エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840) エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)の概要

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)の解説 > エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)の概要 

エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 05:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
Elisabeth von Braunschweig-Wolfenbüttel
プロイセン王太子妃
エリーザベト・クリスティーネ(ヨハン・ゲオルグ・ジエセニス画、1765年頃)

全名 エリーザベト・クリスティーネ・ウルリケ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
身位 王太子妃
出生 (1746-11-09) 1746年11月9日
神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領、ヴォルフェンビュッテル
死去 1840年2月18日(1840-02-18)(93歳)
プロイセン王国シュテッティン
埋葬 1849年7月19日
プロイセン王国シュテッティン
配偶者 フリードリヒ・ヴィルヘルム2世
子女 フリーデリケ・シャルロッテ
家名 ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家
父親 ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯カール1世
母親 プロイセン王女フィリッピーネ
テンプレートを表示

生涯

ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯カール1世とその妃であったプロイセン王女フィリッピーネの三女として生まれた。プロイセン王フリードリヒ2世の王妃で同名のエリーザベト・クリスティーネは父方の叔母に当たる。

1765年7月、当時プロイセン王子だった従兄のフリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚した。フリードリヒ・ヴィルヘルムとの間に1女をもうけた。

1769年、エリーザベトの不義密通を理由としてエリーザベトとフリードリヒ・ヴィルヘルムの結婚は解消された。エリーザベトはシュテッティンの自邸に押し込められ、1840年に93歳の高齢で死去するまでの71年間囚われの身で過ごした。




「エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)」の関連用語

エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル (1746-1840) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS