カール5世 (神聖ローマ皇帝) 容姿

カール5世 (神聖ローマ皇帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 23:23 UTC 版)

容姿

両親の血を引いて生まれつき顎の筋力が弱く、下顎前突症であり、また幼少期の病気により鼻腔が閉塞気味であったため、多くの肖像画でも見られる通り、一見すると非常に下顎が突出しているように見え、常に口の開いた状態だったとされている。

子女

ティツィアーノ・ヴェチェッチオの『ポルトガル王女イザベルの肖像』。プラド美術館所蔵。

1526年3月10日にセビリアの王宮で、ポルトガル国王 マヌエル1世の王女で、互いに母方の従兄妹であるイサベルと結婚した[29]。前年の1525年にイサベルの兄ジョアン3世とカール5世の妹カタリナが結婚するという二重結婚であった。また、カール5世の姉レオノールは1518年にマヌエル1世の3番目の王妃となったが、マヌエル1世とは1521年に死別していた。

イサベルとの間には3男2女が生まれた。うち男子2人は夭逝した。

人の良い性格であったため、貴族身分の母から庶子が生まれれば認知し、商人・工人身分の母から子が生まれれば修道院などへ入れた。うち有名なのは、ヨハンナ・ファン・デル・ヘインストが儲けたマルガリータ(1522年 - 1586年)と、バルバラ・ブロムベルクが儲けたレパント海戦の英雄ドン・フアン・デ・アウストリア(1547年 - 1578年)である。事跡の不明な子女としては、祖父フェルナンド2世の後妻ジェルメーヌ・ド・フォワが儲けた女子イサベル (esと夭折した子、オルソリーナ・デッラ・ペンナが儲けた女子タデア、母不詳の女子フアナ、などが知られている。

人物

カール5世は必ずしもフランス人の血を色濃く引いているわけではなかったが、フランスパリをこよなく愛した。当時の貴族の常として、西欧最大の都市にして西ヨーロッパ社交界の中心都市であったパリに数回滞在しており、フランス社交界でも「シャルル・カン」(フランス語: Charles Quint)として知られていた。父・フィリップも親仏派だったといわれるが、カール5世は「パリはもはや都市というより、一つの世界だ」(ラテン語: Lutetia non urbs, sed orbis.)と言ったと伝えられる。最もよく使ったのもフランス語だったが、皮肉なことに政治的にはフランス国王と生涯にわたり激しい対立関係にあった。

スペイン国王として、また神聖ローマ皇帝として、生涯かけてヨーロッパ全土を回り、北アフリカにまで足を伸ばしている。多言語話者であったと言われており、カール5世の言葉として伝えられる有名なものに"I speak Spanish to God, Italian to women, French to men and German to my horse." 「スペイン語は神への言葉、イタリア語は女性への言葉、フランス語は男性への言葉、ドイツ語は馬への言葉」というものがある。しかし、実際にカール5世が不自由なく完璧に話すことができたのは、母語のフランス語のほかは、スペイン統治者として本格的に学習・使用したスペイン語くらいであった。ドイツ語とイタリア語については完全ではなく、ラテン語も話せたが不十分であった[30]


注釈

  1. ^ 実質ドイツ王。先代マクシミリアン1世は教皇からの戴冠なく皇帝を名乗り、以後選帝侯に選ばれたローマ王(ドイツ王)は「選ばれたローマ皇帝」を称した。
  2. ^ カール大帝以来、皇帝は教皇による戴冠を経て即位する伝統があった。
  3. ^ 欧米語では、欧米の歴史上の人物の名前は自国語で表すことが多く、この人物の名はドイツ語ではカール、スペイン語ではカルロスであるが、スペインではCarlos I de España、Carlos V de Alemania(カルロス・プリメーロ・デ・エスパーニャ、カルロス・キント・デ・アレマニア)のように呼ぶ。このような場合、日本語では各君主号に関連する言語における名前で呼ぶことが通常であるため皇帝としてはドイツ語名で、スペイン国王としてはスペイン語名で呼ぶことが通常である。
  4. ^ この間にローマ劫掠事件も起こった
  5. ^ ブルゴーニュ伯領・フランシュ=コンテ地域圏は保持
  6. ^ のちのハプスブルク=ロートリンゲン家

出典

  1. ^ 菊池、p. 196
  2. ^ 江村 1992、p. 10
  3. ^ 江村 1992、p. 12
  4. ^ 江村 1992、p. 13
  5. ^ 江村 1992、p. 16
  6. ^ 江村 1992、p.32
  7. ^ 江村 1992、p. 19
  8. ^ 江村 1992、p. 23
  9. ^ 江村 1992、p. 33
  10. ^ 江村 1992、p. 34
  11. ^ 江村 1992、p. 38
  12. ^ 江村 1992、pp. 35-36
  13. ^ ガレアーノ、p. 78
  14. ^ 江村 1992、p. 37
  15. ^ ガレアーノ、pp. 75-77
  16. ^ 江村 1992、p. 47
  17. ^ 江村 1992、pp. 90-92
  18. ^ 江村 1992、p. 43
  19. ^ 江村 1992、p. 108
  20. ^ 江村 1992、pp. 148-150
  21. ^ 江村 1992、p.224
  22. ^ 江村 1992、p. 237
  23. ^ 江村 1992、pp. 268-269
  24. ^ 江村 1992、p. 280
  25. ^ 江村 1992、pp. 326-327
  26. ^ 江村 1992、p. 327
  27. ^ 藤田、pp. 40-41
  28. ^ 江村 1992、pp. 329-331 / 江村 2013、pp. 354-356
  29. ^ 江村 1992、pp. 83-84
  30. ^ ドミンゲス・オルティス、pp. 152-153





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