ロンドン・ブリッジ・スタジオ
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ロンドン・ブリッジ・スタジオ (London Bridge Studio) は、シアトルにある録音スタジオである。1985年以来、数々の影響力あるアーティストやプロデューサー、エンジニアを迎えている。リック・パラシャーとラジ・パラシャー兄弟のプライベート・スタジオとして創設され、パール・ジャムが1991年にリリースしたマルチプラチム・デビューアルバム『ten』で一躍有名になった。
1980年代後半から90年代にかけてのシアトルにおける音楽の勃興は、ロンドン・ブリッジ・スタジオでレコーディングされたアルバムによってもたらされた部分が大きい。マザー・ラブ・ボーン、テンプル・オブ・ザ・ドッグ、アリス・イン・チェインズらその時代に影響力があったバンドは、みなロンドン・ブリッジ・スタジオでシアトル時代の作品をレコーディングをしている。サウンドガーデンの『ラウダー・ザン・ラヴ』(1989年)およびパール・ジャムの『ten』(1991年)は、ともにスタジオに世界的な高名をもたらした。その後の10年ではブラインド・メロンやキャンドルボックス、アンリトゥン・ロウ、デフォルト、3ドアーズ・ダウンなどもレコーディングに使用している。
音響設計は著名なスタジオ設計者であるジェフ・ターナー(リトル・マウンテン・スタジオ、パインウッド・スタジオなど)によるもので、460平米、上昇式天井、強固なウッドフローリング、れんが壁、贅沢なライブ音響をその特徴としている[1]。スタジオ内にはライブ・ルーム、コントロール・ルーム、オーバーダブ用ルーム、キッチン付きラウンジがある。
2005年9月にジェフ・オットとジョナサン・プラムがリック・パラシャーとラジ・パラシャー兄弟からロンドン・ブリッジ・スタジオを買い取り[2]、地元および国内の音楽業界のレコーディング用に貸し出している[3]。また、従来のバンドやミュージシャンの他にも、ビデオ・ゲームやテレビ放送用のオーディオ収録事業にも乗り出している[4]。 2013年にエリック・リラヴォアが第3のオーナーとして参加。
脚注
外部リンク
「London Bridge Studio」の例文・使い方・用例・文例
- クレオパトラの針 《古代エジプトのオベリスクで, 現在 London と New York にある》.
- ポートランド街 《London の街路名》.
- 新大学, 1960 年以降に創設された大学, 板ガラス大学 《Oxford, Cambridge のような石造りの ancient universities, 19 世紀に創設された London 大学のような赤れんが造りの redbrick universities に対して言う; 建築様式がふんだんに plate glass を使ってモダンなことから》.
- サンデーポスト(紙) 《London の日曜朝刊新聞》.
- サビル通り 《London の町名; 一流の紳士服の仕立屋が軒を連ねる》.
- 中央裁判所施設 《London の Strand 街にある高等法院の建物》.
- トラファルガースクエア 《London の中心地にある》.
- デーリーテレグラフ 《London の新聞名》.
- (London の)妖怪学研究会
- Dickens の小説は London 社会の最下層が描いてある
- 最近着の London Times に曰く
- Calcutta は小規模の London だ
- Bridgewater CaféのYuki です。
- London Bridge Studioのページへのリンク