スリランカ社会主義平等党とは? わかりやすく解説

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スリランカ社会主義平等党

(LSSP から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 15:37 UTC 版)

スリランカ政党
スリランカ社会主義平等党
ලංකා සම සමාජ පක්ෂය
(Lanka Sama Samaja Party)
லங்கா சமசமாஜக் கட்சி
Lanka Equal Society Party
本部
集団指導体制 中央委員会
成立年月日 1935年12月18日 (1935-12-18)
本部所在地 457 Union Place, Colombo 02
国会
2 / 225   (1%)
(2011年)
政治的思想・立場 共産主義トロツキズム統一人民自由同盟
機関紙 Samasamajaya
シンボル
国際組織 第四インターナショナル
公式サイト Lanka Sama Samaja Party
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スリランカ社会主義平等党(スリランカしゃかいしゅぎびょうどうとう、シンハラ語: ලංකා සම සමාජ පක්ෂය Lanka Sama Samaja Party, LSSP、லங்கா சமசமாஜக் கட்சி: Lanka Equal Society Party)は、スリランカトロツキー主義政党

1935年に結成され、1940年代に主要政党の一つとなったLSSPは第四インターナショナル(統一書記局派)に加盟し、その中でも突出した勢力を有していた。

1964年LSSPが連立政権に参加し、ソロモン・バンダラナイケの率いる保守的なスリランカ自由党に接近すると、これに反対する第四インターナショナルと対立し、脱退した。LSSPの勢力は1970年代にピークを迎えたが、この30年間で次第に弱体化しつつある。

歴史

LSSPは1935年12月8日、スリランカの独立と社会主義を目指す青年たちのグループによって結成された。LSSPはマルクス主義者を中心とする青年同盟英語版から生まれた。この団体の指導者はヨーロッパの左翼やハロルド・ラスキの思想に影響されたロンドンからの帰国者が多く、1931年からスリランカ国務院の議員を務めたS・A・ウィックレマシンゲはこのうちの1人だった。

青年同盟はイギリスからの独立を志向する運動を起こし、自治領より首相に強大な統治権を与えるとするミニスターズ・メモランダムに対する反対運動を展開した。

2004年の選挙では225議席中105議席を獲得した政党連合統一人民自由同盟に参加し、1議席を獲得した。

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