ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート 開業の経緯

ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 13:40 UTC 版)

開業の経緯

計画

ウォルト・ディズニー(左)、ロイ・O・ディズニー(右)、当時のフロリダ州知事ヘイドン・バーンズ(中央)、ディズニー・ワールド建設の発表会見にて(1965年

1959年、ウォルト・ディズニー・プロダクション(現:ウォルト・ディズニー・カンパニー)は、ディズニーランドの来客者数が順調に増加していった事を踏まえ、第2のディズニーランドを作る計画を発案。その建設地を探し始めた。当時の調査によると、カリフォルニアにあるディズニーランドには多くの客が訪れていたものの、東海岸から来る客は全体のわずか5%だった。この当時、東海岸は全米の75%の人口を有しており、まだまだ客層を広げるチャンスがあると考えた。

さらに、ウォルト・ディズニーはディズニーランドの名を使って商売する他の企業に嫌気がさし、周囲の環境までコントロールできる巨大な土地を求めていた。1963年11月、ディズニー社は候補をいくつかの土地に絞った。そして湿地帯のため手を出す人は少ないため土地の値段も安く、近くで高速道路や空港が建設途中だったフロリダ州オーランドに決定した。しかし他者に「フロリダ・プロジェクト」と呼ばれるこの計画を知られないよう、土地の購入はいくつもの身代り会社を用いて行われた。

しかしほとんどが沼地であるこの地に大規模な施設を建設することは容易ではなく、まず大規模な土壌改善が必要だった。ディズニーランドで起きた失敗の一つとして、キャストがゲストに姿を見られないよう移動できる通路が足りなかったため、エリアの設定とは異なるキャストが移動のためそこを通り世界観を壊すというものがあった。そのためディズニー・ワールドでは地下にキャストや物資を移動させるためのトンネルを作る必要があり、湿地帯の土壌はトンネル建設には全くといっていいほど向かなかった。こうしたこともあって、工事の計画は当初の予定よりもはるかに大規模なものへとなっていった。また湿地帯は大規模な灌漑が行われ、運河によって水はけがよくなり、その流水はフロリダ南部のエバーグレーズ地方の水不足を解消した。

EPCOT計画

一方ウォルトは、この土地を使ってただの第2のディズニーランドではなく、一つの都市を作ろうと考えるようになっていった。多くの孫を持つようになっていたウォルトは、彼らが安心して暮らせる清潔で、犯罪の少ない理想都市を求めていたのだった。さらにこの頃に開催された1964年/1965年ニューヨーク世界博覧会にディズニーは複数のパビリオンを出展し、いずれも大盛況となった。それによってウォルトは、自身のエンターテイメントが東海岸の人々にも受け入れられていると確信し、都市計画を進めることに決めた。 彼はこの計画を「実験的未来都市、EPCOT」(EPCOT = Experimental Prototype Community of Tomorrow)と名付け設計を始める。1966年10月、ウォルトはマジック・キングダムの周辺に巨大な都市を作ることを説明するビデオを製作した。このビデオの中で使用された模型は今もマジック・キングダムで展示が行われている。

建設と開業

建設予定地を視察するロイ・O・ディズニー

計画が順調に進む矢先、1966年12月15日肺癌によってウォルトが死去する。ウォルトの兄ロイ・O・ディズニーは、弟の遺志を引き継ぎ、退職を延期して建設を視察するなどした。また転換社債を大量に発行して無借金で莫大な建設費用を調達した。しかしウォルトが夢見たEPCOT計画はウォルト抜きでの実現は難しいと考え、未来というテーマだけを残した新たなパークを造ることにした。

そして1971年10月1日、ディズニーランドのフロリダ版ともいえるマジック・キングダムを核にウォルト・ディズニー・ワールドは開園。その際、ロイは名称を「ディズニー・ワールド」から「ウォルト・ディズニー・ワールド」に変更している。その理由として、「フォード社の名は皆が知っているがそれを作り上げたヘンリー・フォードの名を知るものは少ない。しかしウォルト・ディズニー・ワールドがある限り、世界中の人々がこれらを作り上げた男の名を知るだろう」と開業の際に語っている。ロイはその後1971年12月20日、ウォルト・ディズニー・ワールドの開業からわずか3か月足らずで息を引き取った。

かつてギネスブックにおいて「最大の遊園地」として認定されていたことがある[6][7]


  1. ^ a b c ディズニー・ワールドの自治権剥奪を、フロリダ州知事が検討。議会に終了を呼びかける”. ハフポスト (2022年4月20日). 2022年4月20日閲覧。
  2. ^ 米フロリダ州、「ディズニー・ワールド」の税制優遇特区廃止へ…LGBTQ巡る州法で対立”. 読売新聞 (2022年4月22日). 2022年4月27日閲覧。
  3. ^ ディズニー、米フロリダ州「ゲイと言うな」法案可決を批判”. 映画.com (2022年4月4日). 2022年4月27日閲覧。
  4. ^ 日本テレビ (2022年4月22日). “米フロリダ州 ウォルト・ディズニー・ワールドの税制優遇など「特別区」廃止法案可決”. 日テレNEWS. 2022年4月27日閲覧。
  5. ^ 日本放送協会 (2022年4月23日). “米フロリダ州 ディズニーに対し税制優遇措置を廃止へ 法律成立”. NHKニュース. 2022年4月27日閲覧。
  6. ^ アラン・ラッセル, ed (1986). ギネスブック'87 世界記録事典. 大出健. 講談社. p. 370. ISBN 4-06-202948-0 
  7. ^ 2021年現在は、未完成の施設を含むもののドバイランドが世界最大である。
  8. ^ 米ディズニー、加・フロリダ州・仏のテーマパーク閉鎖へ”. ロイター (2020年3月13日). 2020年4月24日閲覧。
  9. ^ 米ディズニー、商業施設を再開”. 共同通信 (2020年5月21日). 2020年5月21日閲覧。
  10. ^ 'A Celebration of Festival of the Lion King' Opens May 15 at Disney's Animal Kingdom” (英語). Disney Parks Blog. 2021年5月20日閲覧。
  11. ^ 恒例のスーパーボウル勝者パレード、新型コロナで中止に 米ディズニー・ワールド”. CNN.co.jp (2021年2月7日). 2021年2月8日閲覧。






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