ウィルフレッド・オーエン 略伝

ウィルフレッド・オーエン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 06:26 UTC 版)

略伝

生い立ち

オーエンは1893年イングランドウェールズの境界付近に位置するシュロップシャーのオスウェストリーでウェールズ人イングランド人の両親の元に生まれた。オーエンが生まれた時、両親は地域の名士として知られていた母の実家に同居していたが、1895年にオーエンの母方の祖父が没すると、一家は母の実家からの立ち退きを余儀なくされ、バークンヘッドの労働者向けの住宅街に引っ越している。

オーエンが詩に目覚めたのは、シュローズベリー・テクニカルスクールに在籍していた1903年ごろとされている。この頃のオーエンは特にキーツの詩を耽読、キーツを自己の偶像として崇拝していたという。1911年に高校を卒業したオーエンは大学進学を志したもののロンドン大学奨学金獲得に失敗、レディング近郊ダンズデン村にある教会の牧師の助手や学校教師の助手などを務めた後、フランスに渡りボルドーの語学学校に職を得るが、しばらくしてそこも辞し、フランスに留まったまま家庭教師などで糊口をしのいでいた矢先に第一次世界大戦が勃発する。

オーエンの詩作

オーエンは自身が体験した塹壕毒ガスの凄惨な戦いを描いた詩によって、ジークフリード・サスーン英語版と並び、第一次世界大戦を象徴する「戦争詩人(War Poet)」として人々の記憶に刻まれている。エディンバラで療養中のオーエンがサスーンと出会った事はオーエンの作風に大きな影響を及ぼし、オーエンの代表作『死すべき定めの若者のための賛歌』も一語一句に至るまでサスーンの添削を受け、推敲に推敲を重ねたものである。 オーエンとてサスーンと出会う以前からサスーンが強調したリアリズムや『体験から書く事』という要素と無縁であったわけではないが、これらの要素がオーエンの作風の核を占めるようになったのはまぎれもなくサスーンの影響によるものと思われる。現在世上に評価されているオーエンの詩の多くは サスーンとの出会い以降に書かれた物である事がなによりの例証である。

サスーンはオーエン戦死の直前からオーエンの詩の紹介に努め、オーエンの詩はその成り立ちから受容に至るまでサスーンの影響下に置かれる事になった。サスーンの紹介でオーエンの詩を知ったイーディス・シットウェル英語版はオーエン初の詩集の出版に尽力、第二のオーエン詩集を刊行したのはやはりサスーンの紹介でオーエンの詩を知った詩人エドマンド・ブランデンである。

最期

フランス・Orsにあるオーエンの墓石

1918年7月、オーエンは西部戦線に復帰する。サスーンはオーエンの前線復帰に強く反対したためオーエンはサスーンに内密で前線に復帰、10月には戦功十字勲章を受章、そして第一次世界大戦休戦のちょうど一週間前にあたる11月4日にオーエンは1918年のサンブルの戦い英語版で戦死、休戦当日に戦死公告がオーエンの母の許に届けられた。


  1. ^ Meyer-Dinkgräfe, Daniel (2005). Biographical Plays About Famous Artists. Cambridge Scholars Press. pp. 24–29. ISBN 978-1-904303-47-3. https://books.google.com/books?id=wR50GEyHk-QC&pg=PA24 
  2. ^ The War Poets at Craiglockhart”. Sites.scran.ac.uk. 2008年12月5日閲覧。
  3. ^ Brown, Dennis (2005). Monteith, Sharon. ed. Critical Perspectives on Pat Barker. University of South Carolina Press. pp. 187–202. ISBN 978-1-57003-570-8 
  4. ^ Regeneration - IMDb(英語)
  5. ^ Wilfred Owen: A Remembrance Tale - IMDb(英語)
  6. ^ Shaffer, Mary Ann (2008). The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society. The Dial Press. pp. 72–73. ISBN 978-0-385-34099-1. https://archive.org/details/guernseyliterary00shaf/page/72 
  7. ^ The Burying Party”. The Burying Party. 2017年10月30日閲覧。
  8. ^ Jones, Lauren. “New Wilfred Owen film 'The Burying Party' on the hunt for filming locations” (英語). Wirral Globe. http://www.wirralglobe.co.uk/news/15546873.New_Wilfred_Owen_film__The_Burying_Party__on_the_hunt_for_filming_locations/ 
  9. ^ The Burying Party”. IMDb.com (2018年8月23日). 2019年3月23日閲覧。
  10. ^ Behroozi, Cyrus. “the War Requiem”. Benjamin Britten Page, Caltech.. 2008年12月5日閲覧。
  11. ^ Cooke, Mervyn (1996). Britten: "War Requiem". Cambridge Music Handbook. ISBN 978-0-521-44089-9 
  12. ^ Virginia Astley Discography | Compilations”. Virginiaastley.com. 2012年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月27日閲覧。
  13. ^ Peel Sessions: The Ravishing Beauties”. BBC Radio 1 (1982年4月14日). 2008年12月5日閲覧。
  14. ^ Welsh Daily Post (2012年2月17日). “Bullet Points”. 2012年7月23日閲覧。
  15. ^ Jedi Mind Tricks – Muerte”. Genius.com. 2017年12月2日閲覧。
  16. ^ Jedi Mind Tricks – Violent by Design (album review)”. Sputnikmusic.com. 2020年9月10日閲覧。
  17. ^ The Magnus Archives - Horror Podcast”. 2020年11月13日閲覧。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウィルフレッド・オーエン」の関連用語

ウィルフレッド・オーエンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウィルフレッド・オーエンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィルフレッド・オーエン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS