アボリジニ アボリジニの概要

アボリジニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 16:12 UTC 版)

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アボリジニの農民たち(1858年)

トレス海峡諸島民もオーストラリアの先住民族であるが、「アボリジニ」には通常含まれない。

「アボリジニ」に差別的な響きが強いうえ、言語集団が分かれていたオーストラリア先住民の多様性への配慮から、近年のオーストラリアでは呼称としてほとんど使われなくなった[1]。代わりに現在ではアボリジナルアボリジナル・ピープルアボリジナル・オーストラリアンAboriginal Australians)という表現が一般化しつつある。

また、トレス海峡諸島民を含めて、オーストラリア先住民(オーストラリアせんじゅうみん、英語: Indigenous Australians)ということも多い。

概要

アボリジニのダンサー
ディジュリドゥを吹く男性

オーストラリアで発見されている最古の人類の化石は、およそ4万年前のものと考えられているムンゴマンとムンゴレディであるが[2]、先住民たちの先祖がいつ頃この大陸に到来したのかは、研究者の間でも意見が分かれており、熱ルミネッセンス法による年代測定では、61,000年から52,000年前とも[3]、125,000年前とも考えられている[4]

オーストラリアにおける先住民は、多様なコミュニティや社会を構成しており、文化、習慣、言語などもそれぞれが独自の編成を持っている。現代のオーストラリアでは、先住民集団は地域コミュニティごとにさらに細分化されている[5]。ヨーロッパ人たちの植民が始まった当初には、250種類以上の言語が存在していたとされるが、現在も存続しているのはそのうちの120ないし145種類であり、さらに危機に瀕する言語とされていないのはわずか13種類に過ぎない[6][7]。現代のアボリジニたちは大多数が英語を話し、アボリジニ諸言語に由来する言い回しや語彙が加えられてオーストラリア・アボリジニ英語英語版が生み出されており、音韻文法の面でも先住民諸言語の明白な痕跡を残している。ヨーロッパ人たちの入植当初におけるオーストラリア先住民の人口は、おおむね318,000人程度から[8]、 1,000,000人程度[9]の間であったものと考えられており、その分布は、現在のオーストラリアの人口分布と同じように、大多数はマレー川を中心とした南東部に居住していた[10]

1995年以来、アボリジニの旗トレス海峡諸島民の旗が、オーストラリアの公式の旗として承認されている。

英語の"aborigine"はラテン語に由来する単語で、ラテン語では「ラツィオの先住民」(en:Aborigines (mythology))という意味で使用されていた。これは羅:ab origine(= 英: from the beginning)から由来する。18世紀にはヨーロッパ人が植民地化した地域の先住民に対する総称として"aborigine" (一般名詞)が使われた。その後、特に「オーストラリアの先住民」という意味合いを強く持つようになり、これを指して固有名詞として"Aborigine"と使われるようになった。一方で、"Aborigine"は先住民に対する人種差別的なニュアンスを含むようになり、これを避けるため20世紀後半以降公の場では"Indigenous Australians"或いは"Indigenous Peoples"などという呼称が英語圏では推奨されている[11]

歴史

起源

アボリジニの先祖がオーストラリア大陸に上陸した時期は、遺物などの分析から5万年ないし12万年以上前(議論中で定まっていない)とされているが、それ以降にも段階的に人的流入があったとされている。外部地域と隔絶されたのは、遺伝子の研究によりそれほど古くないことが明らかになってきているほか、その祖先の系譜が解明されつつある。かつては形質人類学的にも不明確な部分が多く、骨格的特長から南インド系とする説や、スンダランド経由で渡来したとする説、またはアフリカから等々、諸説入り乱れていた時代があったが、現在では南インド系とする説が有力である。2014年時点で発見されているオーストラリア最古の人類の化石は、約4万年前のムンゴマンと呼ばれる男性である。

なおオーストラリア大陸は1万8千年前の最も近年の氷期においてユーラシア大陸と飛び石のように連なる島々により、現在よりもはるかに渡りやすい地域(これをサフル大陸とも呼ぶ)だったとも考えられている(国家としてのオーストラリア参照)。また、アボリジニはデニソワ人の遺伝子を受け継ぐ数少ない現生人類とも言われている[12]

オーストラリア大陸が現在のような状況になって以降は、ヨーロッパ人の到来まで、オーストラリアは外界から隔絶された場所だったという認識が強い。しかし、近年はこれを覆す研究結果がいくつかある。約4千年前には豪州大陸へと渡った古代のインド人とアボリジニとが混血していたという研究結果がある[13]。アボリジニの伝承には、ヨーロッパ人の来訪以前からも、どこからかやってきた黒人や白人たちと交流があったとの話が伝わっており、中東アフリカからオーストラリア北部を訪れる船乗りがいたと推測する者もいる[14]。アボリジニが残した壁画には、インドネシア方面の特徴を有する帆船が描かれており、交流があったことを示唆している[15]

オーストラリア大陸は、農耕に適した種類の食物となる植物がユーラシア、南北アメリカ、アフリカと比べ遥かに少なく、家畜に適した固有の動物も一切存在しなかった(アボリジニはユーラシア大陸から原始的なイヌのみを導入し、家畜としていた。この原始的なイヌの子孫が現在のディンゴである)。また極度の乾燥地帯で、気候の変動も一年周期とは限らず不規則であるなど、他に類をみない過酷な条件が揃う大陸でもあり、文化的に孤立を余儀なくされた。その地理的条件から、人種的に他の大陸と隔絶され、それらが混血を繰り返しながらオーストラリア全土に広まる過程で、様々な固有文化が派生したとされる。今日ではオーストラリア到着以後も、一部の集団ではポリネシア人やパプア人オーストロネシア人との部分的混血が見られる。

一括りにアボリジニといっても、多数の部族から成立っており、言語的な調査から26〜28程の系統に分類されているが、相互の文化的差異は多い。主な部族に、アナング族(エアーズ・ロック近辺に先住)やジャプカイ族ケアンズキュランダ地域に先住)がある。

アボリジニのY染色体ハプログループは、出アフリカ後インドを経由してやってきたC1b2b(C-M347)が60%、ニューギニアなどに多いK系統が22%見られる[16]

生活史

ヨーロッパ人による植民地化以前、先住民の生活は洞窟等を住居とし、一定範囲を巡回しながら食料を得る採取狩猟型であった。ブーメラン毒物を利用した狩猟を行い、オーストラリア固有植物を取ったり、乾燥した地面を掘って木の根等を食べる大型のイモムシの一種を採取して焼いて食べたりといった生活をしていた。これらの食文化はブッシュ・タッカーと呼ばれ、1970年代からはシドニーのレストランでも応用メニューの提供が始まり、オーストラリア陸軍の特殊空挺部隊(SASR)にも食糧確保ノウハウとして取り入れられている。

白豪主義とアボリジニの悲劇

先住民族図, The New Student's Reference Work, 1914年出版より
アボリジニとトレス海峡諸島民の分布図(2011年)

西洋人がオーストラリアを「発見」した段階では、50万人から100万人ほどのアボリジニがオーストラリア内に生活していた[17]。しかし1920年には約7万人にまで減少した。人口減少の最大の要因はヨーロッパ人が旧大陸から持ち込んだ伝染病(天然痘や梅毒、インフルエンザ、麻疹など)の流行によるものと考えられている。それまでオーストラリアは旧大陸とはほぼ隔絶されていたため、アボリジニはこれらに対する免疫を持っていなかったのである[18]

1788年からのイギリスによる植民地化によって、初期イギリス移民の多くを占めた流刑囚はスポーツハンティングとして多くのアボリジニを虐殺した[19]。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に実際に残されている[20]

1803年にはタスマニアへの植民が始まる。入植当時3,000〜7,000人の人口であったが、1830年までには約300人にまで減少した[21][要ページ番号]。虐殺の手段は、同じくスポーツハンティングや毒殺、組織的なアボリジニー襲撃隊も編成されたという[22]。数千の集団を離島に置き去りにして餓死させたり、水場に毒を流したりするといったことなども行われた[23]

また、1828年には開拓地に入り込むアボリジニを、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。捕らえられたアボリジニたちは、ブルニー島キャンプに収容され、食糧事情が悪かったことや病気が流行したことから、多くの死者が出た。

これによりアボリジニ人口は90%以上減少し、ヴィクトリアとニューサウスウェールズのアボリジナルの人口は、10分の1以下になった[17]。さらに1876年には、白人と混血していない唯一のタスマニア・アボリジナルの女性と言われる、トルガニニが死亡した。多い時期で約3万7千人ほどいたタスマニア・アボリジニは激減した[24]。なお、タスマニアのアボリジニが「絶滅」したという記述をしている書物も多いが、それは間違いであり、混血をしつつも、現在もタスマニアのアボリジニのコミュニティは存在しており、文化伝承や権利運動に取り組んでいる[25]

特に東海岸沿岸部等の植物相の豊かな地域に居住していたアボリジニは、当初はイギリス移民との平和関係を保っていたものの、後の保護政策に名を借りた強制的な移住もあり、この入植者たちによるハンティングという惨劇を語り継ぐ者をも残さず姿を消している。

20世紀前半には、アボリジナルは絶滅寸前の人種(死にゆく人種、死にゆく民族)として分類されるようになる[26]。この死に行く民族という規定は、1937年まで続く。死に行く民族という規定が廃止されると、今度は積極的に白人社会に同化させる方針が強化される[27]

イギリス人らの入植開始当初は50万-100万人いたアボリジナル人口は、1920年頃には約7万人にまで減少していた[17]。同1920年、時のオーストラリア政府は先住民族の保護政策を始め、彼らを白人の影響の濃い地域から外れた保護区域に移住させたが、これはむしろ人種隔離政策的な性質があったようである。元々オーストラリアに移住した白人は、犯罪者が大半を占めていた。そして、徹底的な人種差別政策、いわゆる白豪主義をもって、移民の制限及びアボリジニへの弾圧政策を続けた。

また、1869年から公式的には1969年までの間、アボリジニの子供や混血児(ハーフ・カーストと呼ばれ売春婦として利用されることがあった)[28]を親元から引き離し白人家庭や寄宿舎で養育するという政策が行なわれた。様々な州法などにより、アボリジニの親権はことごとく否定され、アボリジニの子供も「進んだ文化」の元で立派に育てられるべきという考え方に基づくものと建前上は定義されていたが、実際はアボリジニの文化を絶やしアボリジニの存在自体を消滅させるのが目的であった。政府や教会が主導して行なわれたこの政策で子供のおよそ1割が連れ去られ、彼らの行き先は実際には白人家庭でも寄宿舎でもなく、強制収容所や孤児院などの隔離施設であった。そして、隔離施設から保護を放棄されたり、虐待を受けたり、遺棄された者も少なくはなかった。結果として彼らからアボリジニとしてのアイデンティティを喪失させることとなった。彼らは"Stolen Generation"(盗まれた世代)、または"Stolen Children" (盗まれた子供たち)と呼ばれている。なお、「盗まれた世代」の政策が実際に徹底されて行われていたか、またどの程度の規模だったのかは、いまだにわかっていない。1920年から1930年の間だけで、混血も含む10万人のアボリジニの児童が親元から引き離されて、故郷から数百キロ、時に千キロ以上も離れた、監獄とも言える劣悪な強制収容所に送り込まれた[29]

無論、アボリジニも全くの無抵抗だったわけではなかった。これらの政策に対してのデモや暴動を起こすものも少なくなかったが、結果としては白人たちの敵愾心を煽るにとどまった。

一方、不毛な乾燥地域である内陸部のアボリジニは周辺の厳しい自然環境に守られながらどうにか固有文化を維持し続けた。今日でもアボリジニ文化の史跡は沿岸部都市より隔絶された内陸地に多く残る。近代のアボリジニ激減と、文字文化を持たなかったことから文化的痕跡を残さず消滅した部族も多く、彼らの言語や文化の系統を調査する試みは進んでいない。音声的に完全に失われた言語も多く、それらの民俗学的調査は「既に大半のピースが失われたパズル」になぞらえられている。

その後、アボリジナル人口は徐々に回復し、1996年には約35万人になった。これはオーストラリア総人口の約2%である[17]

権利回復

アボリジニの市民権は、1967年にようやく認められた[30]

1993年には先住権が認められ、元々のアボリジニ居住地域の所有権が認められている。今日ではアボリジニの大半が都市部に住んでいるが、政府から支給された住宅に住みながら、一定の伝統的生活を嗜む人もいる。白人主流社会に同化仕事を持つ一方で、伝統舞踊に興じる人もおり、今日では伝統と欧米文明の双方を独自に組み合わせた生活をする人が大半である。

しかし、政府から支給された公的扶助を糧に堕落した生活に陥るという、他の少数民族同様の社会問題も見られる。また、白人との経済格差を解消するため、大学進学における優遇などの差別是正措置も講じられている。このような特典を得るため、実際にはアボリジニでないものが、アボリジニを詐称することも多く、問題となっている。

ケビン・ラッド首相は、2008年2月13日の議会で、先住民アボリジニに政府として初めて公式に謝罪した。同日の議会には約100人の先住民らが傍聴する中で、同首相は「Sorry」の語を3度使い謝罪した。議事堂の外には全国から詰めかけた数千人がテレビを通じて謝罪の言葉を聞いた。この謝罪は、昨年11月の総選挙でラッド率いる労働党公約を実現したものであった。これらは教育や医療、経済面における、アボリジニとその他豪州国民との格差是正に全力で取り組むという趣旨のもので、補償金の支払いについては応じない方針を明らかにしていた。自由党の下院議員5名と上院議員1名は、ラッド首相の公式謝罪に反対し、出席しなかった[31]


  1. ^ 先住民 従来の呼称「アボリジニー」使わず【世界発2018】豪州の日 入植は侵略か[リンク切れ]『朝日新聞』朝刊2018年2月1日(国際面)
  2. ^ design@grafx.com.au, Richard Czeiger:. “Mungo Lady and Mungo Man | Share Mungo Culture | Visit Mungo National Park”. www.visitmungo.com.au. 2016年4月20日閲覧。
  3. ^ Australia: The Land Where Time Began
  4. ^ Bindon, P. A. (1997). “Aboriginal people and granite domes”. Journal of the Royal Society of Western Australia (80): 173–179. http://www.rswa.org.au/publications/Journal/80%283%29/80%283%29bindon.pdf 2016年4月20日閲覧。. 
  5. ^ Hodge, Robert (1990). “Aboriginal truth and white media: Eric Michaels meets the spirit of Aboriginalism”. The Australian Journal of Media & Culture 3 (3). http://wwwmcc.murdoch.edu.au/ReadingRoom/3.2/Hodge.html. 
  6. ^ LANGUAGES OF ABORIGINAL AND TORRES STRAIT ISLANDER PEOPLES - A UNIQUELY AUSTRALIAN HERITAGE”. Australian Bureau of Statistics. Australian Bureau of Statistics. 2015 -5-26閲覧。
  7. ^ "Community, identity, wellbeing: The report of the Second National Indigenous Languages Survey" AIATSIS, 2014. Retrieved 18 May 2015.
  8. ^ 1301.0 – Year Book Australia, 2002 Australian Bureau of Statistics 25 January 2002
  9. ^ Gough, Myles (11 May 2011) Prehistoric Australian Aboriginal populations were growing. Cosmos Magazine.
  10. ^ Pardoe, C. (2006). “Becoming Australian”. Before Farming 2006: 1–21. doi:10.3828/bfarm.2006.1.4. 
  11. ^ Why saying ‘Aborigine’ isn’t OK: 8 facts about Indigenous people in Australia”. amnesty.org (2015年). 2021年11月1日閲覧。
  12. ^ “デニソワ人の遺伝子の痕跡があるのは?”. ナショナルジオグラフィック. (2013年7月). http://nationalgeographic.jp/nng/article/20130705/357095/index2.shtml 2014年3月14日閲覧。 
  13. ^ “古代インド人の豪州大陸への移住は約4000年前、新研究”. AFPBB News. (2013年1月15日). http://www.afpbb.com/articles/-/2920779 2014年2月23日閲覧。 
  14. ^ “900年前のアフリカ硬貨がひも解くオーストラリア史”. AFPBB News. (2013年8月23日). http://www.afpbb.com/articles/-/2963247 2014年2月23日閲覧。 
  15. ^ a b Carolyn Barry (2008年10月22日). “アボリジニの壁画、歴史を塗り変える?”. ナショナルジオグラフィック. オリジナルの2014年8月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140820100401/http://nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=40208223 2014年6月2日閲覧。 
  16. ^ Hudjashov, G.; Kivisild, T.; Underhill, P. A.; Endicott, P.; Sanchez, J. J.; Lin, A. A.; Shen, P.; Oefner, P.; Renfrew, C.; Villems, R.; Forster, P. (2007). "Revealing the prehistoric settlement of Australia by Y chromosome and mtDNA analysis". Proceedings of the National Academy of Sciences 104 (21): 8726–30. doi:10.1073/pnas.0702928104. PMC 1885570. PMID 17496137.
  17. ^ a b c d 山本 2000, pp. 79–80.
  18. ^ 『オーストラリアの歴史 多文化社会の歴史の可能性を探る』藤川隆男、有斐閣〈夕斐閣アルマ〉、2004年4月、45頁。ISBN 4641122091
  19. ^ “【鈍機翁のため息】(47)間奏 Ⅱ 人間は進歩しない”. 産経新聞. (2014年2月27日). オリジナルの2016年3月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160312192815/http://www.sankei.com/life/news/140227/lif1402270034-n1.html 2014年3月15日閲覧。 
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  23. ^ 高山正之『白い人が仕掛けた黒い罠』[要文献特定詳細情報]
  24. ^ 山本 2000, pp. 79–80; 鈴木 1993, p. 42.
  25. ^ 今も終わらぬ戦い 「絶滅」した先住民の子孫 オーストラリア” (日本語). 47NEWS. 2021年6月18日閲覧。
  26. ^ 藤川隆男. “オーストラリア小史 第1章 先住民の歴史”. 大阪大学大学院. 2014年2月25日閲覧。
  27. ^ 佐藤富美. “アボリジニ”. 京都産業大学. 2016年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月25日閲覧。
  28. ^ 出典: 新保満 著 『悲しきブーメラン』
  29. ^ “収容所から脱出し、1600キロを徒歩で逃げたアボリジニ3少女”. ナショナルジオグラフィック. (2014年3月10日). http://nationalgeographic.jp/nng/article/20140310/387267/ 2014年3月14日閲覧。 
  30. ^ アボリジニ社会の復興に向けて”. 愛知淑徳大学文化創造学部 多元文化専攻. 2014年3月8日閲覧。
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  37. ^ 親知らずが生えてきた?”. 藤沢市歯科医師会. 2012年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月14日閲覧。
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  39. ^ “豪アボリジニ女性、「肌が白すぎる」ため支援団体に不採用”. AFPBB News. (2010年11月5日). http://www.afpbb.com/articles/-/277292 2014年2月22日閲覧。 [リンク切れ]
  40. ^ “先住民は非先住民より20年寿命が短い、国連報告書”. AFPBB News. (2010年1月15日). http://www.afpbb.com/articles/-/2682854 2014年2月22日閲覧。 
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