キプロス紛争とは? わかりやすく解説

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キプロス紛争

(cyprus problem から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 17:56 UTC 版)

キプロス紛争(キプロスふんそう)は、ギリシャ系住民トルコ系住民の対立により、1955年からキプロスで継続している紛争


注釈

  1. ^ 佐原徹哉はイスタンブール協定と呼ぶ[1]
  2. ^ 正確には92,799スターリングポンド11シリング3ペニー
  3. ^ 人口で18%しか占めていないトルコ人らが国会議員、国家公務員の30%、警察は40%を占めることが制定されていた[8]
  4. ^ さらにキプロスにはギリシャ系住民による『ギリシャ住民軍』、トルコ系住民による『トルコ住民軍英語版』も組織されていた上、EOKAも武装解除されておらず、マカリオスがEOKAに対抗するために設立した『警察予備隊』を加えて都合9つの軍隊が駐屯する異常な事態となった[10]
  5. ^ 以下がその発言「(ギリシャ)諸君の議会および憲法に対して告ぐ。アメリカは象であり、キプロス・ギリシャはノミにすぎない。もしこのノミが象を痒がらせるならばノミは象の鼻で激しくたたかれるだろう、激しくだ[14]
  6. ^ 1974年7月1日、エオカの幹部が内乱計画罪で逮捕されたが、この時にギリシャ軍部がマカリオスの暗殺を命令している文書が発見されていた[17]
  7. ^ これにはアメリカ中央情報局が関係していたとするが、当時の国務長官ヘンリー・キッシンジャーはこれを否定している。しかし、ギリシャ人、トルコ人らの間で キッシンジャーが黒幕であったことを疑う意見は少なくない[18]。なお、キッシンジャーはマカリオスを『地中海のカストロ』と非公式な箇所で発言していた[17]
  8. ^ また、平和維持軍はトルコ系住民とギリシャ系住民らの諍いには出動する権限があったが、ギリシャ系住民同士によるこのクーデターには出動する権限がなかった[21]
  9. ^ 副司令官はイギリスはアメリカに組していないこと(当時のイギリスは労働党の第2次ハロルド・ウィルソン政権であった)、イギリス軍が介入することによりトルコ軍が介入する危険性があること、さらにマカリオスがイギリスに亡命することによりイギリス政府がギリシャへ圧力をかけやすくなるとしてマカリオスへの説得を続けていた[23]
  10. ^ ギリシャ国連大使の主張は「新たなキプロス大使が到着するまでは代表権があると国連憲章に規定されている」として、事務総長クルト・ヴァルトハイムにより却けられた[26]
  11. ^ この時、武力衝突回避へ向けてトルコ政府首脳と会談を行なっていたアメリカのシスコ国務次官は、トルコ軍介入の報を聞いて慌てて会議から飛び出した後、外にいたマスコミ達にただ一言、「War(戦争だ)」と力なく答えたという[29]
  12. ^ 相当数の武器弾薬が横流しされ中近東やアフリカに流れていた。そのために動員した兵士らに武器を与える事が出来なかった[35]
  13. ^ ギリシャ最大の軍であった[36]

出典

  1. ^ a b 桜井(2005)、p.349.
  2. ^ Ali Satan,"Yeni İngiliz Belgeleri Işığında Kıbrıs ve Önemi", Yakın Dönem Türkiye Araştırmaları, Vol.6 (2004), p. 55.
  3. ^ E.Borchard, W.H.Wynne, State Insolvency and Foreign Bondholders, Vol.2, New Haven, 1951, pp.441-442.
  4. ^ a b c 桜井(2005)、p.350.
  5. ^ a b リチャード・クロッグ、(2004)p.165.
  6. ^ 桜井(2005)、pp.350-351.
  7. ^ 桜井(2005)、p.351.
  8. ^ a b c リチャード・クロッグ、(2004)p.168.
  9. ^ 桜井(2005)、pp.351-352.
  10. ^ 大島 (1986)、p.36.
  11. ^ リチャード・クロッグ、(2004)pp.172.
  12. ^ a b c 大島 (1986)、p.37.
  13. ^ a b c 桜井(2005)、p.352.
  14. ^ a b リチャード・クロッグ、(2004)pp.172-3.
  15. ^ a b c 桜井(2005)、p.353.
  16. ^ a b リチャード・クロッグ、(2004)pp.181-8.
  17. ^ a b 大島 (1986)、p.44.
  18. ^ 大島 (1986)、p.41.
  19. ^ 大島 (1986)、pp.39-42.
  20. ^ 大島 (1986)、pp.43-52.
  21. ^ 大島 (1986)、p.52.
  22. ^ 大島 (1986)、pp.56-66.
  23. ^ 大島 (1986)、p.68.
  24. ^ 大島 (1986)、pp.67-68
  25. ^ 大島 (1986)、pp.68-69.
  26. ^ 大島 (1986)、p.71.
  27. ^ 大島 (1986)、p.75-76.
  28. ^ 大島 (1986)、p.76.
  29. ^ 大島 (1986)、p.83.
  30. ^ 大島 (1986)、pp.80-83.
  31. ^ 大島 (1986)、pp.85-86.
  32. ^ 大島 (1986)、p.87.
  33. ^ 大島 (1986)、pp.89-92.
  34. ^ 大島 (1986)、pp.92-97.
  35. ^ 大島 (1986)、pp.116-119.
  36. ^ 大島 (1986)、p.121
  37. ^ 大島 (1986)、pp.114-122.
  38. ^ 大島 (1986)、pp.121-123.
  39. ^ 大島 (1986)、pp.124-138.
  40. ^ 大島 (1986)、pp.143-154.
  41. ^ 大島 (1986)、pp.155-159.
  42. ^ 大島 (1986)、pp.160-162.
  43. ^ 大島 (1986)、pp.163-167.
  44. ^ 大島 (1986)、p.168.
  45. ^ 大島 (1986)、pp.86-87.
  46. ^ 大島 (1986)、pp.105-107.
  47. ^ リチャード・クロッグ、(2004)p.211.
  48. ^ 桜井(2005)、p.354.





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