WBCの離反
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1963年2月14日、WBA、EBU、BBBofC、ラテンアメリカプロボクシング連合 (LAPBU)、東洋ボクシング連盟 (OBF)(後のOPBF)が、対等の立場で討議する機関として世界ボクシング評議会(WBC)を創設。 1965年10月19日、当時のWBC会長国メキシコがWBAを脱退する。カルロス・オルチス対イスマエル・ラグナ、ニノ・ベンベヌチ対サンドロ・マジンギの直接の再戦をWBAが許可したことに抗議。 1968年8月28日、フィリピンがWBAを脱退する。当時、アメリカ合衆国の州コミッションのみが、議決権で国のコミッションと同等であることを批判。同年9月にフィリピンは、第2代のWBC会長国となった。 この後、世界王者のWBA、WBC分立が加速する。
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