ジェイ・デメリット 経歴

ジェイ・デメリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 00:28 UTC 版)

経歴

高校時代は、サッカーに加えて、陸上競技バスケットボールの選手だった。1998年に、ポートベイ高校を卒業。

イリノイ大学シカゴ校に入学すると、NCAA(全米大学体育協会)でサッカーを引き続きプレイするが、デメリットはそこでフォワードからディフェンダーにコンバートされた。彼のプレイするチームは2000年にNCAAプレイオフに進出。大学のチームと併行して、MLSシカゴ・ファイアー傘下のシカゴ・ファイアー・プレミアでもプレイするが、大学卒業後もプロチームからの獲得オファーはなかった。そのため、友人の勧めもあり、デメリットは2003年にプロになるためイングランドに移る。これにはデメリットの祖父がデンマーク人であったため、EU内での就労許可が必要でなかったことも助けになった。イングランド渡航時、彼の所持金はわずか1800ドル。また当地で初めてプレイしたチームは当時9部に相当するリーグに所属していたサウスオール・タウンFCというクラブで、給料は週給40ポンドであった。

2004年7月、プレシーズンマッチに参加するため、デメリットは7部リーグ所属のノースウッドFCに移籍。そのノースウッドのプレシーズンマッチで、デメリットはワトフォードFC(当時はFAプレミアリーグより1つ下のリーグ、チャンピオンシップに所属)戦に出場。その試合でワトフォードの監督に好印象を与えた彼は、2週間のトライアルに参加し、そのまま1年間の契約を手にする。

2005-2006シーズン、前シーズンに引き続きワトフォードの前評判は芳しくなく、3部に相当するリーグワンへの降格が予想されていた。しかしエイドリアン・ブースロイド監督の下、ワトフォードは快進撃を続け結局3位でフィニッシュ、6チームで昇格を争うプレイオフ進出を果たした。2006年5月21日、対リーズ・ユナイテッド戦でデメリットは先制点を挙げ、マン・オブ・ザ・マッチの活躍をすると同時に、ワトフォードは3-0で勝利しプレミアリーグ昇格を決めた。

同シーズンオフ、ワトフォードはデメリットとの契約を2009年まで延長した。

2007年3月28日グアテマラ戦に先発出場し、アメリカ代表として初キャップを記録。

2007年のシーズン終了後、ワトフォードのシーズン最優秀選手に他2人と共にノミネートされた。

2010年11月18日、バンクーバー・ホワイトキャップスに移籍した。




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