コーリー・ナカタニ コーリー・ナカタニの概要

コーリー・ナカタニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/26 15:27 UTC 版)

コーリー・ナカタニ
2008年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州コビーナ
生年月日 (1970-10-21) 1970年10月21日(52歳)
騎手情報
所属厩舎 {{{厩}}}
初免許年 1988年
免許区分 {{{区}}}
騎手引退日 2019年
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来歴

日系2世の父と競馬を観に行ったのがきっかけで騎手となる。1988年カリフォルニア州の競馬学校を卒業し、メキシコアグアカリエンテ競馬場でデビューする。デビュー3年目の1990年にはイッツオールグリークトゥーミー(Itsallgreektome)でハリウッドターフカップステークスを制してG1勝ちを収め、以後もアメリカ競馬における騎手リーディング上位の常連として活躍している。

ブリーダーズカップの制覇経験も多く、1996年にはブリーダーズカップ・ディスタフをジュエルプリンセスで、ブリーダーズカップ・スプリントをリットデジャスティスで制している。特にスプリントは1996年から1998年までで3連覇を達成している。

その他の主な勝鞍として、ラヴァマンによる2連覇を含み3度制したサンタアニタハンデキャップ、1991年にライトライトで制したケンタッキーオークスコーチングクラブアメリカンオークスなどがある。また国外での競走経験もあり、ドバイではドバイゴールデンシャヒーン(2004年)を、カナダではカナディアンインターナショナルステークス(2005年)などを制している。

日本へも来訪しており、初来日は1992年のヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップへの出場時であった。この来日中に、中山3Rの未勝利戦で、1番人気だったニホンピロナーリーに騎乗して勝利し、中央競馬(JRA)初騎乗初勝利を記録している。また第66回中山記念では4番人気だったニホンピロブレイブでJRA重賞初騎乗を果たし2着になるなどの活躍も見せた。1996年には第11回ワールドスーパージョッキーズシリーズに初参戦、結果は6位に終わった。

ジャパンカップへの出走経験も多く、初の機会は1994年の第14回ジャパンカップにサンドピットと共に出走、1番人気に支持されるも5着に敗れている。翌年1995年には再びサンドピットと共に出走するも、3番人気で8着に終わった。その後も2002年(サラファン)・2003年(デノン)にも出走し、2002年には勝ち馬から僅差の2着に入っている。2005年に第6回ジャパンカップダートラヴァマンと共に出走、6番人気で11着という結果であった。

2018年8月4日のデルマー競馬場でのレースで落馬重傷。その後復帰を目指していたが、2019年11月23日に引退を発表した。

主な騎乗馬

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