アヒンサー (ジャイナ教) 非暴力の理論的根拠

アヒンサー (ジャイナ教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 22:06 UTC 版)

非暴力の理論的根拠

ジャイナ教で非暴力が実践されるのは単に神やその他の超越的な存在に命令されたからということではない。その目的は、単に非暴力を遵守することが国家やコミュニティーの公共の利益につながるからではない[20]。ジャイナ教において道徳的・宗教的命令は至上の道徳的努力を通じて完全となったアルハットによって法の前に横たえられているというのは正しいが、彼らの目的は神を喜ばせることではなく、アルハットの生涯がそういった命令はアルハット自身の利益につながり、アルハットが精神的勝利に至るのを助けることを証明してきた。アルハットが非暴力を遵守することで精神的勝利を得るのと同様に、この道を通るだれでも精神的勝利を得ることができる[20]

ヒンサーを避ける合理的根拠を与えるもう一つの面は、ヒンサーとなるあらゆる行為は行為者自身にとってヒンサーであるということである。暴力行為は外面的には他者を傷つけているように見えるが、その行為を行った本人の魂を傷つけているのである。そのため暴力を行うことで、魂は誰かのドラヴィヤ・プラーニャdravya praṇaとして知られている物質的活力を傷つける場合があるが、一方で魂がカルマに拘束されるようにすることで自分自身のバーヴァ・プラーニャbhāva praṇaとして知られている精神的活力を常に傷つけているのである。ジャイナ教においてアヒンサーを感情的な観点から見ることは完全に間違っている[9]。ジャイナ教の非暴力の教義は理性的な思考に基づいているのであって、感傷的な同情に基づくものではない。この教義は自己に帰着するものであって、社会的な仲間の感情に帰着するものではない。アヒンサーを実践する理由は完全に自己中心的であって、自己の利益のためのものである。とはいえ、力点は個人の解脱にあるものの、ジャイナ教倫理学は他者を考慮に入れることのみを通じてその目的を達成できる。

さらに、ジャイナ教のカルマの教説によれば、自己を含む全ての魂は互いに、人間に転生している間を除いても莫大な時間の間に動物、植物、微生物へと転生している。アヒンサーの概念はカルマの概念と結びつけて理解されたときにより含蓄深いものとなる。魂の転生の教説は人間の形に転生するのと同様に動物に転生することも含んでいるため、あらゆる生命体に対して人間に対するのと同じ親近感を持つことにつながる[22]。ジャイナ教のモットー - 「パラスパローパグラホー・ジーヴァーナム」(Parasparopagraho jīvānām)、「全ての生命は相互に関連していて互いに助け合うことが魂の義務である」と訳される- もアヒンサーに対するジャイナ教の理性的なアプローチを与える。

結論すると、アヒンサーの教説は他者に対する非暴力というより自己に対する非暴力や魂の利益なのである。アヒンサーの究極的な理論的根拠は根本的には他者の利益を促進することというよりヒンサーによって生じるカルマの自己に対する影響に関係している[23]




  1. ^ a b c Rankin, Adian. (2006).
  2. ^ Jaini, Padmanabh (1998), p.167
  3. ^ Varni, Jinendra (1993), “Know that giving protection always to living beings who are in fear of death is known as abhayadana, supreme amongst all charities.” ….Samaṇ Suttaṁ (335)
  4. ^ Varni, Jinendra, (1993) "Even an intention of killing is the cause of the bondage of Karma, whether you actually kill or not; from the real point of view, this is the nature of the bondage of Karma. (154)
  5. ^ Dundas (2002)
  6. ^ Varni, Jinendra (1993) “Ahiṁsā is the heart of all stages of life, the core of all sacred texts, and the sum (pinda) and substance (sara) of all vows and virtues.” Samaṇ Suttaṁ (368)
  7. ^ Harry Oldmeadow (2007)p.157
  8. ^ Varni, Jinendra (1993)(Verse-310)
  9. ^ a b c d e f Huntington, Ronald. “Jainism and Ethics”. 2007年7月18日閲覧。
  10. ^ Varni, Jinendra (1993) (388)
  11. ^ Jacobi, Hermann (1895年). “X Lecture : The Leaf of the Tree”. The Jaina Sutras, Part II - The Uttarâdhyayana Sûtra, Translated from Prakrit. Oxford: The Clarendon Press. 2007年9月27日閲覧。
  12. ^ Dundas (2002), p. 162
  13. ^ Harry Oldmeadow (2007) pp.156-7
  14. ^ Dundas (2002) p.161
  15. ^ Jaini (1998) p.168
  16. ^ Varni, Jinendra (1993) "One and the same person assumes the relationship of father, son, grandson, nephew and brother, but he is the father of one whose he is and not of the rest (so is the case with all the things)." (670)
  17. ^ Hunter, Alan (2003年5月). “Forgiveness in Jainism”. 2007年10月4日閲覧。
  18. ^ Koller, John M. (July 2000). “Syadvada as the epistemological key to the Jaina middle way metaphysics of Anekantavada”. Philosophy East and West. (Honululu) 50 (3): Pp. 400–8. ISSN 00318221. http://proquest.umi.com/pqdweb?did=59942245&Fmt=4&clientId=71080&RQT=309&VName=PQD 2007年10月1日閲覧。. 
  19. ^ a b c d e Jain, J. P. (2007)
  20. ^ a b c d e f g Dr. Bhattacharya, H. S. (1976)
  21. ^ Kuhn (2001)
  22. ^ Patil, Bal (2006)
  23. ^ Jan E. M. Houben et all,(1999)





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