テルジュマンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > テルジュマンの意味・解説 

テルジュマン

(Terciman から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 18:57 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

テルジュマントルコ語: Tercümanロシア語: Переводчикクリミア・タタール語: Terciman / Терджиман)は、1883年から1918年までロシア帝国で出版されていた新聞。

クリミア・タタール人の教育運動家イスマイル・ガスプリンスキーにより、1883年クリミア半島バフチサライで創刊された。1905年まではトルコ語ロシア語で、1905年以降はトルコ語で出版された。

社説、国内時事、国外時事、市況、連載文学、読者投稿欄、商業広告などの幅広い情報をトルコ語で掲載し、当時数少ないムスリム紙として改革派のムスリム知識人に広く支持された。1885年には1,000部、1907年には5,000部、最盛期の1912年には10,000部が定期購読されており、ロシア帝国内だけでなく、オスマン帝国エジプトイラン英領インドにも購読者を持っていた。

『テルジュマン(翻訳者)』というタイトルは、19世紀半ばのオスマン帝国の改革派知識人イブラヒム・シナースィーが発行した新聞『テルジュマーヌ・アフヴァール(諸情勢の翻訳者)』に由来するとされる。

トルコ語紙面では、当時のオスマン帝国の文章語(オスマン語)を簡略化した文体が用いられていた。編集者のガスプリンスキーは、『テルジュマン』紙の文章語を、テュルク系言語を話す全てのテュルク系諸民族が理解する「共通文章語(‘umûmî lisân-ı edebî)」と称して普及に努めたため、しばしば政府当局からは、汎テュルク主義のイデオローグとして警戒された。

参考文献

  • Alexandre Bennigsen et Chantal Lemercier-Quelquejay 1964. La presse et le mouvement national chez le musulmans de Russie avant 1920. Paris: Mouton.
  • Lazzerini, Edward J. 1973. Ismail bey Gasprinskii and Muslim Modernism in Russia 1878-1914. Ph.D. Dissertation of Univ. of Washington.

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「テルジュマン」の関連用語

テルジュマンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



テルジュマンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのテルジュマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS