WBAからの脱退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 11:46 UTC 版)
「世界ボクシング評議会」の記事における「WBAからの脱退」の解説
1965年10月19日、WBC会長国メキシコがWBAを脱退する。カルロス・オルチス対イスマエル・ラグナ、ニノ・ベンベヌチ対サンドロ・マジンギの直接の再戦をWBAが許可したことに抗議。 1966年8月27日のWBC総会で、独自のルールと、初のWBC世界ランキングを発表して、WBAから完全に分裂した。 1968年8月28日、フィリピンのボクシングコミッショナー、ハスティアノ・モンタノ・ジュニアが、当時のWBA内の議決権がアメリカ合衆国の州コミッションと、その他の国のコミッションが同じ一票であることを批判して、フィリピンのWBA脱退を宣言する。 その後、モンタノが同年9月に第2代WBC会長に就任して以降、世界王者のWBA、WBC分立が加速する。
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