エンドレスナイト 番組とイベントの融合

エンドレスナイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 16:52 UTC 版)

番組とイベントの融合

視聴者参加の場を様々な形で求めたエンドレスナイトが、その本領を発揮したのは大晦日のオールナイト生放送や、様々なイベントである。

視聴者参加企画

視聴者参加のイベントは数多く行われたが、中でも大規模だったのは「海外演技者(えんぎもの)シリーズ」と呼ばれる、ギャルズ卒業記念に行われた海外でのドラマ撮影に、一般視聴者が参加する企画である。近畿日本ツーリストとのタイアップサイパンタイのほか、1988年(昭和63年)には、ニューヨークツアーを敢行した。

もちろん国内でも関西地方を中心に大小様々なイベントや視聴者参加企画が行われたが、これらにも多くの参加者が集結、番組のパワーを見せつけた。近畿各地で開催された人気企画「ウルトラ風クイズ」は数回に亘り開催された。また、高校生を集めてのティーチイン企画「ほんわかフェスタ」は、高校生視聴者のために日中の公開録画の形式で行われた。この他にも近畿各地で開催された祭りやイベントには、視聴者とギャルズ、スタッフが一体となって参加。視聴者との距離が近い、ローカルの深夜番組の姿勢を全面に出した。

大晦日のオールナイト生放送

毎年大晦日深夜(元日未明)は「ゆく年くる年」の後、午前1時すぎから朝6時まで「エンドレスナイトスペシャル」と題し、オールナイトで放送され、大規模な企画が数多く展開された。

開局30周年イベントとエンドレスナイト

1989年(平成元年)4月15日・16日、吹田市万博記念公園で、関西テレビの開局30周年記念イベント「MAGMA30」が開催された。2日間、総放送時間14時間に亘って、関西のお笑いタレントや、同局でレギュラー番組を持つタレントが総出演し、人気番組の公開放送やイベントが数多く繰り広げられた。

当初の予定では、このイベントは前年、1988年(昭和63年)11月19日・20日(関西テレビ開局記念日直近の週末)に開催される予定だったのだが、昭和天皇の入院・闘病により、日本全国で様々な催し物が「自粛」したため、昭和天皇入院直後の9月中旬、関西テレビは「延期」を決定した。元号が平成に改まった1月、改めてイベント開催が決定された。なお、番組も昭和天皇の病状を伝える報道特別番組の放送のため、1988年(昭和63年)9月22日の放送が、さらに昭和天皇崩御に伴う特別編成のため、1989年(昭和64年)1月7日(正確には平成元年1月8日)の放送と計2回、放送休止になっている。

こうした状況ののち、華々しく開催された「MAGMA30」。この時、エンドレスナイトは会場内にグッズショップをオープン。全国区で人気を誇るタレントの店やフジテレビグッズの店なども並ぶ中、前々年の「夢工場'87」に続き、売り上げ1位を記録した。また、15日が土曜日ということもあって、当日深夜の通常放送枠では「開局30周年記念クイズ」を放送し、関西テレビの当時の社長も出演した。

さらに2日間のイベントと生放送を締めくくるグランドフィナーレを、エンドレスナイトのスタッフが担当。ばんば・兵藤も出演したこともあって、会場の同公園の「お祭り広場」には観客が殺到し、一時は警察から中止命令が出る事態になった。しかし、2人の観客への説得もあってイベントは続行。会場では超大型の「エンドレスナイトスーパーサイズステッカー」が7000枚配布された。これを手にした観客とともに、番組のテーマ曲であり、関西テレビ開局30周年記念のテーマソング「DEAR MY FRIEND」を合唱して、大団円を迎えた。

この時、グランドフィナーレの演出を担当した苧木晃ディレクターは、エンディングに制作スタッフの名前を出さず、代わりに視聴者へのメッセージとして「今日までのあなたにありがとう、そして今日からも…We're always with you」の文字を流した。番組が提唱し続けた「イベントと放送の合体」は、こうした局を挙げた一大イベントの場でも成功を収めた。


注釈

  1. ^ この意向は関西テレビのみならず在阪のテレビ局には共通で見られた。特に厳しかったのは朝日放送テレビであり、当時のテレビ朝日のお色気番組の看板であった『トゥナイト』を一切受けずに『ナイトinナイト』を立ち上げたのはこの所以である。
  2. ^ その後、当時の郵政省からのクレームで「オールナイトフジ」からもお色気が排除された
  3. ^ 上岡は『歌って笑ってドンドコドン』(ラジオ大阪)を関テレの特設スタジオから生放送するため途中退席。(一部テレビとラジオでサイマル放送)

出典

  1. ^ a b c 日本民間放送連盟編「制作ノートから "君だけ"の、夢のある面白情報番組 エンドレスナイト / 上沼真平」『月刊民放』第15巻第5号、日本民間放送連盟、1985年5月1日、37 - 39頁、NDLJP:3470993/19 
  2. ^ a b 日本民間放送連盟編「これぞローカル番組 在阪・在名テレビ10局」『月刊民放』第18巻第7号、日本民間放送連盟、1988年7月1日、14頁、NDLJP:3471031/8 
  3. ^ 嵐山メディアギャラリー・憧屋のホームページ
  4. ^ あの人気深夜番組が復活!?「勝手にエンドレスナイト」を、カンテレドーガCHANNELで配信 | 企業情報 | 関西テレビ放送 カンテレ 2021年8月22日



エンドレス・ナイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/23 02:56 UTC 版)

『エンドレス・ナイト』Endless Night)は、2015年のドラマ映画。監督はイザベル・コイシェ。スペイン=フランス=ブルガリア合作。


  1. ^ Isabel Coixet's Nobody Wants the Night to Open the 65th Berlinale”. ベルリン国際映画祭. 2015年1月10日閲覧。
  2. ^ Barraclough, Leo (2015年1月9日). “Berlin Film Festival to Open with Juliette Binoche Starrer ‘Nobody Wants the Night’”. バラエティ. 2015年1月10日閲覧。
  3. ^ Endless Night - Metro Films International”. 2017年1月8日閲覧。
  4. ^ Peter Bradshaw. “Berlin 2015 review: Nobody Wants the Night – Juliette Binoche's Arctic role requires more defrosting”. ガーディアン. 2016年4月3日閲覧。
  5. ^ SensaCine. “Nadie quiere la noche: Críticas de prensa”. SensaCine.com. 2016年4月3日閲覧。
  6. ^ 'The Bride' Leads Spain's Goya Award Nominations”. ハリウッド・リポーター. 2015年12月28日閲覧。


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