シカゴ・アンド・ノース・ウェスタン・トランスポーテーション・カンパニー 旅客列車

シカゴ・アンド・ノース・ウェスタン・トランスポーテーション・カンパニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 02:24 UTC 版)

旅客列車

400を牽引するE-4形。1942年、シカゴにて。

C&NWにおいてもっとも有名な列車は、1935年から運転されたシカゴとツイン・シティズとを結んだ400である。列車名は同区間の距離が約400マイル(640キロメートル)を400分で結ぶことにちなむ。この列車は、シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道(CB&Q)のツインゼファーミルウォーキー鉄道(MILW)のハイアワサ等を競合相手とするものであった。

両都市間を高速で連絡するというシステムを最初に確立したのはC&NWであった。ただし、従来の車両を更新して列車に充当しており、新型のE3A機関車が牽引する流線型の新型客車が投入されたのは1939年であった。

C&NWは後に400ツイン・シティ400と改名した。それは、C&NWは他の旅客列車にもロチェスター400、ケイト・シェリー400など400を冠した列車名を付与していたためである。ツイン・シティ400は1963年まで運行が続けられ、その他の旅客列車はアムトラックが成立した1971年まで存続した。

また、C&NW はUPやサザン・パシフィック鉄道と連携して長距離の旅客列車を運行した。オーヴァーランド・リミテッドシティ・オブ・ロサンゼルスシティ・オブ・サンフランシスコ、シティ・オブ・デンバー、そしてチャレンジャーである。これらの運行は1889年から1955年まで続いた。シカゴへ行くルートが、C&NWから線路の状態のよりよいミルウォーキー鉄道に切り替えられたのである。

特記事項

左側通行

アメリカでは、複線区間では一般的に右側通行であるが、C&NWの列車は左側通行である。その経緯をレイクフォレスト (イリノイ州)駅を例に見てみると、線路の増設や利用客の動向、そして施設の移設費用がその理由であることがわかる。すなわち、建設時は単線であり、ホームと駅施設はシカゴ方向に対して左側に配置していたが、のちに複線化された際に増設された線路は右側に配置された。ほとんどの乗客はシカゴ行きの列車に乗るため、シカゴに向かうホームはそのまま駅施設に近い側、進行方向左側のものを使用した。また、信号機類の移設に多額の費用がかかることも、これらを改良することの妨げとなった、というものである。

中古と倹約

C&NWは、他の鉄道会社から中古で物を購入することが多い。C&NWの工場は可能な限り経済的に物事を処理しており、C&NWをもって"Cheap and Nothing Wasted"(安価に、かつ無駄なく)の略であるという言説もある。写真のE8に見られる工程を省略した運転台の造形に、そうしたことが端的に表れている。

競合相手

1985年までの競合相手はミルウォーキー鉄道であったが、同鉄道が破綻した後はスー・ライン鉄道がもっぱらの競合相手である。


  1. ^ Chicago & North Western 1385”. midcontinent.org. 2007年9月10日閲覧。






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