MALICE MIZERのManaによるゴシックとロリータの融合
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「ゴシック・アンド・ロリータ」の記事における「MALICE MIZERのManaによるゴシックとロリータの融合」の解説
MALICE MIZERはそれまでのヴィジュアル系と比べて、群を抜いて濃いメイクと衣装、過剰な演出をしていたが、MALICE MIZERの中で女性的な位置づけであったManaのスタイルをエレガント・ゴシック・ロリータと称したものがルーツ で、Manaがゴシック・アンド・ロリータを最初に定義した。 この「MALICE MIZERのManaによるゴシックとロリータの融合」は有力な説の一つであるが、一般の少女たちが行っていたロリータ・ファッションのアレンジをまとめたのがManaの「Moi-même-moitié」であるとも言われている。前述の大槻 の他に『KERAマニアックス』編集長の鈴木真理子も、ゴシック・アンド・ロリータが売れるようになったのはMALICE MIZERがメジャーデビューし、ゴシック・アンド・ロリータを着るManaの姿が全国的に映し出されたためであると述べている他、「Manaがゴシック・アンド・ロリータと名づけた」という説はMana自身否定している。しかしManaが自分のファッション・スタイルについて「エレガントで、ゴシックで、ロリータな」スタイルと表現していたため、ファンの間で「ゴシック・アンド・ロリータ」という言葉が生まれたとも言われており、また、MALICE MIZERの世界観に影響を受けたファンによってゴシック・アンド・ロリータの原型が誕生したという説もある。 なお、Manaは「ブランドの構想を考え出した97 - 98年頃、世の中にLolita系ブランドはあったのですが、ダークで可愛いものを扱っているブランドが、僕が知っている限りではありませんでした。僕は怪しくて、Gothic的なものも大好きだったので、そこにLolitaの持つ可愛らしさを組み合わせたら、と考え、Gothic&Lolitaというものを創り出したのです。」とも述べている。
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