グスタフ・シュレーゲル グスタフ・シュレーゲルの概要

グスタフ・シュレーゲル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 07:36 UTC 版)

グスタフ・シュレーゲル

略歴

シュレーゲルは1840年にウフストヘーストで生まれた[1]。父は動物学者として知られ、ライデン博物館長をつとめたヘルマン・シュレーゲルである。

シュレーゲルは9歳のときから日本学者としても知られるヨハン・ヨーゼフ・ホフマン中国語を学び、1857年には父の標本を収集するために中国を訪れ、マカオアモイに滞在した[2]。1863年にはヒガシシナアジサシに関する最初の記述を行った[2]

1862年からバタヴィアでオランダ植民政府の通訳として働いた。この時代に天地会に関する著書を出版した。1869年にイェーナ大学の博士の学位を取得した[2]

オランダに帰国後、1873年からホフマンにかわって中国語通訳の養成を行った[3]ライデン大学に中国語の講座が設けられると、シュレーゲルは1875年にその初代教授に就任し(1877年から正教授)、1903年に没するまでその職にあった(後任はヤン・ヤーコプ・マリア・デ・ホロート[2]

1887年フランス文学院よりスタニスラス・ジュリアン賞を受賞。1890年に、フランスのアンリ・コルディエとともに中国学の雑誌『通報』を創刊した。

主な著書

翻訳に、『花箋記』のオランダ語訳や、『今古奇観』のフランス語訳がある。

日本との関係

ヨーロッパに滞在していた博物学南方熊楠と論争を行った。




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