エニグマ (暗号機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 02:50 UTC 版)
解読
1920年代にドイツ軍は3ロータ型のエニグマを運用開始し、1930年代に入るとイギリス、アメリカ、フランスがこの3ロータ型のエニグマ解読を試みたが不成功に終わった。
1932年、ポーランド軍参謀本部第2部暗号局(en)の数学者マリアン・レイェフスキ(当時27歳)と、彼のポズナン大学における後輩ヘンリク・ジガルスキとイェジ・ルジツキ[注釈 1]は、1932年ころ初期型を解読した。これはフランス情報部のスパイが、ベルリン暗号局シフリーシュテーレで勤務するハンス=ティロ・シュミット[注釈 2]から得た情報[注釈 3]から推察される構造を復元したエニグマを用いて解読された。元々がエニグマ実機が敵国側に堕ちることを想定され設計された暗号機であったので、レイェフスキにより解読された時点で実質エニグマは原理的に敗北したも同然であるといえよう(実のところ、レイェフスキの上司であるランゲル少佐はフランス側からローターの日毎の配置を記したコードブックも得ていた。が、戦争激化時のスパイ行為の難しさを見越して独力で解かせることにしていたという)。レイェフスキは「ボンバ」という暗号解読機を6台制作、ジガルスキは6枚のコードシート「ジガルスキ・シート」を6枚製作して、当時のドイツが使用していたもの(基本的に3ロータで、6つのホイールオーダーを可能としていた)より複雑なエニグマでも解読できるようにまで発展させた。
ところがドイツ側はローター数やプラグ数を2つ追加、これによりホイールオーダーは原理的に6から60に増加、暗号をより強固なものとした。ポーランド暗号局は当時6台制作したボンバとジガルスキ・シートにさらにそれぞれ54台、54枚を追加しなければ太刀打ちできない状況になった。原理は同じものであるから理論的にはレイェフスキの手法で新しいエニグマの暗号解読は十分可能であったが、ドイツとの戦争が差し迫っている中、ポーランド側には54台のボンバと54枚のジガルスキ・シートを追加制作し運用するために割く時間も予算も人員も足りなかった。既にドイツの独裁者であったヒトラーはポーランドへの強硬的な発言を強めており、ポーランドでは危機感が募るばかりで、ドイツが侵攻してくればポーランド側が独自に国土防衛を行いながらボンバを用いた新エニグマ解読作戦を継続することは考えられなかった。のちにレイェフスキはこう述べている:
「僕らは新しいロータの回路をすぐに把握したが、その導入部はロータの配列が6から60に増加することを可能としていた。だからそのため解読の鍵を見つけるのにこれまでの10倍の労力が必要となってしまったわけだ。つまりこの変化というのは本質的なものではなく単に量的なものであった。だから僕らは、ボンバを運転したり、穿孔シートを製作したり、その穿孔シート操作したりするための人員をずっと増やさなければならない状況になっていたのだ。」
もはやボンバの改良や人員の強化は開戦に間に合わないと悟ったランゲル少佐は、やむなくイギリス・フランスの情報担当官を緊急でワルシャワに招き、"解読不可能"とされていたエニグマ解読の成果(bombe等)を披露し、旧式とはなっていたがドイツ軍用エニグマのレプリカを送呈した。その結果イギリスの政府暗号学校 (GC&CS) のアラン・チューリングが、1939年秋には電動式の暗号解読機「ボンブ」の設計を行った。ポーランドのレイェフスキ・ボンバがエニグマ解読専用の設計であったのに対し、このイギリスのチューリング・ボンブはいわゆるクリブ方式の暗号一般に対応できるよう設計された。そのためには大西洋上のドイツの気象観測船を奇襲により捕獲したり、損傷して自沈のために浮上したUボートを捕獲したりしてエニグマの実物や暗号書を手に入れることが不可欠だった。
イギリスの諜報機関内で解読作業をしたグループはUltra(ウルトラ)と呼ばれ、解読情報はUltra情報と呼ばれた。Ultraの作業は戦時中はもちろん戦後も極秘とされ、1974年にその内実を記した書籍が出版される[1]まで世間に知られる事は無かった。そのためチューリングら関与した科学者は戦後にその功績に見合った評価や待遇を受けられず不遇の日々を送る事となった。
エニグマ解読には5つの方法、そしてモチベーションが必要とされた。どれもが重要な役割を果たし、タイムリーな解読のために相互に補完した。
学理的な解読
群論によるローター配線解析の成功。これは解読者に数学よりも語学のセンスを要求したイギリスの方針を転換させた。
機械による解読
アラン・チューリングが開発した多数の暗号解読機「ボンベ (Bombe)」による総当り攻撃。
スパイや捕獲による暗号機(書)の入手
単に解読が可能になったのみならず、捕獲できなかった部分に対しての解読が容易になった。
運用する人間の心理を突いた解読
- 思いついた文字やキーボードの並びから、開始符を決める悪癖。
- 規約更新直後のローター開始位置に無意識の偏りがあること("Herivel tip"と呼ばれる)。
- ローターを入れ替えする際に前回と同じ位置に同じローターを避ける心理。
- ドイツ軍は各メッセージを一時的な鍵で暗号化し、その鍵を日鍵と呼ばれる一日変更されない鍵で暗号化してメッセージと共に送信していたが、初期は間違いを避けるため送信する鍵を反復していたこと。
交信解析
無線コールサインを解析し、送信・受信者や重要度、内容までも推定すること。クリブが最大限に活用された。
解読のきっかけとなった「モチベーション」
フランス情報部のギュスターヴ・ベルトラン大尉はスパイであるシュミットから以下の情報を受け取った。
- ローターI,II,IIIの配列
- 各ローターに装着するアルファベットリングの位置。
- 共通鍵用のローター開始位置
- プラグボード配線
ベルトラン大尉はまず自国の暗号家であるバジェールに入手した情報を見せたが、専門家の返答は「この資料だけでは何も出来ない。エニグマ模造機を作るにはローター配線情報が必須だ」と否定的な意見だった。次に当時友好的であったイギリス情報部のウィルフレッド・ダンダーデイルに話を持ち掛けたが、情報は役に立たないと判断された。最後にベルトラン大尉が相談したのがポーランドであった。解読チームBS-4の幹部ランゲルに面会したところ、ランゲルは積極的な態度を示し「我々は貴方がた(英仏解読者)とは(ドイツに対する恐怖感からの)モチベーションが違います」とコメントした。
64年ぶりの解読
2006年2月、未解読のままになっていた三つの暗号文の内の一つが、ドイツのアマチュア暗号解読家とインターネット上の仲間による共同プロジェクトM4 Projectによって解読された。M4 Projectは、分散コンピューティングを使用したブルートフォースアタック(総当たり攻撃)によってエニグマ暗号文を解読しようとするプロジェクトで、解読された内容はUボートが発信した「敵を追跡している」という内容のものであった[2][3]。同年3月には2つ目の暗号も解読され、2013年1月には最後の暗号も解読された。
注釈
- ^ ポーランド暗号局では、これまで各国の機関や王室が語学的素養のあるものを採用していたことに対し、(ドイツ語に堪能な)数学者を中心に採用した。
- ^ ハンス=ティロ・シュミットの兄ルドルフはエニグマを採用した通信隊の隊長である。弟のハンス=ティロは軍を追い出され事業には立て続けに失敗していたが、兄はエニグマの採用で成功しており、兄への恨み・妬みと失望感から売国行為に走っていたという。ハンス=ティロは作戦要員の裏切りから1943年に逮捕され、獄中で自殺した。
- ^ 軍事協定により得た情報は相互に共有することになっており、価値を見出せなかったフランス当局は"エニグマに関する情報"に興味を示していたポーランドに情報を与えた。
出典
- エニグマ (暗号機)のページへのリンク