オノ・ヨーコ その他

オノ・ヨーコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 22:27 UTC 版)

その他

  • ヨーコは、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督作品の映画『ショートバス』に出演したため、DJを務めるラジオ局から解雇を言い渡されたスックイン・リー英語版の解雇を取り消すように、ラジオ局に抗議の手紙を送った著名人の1人。映画の公式ホームページに公開された手紙の内容は「検閲制度が暴力よりセックスを拒否するのは悲しいわ。そんな風にセックスを怖がっているから社会から暴力がなくならないのよ。くたばれ検閲制度!」。彼女の他に、フランシス・フォード・コッポラマイケル・スタイプジュリアン・ムーアなど著名人が手紙を送り、結果、解雇は取り消された。
  • 2007年10月9日、アイスランドの首都レイキャヴィーク市、ヴィーゼイ島において、レノンと共に40年前から想い描いて来た世界の平和を願う光の塔『イマジン・ピース・タワー』を完成させた[15]。完成披露の点灯式典では、リンゴ・スターやオリビア・ハリスン、ショーン・レノン、キョーコ・コックスらの多数の参列者が見守るなか、ヨーコの点灯スピーチに続いて、レノンが歌う「イマジン」が流され、光の塔が点灯された。『イマジン・ピース・タワー』は、ウィッシング・ウエル(Wishing well 願いの井戸)と命名された光の源から、天空に立ち昇る壮大な光の塔で、ヨーコの光のアート作品であるとともに、世界平和を希求するパブリック・アート作品でもある。
  • 夫婦仲は当初非常に良かったが、1974年ごろには冷えていた。レノンがベニ・パンと交際したのは、この時期である。後に修復している。
  • イラク戦争時、「イマジン」をラジオで流すことが禁止になった。ヨーコは、新聞にImagine Peace広告を出した。
  • 夫、ジョン・レノンの生誕・没後何年というメモリアル・イヤーには、イベントやCMに出演している。
    • 2000年:ジョン・レノン・ミュージアムをオープン。自身の作品も含めた、数多くの展示品を提供する。10月9日のオープンのために来日し、同館にて挨拶を行った。
    • 2005年(生誕65年・没後25年):精密機械・フィルム・メーカーのCMに出演。内容は、まず自身が出演する映像が登場し「PHOTO IS(写真は)」と英語で語り、その後、レノンと自身が登場する写真が登場。「写真は愛」「 - あなた」「 - メッセージ」「 - 思い出」「 - 家族」「 - 笑顔」「 - 平和」と、日本語・英語双方の自身のナレーションが入り、そして前の映像が再び登場、というもの。もちろん、大半が平和のメッセージというべきものである。2006年からも、リニューアルされて放送された(内容は、写真が生前のレノンとヨーコのものから子供を写したものと、ナレーションが冒頭とエンド以外が変更されているというもの)。
  • 2006年、トリノオリンピック開会式に出演し、平和についてを語った。直後、ジョン・レノンの「イマジン」が流れた。4月11日、内閣総理大臣に対し、作者の死後50年に限っている日本の著作権の期限を死後70年まで延長するよう要求する手紙を(渡辺美佐を通じて)提出した。
  • ヨーコの従弟で保守派の評論家、加瀬英明のインタビューを何度か受けている。
  • レノンを無断で使用すると「彼女(=オノ・ヨーコ)から抗議が来る」という説があり、代表的な例としては、営団地下鉄(現:東京メトロ)アンディ・ウォーホル作のレノンのコラージュを無断で色々な所に使用した結果「やめて」と抗議され、使用中止にしたというものがある。お笑い芸人の山下真治がモノマネで「ジョン・レノ」を名乗った際、抗議の可能性があり中止したことがある。評論家・中山康樹(2015年死去)はレノン賞賛、ヨーコ批判の先頭的人物であった。
  • 2008年12月10日、京都精華大学の40周年記念事業で来学。パフォーマンスとレクチャーを行う。
  • レノンは、ヨーコに出会う前に、アジア系の女性が自分を救ってくれる夢をみていた。また、アーティストである恋人を持つのが夢だった。レノンが、ヨーコに出会った際の感動を表した言葉は「俺より頭のおかしな奴がいる!」である。これは俺より才能があるという意味の最大の褒め言葉である。レノンは、ヨーコが先生で自分が生徒だと発言している。
  • ジョン・レノン・スーパーライブで「彼は私にたくさん"I love you"と言ってくれた。私ももっとたくさん言えばよかった」と涙し、参加アーティストの1人がヨーコを抱きしめた。
  • 2008年秋、学習院女子大学で講演会を行った。そこでの発言は以下である。「私たちはすべてを与えられている。退屈なんてありえない」「人生はまだまだ途中」「幸せな気持ちの人が増えればそれは連鎖し世界平和につながる」
  • LOVE PSYCHEDELICOの二人はヨーコの大ファンであり、音楽番組「僕らの音楽」で対談した際、二人を見たヨーコは「昔のあたしたちを見てるみたいで嬉しいわ」と発言した。
  • YUKIもヨーコのファンであり、自身の曲中「リスペクトヨーコオノ!」と叫んでいる。
  • Fantastic Plastic Machineの「Beautiful.」というアルバムはYoko Ono Lennonとマルセル・デュシャンに捧げられている。
  • 「貧乏には耐えられる でもさみしさは さみしさには耐えられない」と語っている。
  • 英語圏では現在でも、オノ・ヨーコはレノンを惑わし、ビートルズを解散に追い込んだとする印象から、グループ、特に男性のバンド仲間や友人との関係を妨害、または混乱させる女性の例え(日本語でいうサークルクラッシャーに相当する)に使われる。近年の例では、コメディアンのZiwe Fumudohが、「メーガン妃英王室をオノ・ヨーコした」とツイートし、大きな反響を呼んでいる[9]

注釈

  1. ^ このエピソードは『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の中でもレノンの証言によって紹介されているが、フィリップ・ノーマン著『シャウト!ザ・ビートルズ』などの書籍では「鉄板に釘を打つパフォーマンスを試したいというレノンのリクエストにヨーコが難色を示したところ、レノンは『君に空想のお金を払って僕は空想の釘を打とう』と提案し、それがヨーコを感動させた」という別のエピソードが紹介されている。
  2. ^ メイン・ホールではなく258席の会場
  3. ^ "June with spoon"は、適当にを踏んだだけの内容のない歌詞という意。

出典

  1. ^ a b c d Phares, Heather. Yoko Ono | Biography & History - オールミュージック. 2021年4月18日閲覧。
  2. ^ a b Olivia B. Waxman (2019年3月25日). “Behind the Photo: How John Lennon and Yoko Ono Came Up With the Idea of Their Bed-In for Peace”. TIME. 2023年10月20日閲覧。
  3. ^ 安田善三郎 歴史が眠る多磨霊園 2020年2月21日閲覧
  4. ^ 小野節子『女ひとり世界に翔ぶ ― 内側からみた世界銀行28年』講談社、2005年8月30日。ISBN 4-0621-3013-0 
  5. ^ オノ・ヨーコ#芸術活動参照
  6. ^ Steve Dougherty, “ Oh Yes! Ono Turns 70” (2003), Oh Yes! Ono Turns 70, ピープル(2003)
  7. ^ Yoko Ono, “Celling Painting (YES Painting)” (1966), YES YOKO ONO, Mito Arts Foundation (2003)
  8. ^ ジョン・レノン・ミュージアム・プログラム 2000.
  9. ^ a b メーガン妃が英王室を「オノ・ヨーコした」 海外で相次ぐツイート”. J-CAST ニュース. J-CAST (2020年1月10日). 2020年10月3日閲覧。
  10. ^ 映画評論』1967年6月号、12-13頁、「アングラ旋風、ロンドン上陸 小野洋子のオヒップ・シネマ」。
  11. ^ No. 4 - IMDb(英語)
  12. ^ 飯村 1992.
  13. ^ “Paul McCartney: Yoko Ono did not break up the Beatles”. The Guardian (Guardian Media Group). (2012年10月27日). https://www.theguardian.com/music/2012/oct/27/paul-mccartney-yoko-ono-beatles-david-frost 2021年4月18日閲覧。 
  14. ^ Herbert, Ian (2005年10月15日). “Yoko Ono claims she was misquoted over McCartney outburst”. The Independent. Independent News and Media Limited. 2005年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月18日閲覧。
  15. ^ ABOUT IMAGINE PEACE TOWER”. IMAGINE PEACE TOWER. 2021年4月18日閲覧。






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