殿の修復作業などに参加している。1730年頃から静物画の作品が増え、台所の食器類や食材などを題材とする作品が制作されている。
1731年からはサロン・ド・パリ(官展)に出品を開始。この年にマルグリト・サンタールと結婚、11月には息子ジャン=ピエールが洗礼を受けている。
1733年頃からは風俗画の作品が増え始め、その大半が食卓の情景やカード遊びに興じる子供などセーヌ左岸の日常生活を主題とする。1735年、妻が死去。1740年にヴェルサイユ宮殿へ参内して献上した《働き者の母》と《食前の祈り》はシャルダンの作品としては特に知られている。1744年にフランソワ=マルグリト・プジェと再婚。
1752年以降、国王の年金を受けており、また1755年からはアカデミーの会計官をつとめたほかサロンの陳列委員も任され、1757年にルーヴル宮殿にはアトリエ兼住居を授かっている。これは絵画のなかで歴史画に最高の価値が置かれていた当時、風俗画家としては異例の名誉で、彼の作品の買い手や注文主の多くも、国内外の王侯貴族だった[3]。とくにエカチェリーナ2世は、サンクト・ペテルブルクにあるアカデミーの建物のために装飾画を注文しているし、他にも風俗画を含む数点のシャルダン作品を所有していた(《芸術の寓意とその報償》など)。
晩年は息子の溺死 (1772年)、アカデミー会計官の解任 (1774年)と不遇が続き、1779年に死去した。作品総数は201点[4]。
画風
ロココ美術全盛の18世紀フランスを生きた画家であるが、その作風は甘美で享楽的なロココ様式とは一線を画し、穏やかな画風で中産階級のつましい生活や静物画を描き続けた。ロココ芸術には批判的だったディドロでさえ、1769年のサロン評で「シャルダンは歴史画家ではないが、偉大な画家である」と記している[5]。
シャルダンの作品は日常的・現実的な題材や真に迫った写実表現などに17世紀オランダ絵画の影響が顕著に見られ、活躍中からフランドル絵画に喩えられていた。また彼の画面構成や陰翳描写は、しばしば後の印象派の先駆とも形容される[6]。
晩年に描かれた幾つかの自画像には、画家の実直な風貌がよく表されている。
作品
- 《赤エイ》ルーヴル美術館 La Raie
- 《食前の祈り》ルーヴル美術館 (1740年)、エルミタージュ美術館 (1744年) La bénédicité
- 《朝の身繕い(部屋着)》ストックホルム国立美術館 La toilette du matin
- 《独楽を回す少年 (さいころ独楽に見入る宝石商ゴドフロワ氏の息子)》ルーヴル美術館 L'Enfant au toton (Portrait du fils de M. Godefroy, joaillier, appliqué à voir tourner un toton)
- 《良き教育》ヒューストン美術館 La bonne éducation
- 《手紙に封印をする女性》シャルロッテンブルク宮(ベルリン) Femme occupée à cacheter une lettre
- 《ラケットを持つ少女(羽根を持つ少女)》Fillete au volant (Petite fille jouant au volant)
- 《洗濯する女》ストックホルム国立美術館 Blanchisseuse (Petite femme s'occupant à savonner)、エルミタージュ美術館
- 《女の家庭教師》ナショナル・ギャラリー(カナダ)La gouvernante
- 《働き者の母》ルーヴル美術館 La mère laborieuse
- 《たばこ入れ》ルーヴル美術館 La Tabagie
- 《カードのお城》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)Le château de cartes
- 《買い物帰りの女中》ルーヴル美術館 La pourvoyeuse
- 《シャボン玉遊び》メトロポリタン美術館 (1733-34年) 、ナショナル・ギャラリー(ワシントン)(1739年以前)、ロサンゼルス・カウンティ美術館 (1739年以降) Bulles de savon
- ^ Jean-Baptiste-Siméon Chardin French painter Encyclopædia Britannica
- ^ この節の伝記的事実は以下を参照:ピエール・ローザンベール(伊藤已令訳)「シャルダン略年譜」(『シャルダン展 静寂の巨匠』図録、三菱一号館美術館、2012);Philip Conisbee, "Chardin, Jean-Siméon" (Grove Art Dictionary, Oxford UP, 2007);Philip Conisbee, Chardin (Oxford: Phaidon, 1985)
- ^ 鈴木杜幾子『フランス絵画の「近代」』講談社、1995, p. 16
- ^ Pierre Chardin: Tout l'oeuvre peint de Chardin (Paris; Flammarion, 1983)
- ^ Denis Diderot, Salons, ed. by Seznec & Adhémar, reprinted, Oxford, 1985, vol. IV. 鈴木杜幾子「第一章 家庭という名のユートピア 母・女中・台所 — ジャン=シメオン・シャルダン」(『フランス絵画の「近代」 シャルダンからマネまで』講談社、1995, p. 36)に引用。
- ^ Pierre Rosenberg, Chardin: New Thoughts (Spencer Museum of Art, 1983)
- 1 ジャン・シメオン・シャルダンとは
- 2 ジャン・シメオン・シャルダンの概要
- 3 ギャラリー
- 4 参照
固有名詞の分類
美術家 |
フランツ・マルク 尾形乾山 ジャン・シメオン・シャルダン 井上文太 ベン・シャーン |
フランスの画家 |
ロベール・ドローネー アメデオ・モディリアーニ ジャン・シメオン・シャルダン ウジェーヌ・グラッセ ラファエル・コラン |
18世紀の美術家 |
高芙蓉 ジョサイア・ウェッジウッド ジャン・シメオン・シャルダン フランシスコ・デ・ゴヤ 東洲斎写楽 |
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