村中孝次とは? わかりやすく解説

村中孝次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 03:30 UTC 版)

村中 孝次(むらなか たかじ[1][注釈 1]1903年明治36年〉10月3日 - 1937年昭和12年〉8月19日)は、日本陸軍軍人国家社会主義者。最終階級は陸軍歩兵大尉二・二六事件の首謀者の一人となり、銃殺刑に処せられた人物として知られる。


注釈

  1. ^ 『国史大辞典』は「こうじ」とする。
  2. ^ 二・二六事件に参加した青年将校の多くは、陸大を出て軍幕僚となることに嫌悪感を持っていたとされる[4]。青年将校の中では、ほかに坂井直が軍人の父の意向で陸大の受験勉強をしていたが、受験前に決起に参加した[4]
  3. ^ 澤地久枝は妻の「次兄」と賀陽宮が同期と記す一方で[5]、村中と妻の次兄が同期とも書いており[2]、矛盾する。妻にはいずれも軍人の兄が二人おり[2]、賀陽宮と同期なのは「長兄」の誤記の可能性もある。

出典

  1. ^ 『日本人名大辞典』による。
  2. ^ a b c d 澤地久枝 2017, p. 230.
  3. ^ 筒井清忠『二二六事件と青年将校』吉川弘文館、2014年、79頁
  4. ^ a b 澤地久枝 2017, p. 131.
  5. ^ a b c d e 澤地久枝 2017, pp. 231–232.
  6. ^ a b 4-5 陸軍内の派閥対立 | 史料にみる日本の近代 2022年2月5日閲覧
  7. ^ 官報 1935年10月18日 四六六-四六七頁
  8. ^ 澤地久枝 2017, pp. 235–236.
  9. ^ 澤地久枝 2017, pp. 236–237.
  10. ^ 澤地久枝 2017, pp. 237–238.
  11. ^ 「北、西田、村中、磯部の死刑執行」『東京朝日新聞』1937年8月20日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会(編)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編 毎日コミュニケーションズ、1994年、p.570に掲載)
  12. ^ #『勇猛・悲壮 辞世の句150 戦国武将・維新志士・帝国軍人…日本男児が遺した最期の言葉!』p.166
  13. ^ a b 仙台市民図書館 編『要説 宮城の郷土誌』165頁(宝文堂出版販売、1983年10月)


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