ガブリエラ・ブルームとは? わかりやすく解説

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ガブリエラ・ブルーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 23:07 UTC 版)

ガブリエラ・ブルーム
Gabriella Brum
プロフィール
生年月日 1962年5月19日
現年齢 61歳
出身地 ロンドン
瞳の色 ブルー
毛髪の色 ブロンド
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 185 cm / kg
活動
ジャンル ファッション
備考 Miss World 1980
モデル: テンプレート - カテゴリ

ガブリエラ・ブルーム(Gabriella Brum、1962年5月19日 - )は、ドイツモデル

1980年、ミス・ワールド1980で優勝するが、翌日王冠とタイトルを返上。ミスとしての任期17時間は大会史上最短。グアム代表のキンバリー・サントスがミス・ワールド1980を引き継ぐ[1]

経歴

ドイツ人のAngelika Roureは1961年西ベルリンで英国人兵士Edward Brumと出会う(数年後、別れる)[2]

1962年5月19日、ガブリエラ・ブルーム生まれる。

1976年、西ベルリンのLessing High School入学[3]1980年[3]、公表されていない理由で[4]中退。

いくつかの芸名でモデルとして働くが、その間にディレクター兼カメラマン、そしてプロデューサーのWolfgang Benno Bellenbaum(1928年 - 1984年)と出会う。ベレンバウムとは後に、モデル活動を行うために一緒にLAに行く。

Miss Germany

1980年6月26日、ベルリンの国際コングレス・センターで開催されたMiss Germanyで優勝。

1980年7月のDie Zeit誌の報道によると、この決定に異論がないわけではなかった。決勝の時点で彼女はドイツに居住していなかった、また、ベレンバウムの妻(50歳の映画監督。友人[4]とする資料もある)が審査員の席を占めていた点が問題視されたが、タイトルは有効とされた[5]

Miss World

1980年11月13日、ロンドンで開催されたミス・ワールド1980で優勝。翌日午後3時、「厳しい契約のもと1年間も世界を飛び回るよりベレンバウムのそばにいたい」とタイトルを返上。ロンドンのブックメーカーLadbrokesは、彼女に投票したギャンブラーたちに総額数千ポンドを支払った。同社のスポークスマンによると「少なくとも我々にとって、彼女は勝者です」[4]

後で明らかになったところによると、彼女は以前ヌード写真を公表していたことが発覚したため、タイトルを返上するしかなかった[6][7]。写真家のWolfgang Heilemannは、デア・シュピーゲル誌のインタビューで、「写真は自分が撮った。それをパリ・マッチ誌に提供した」と認めた[8]

その後

その後米国に移るが、初めの数年間はモデルとして成功した[9]1981年5月、プレイボーイの表紙を飾っている[10]

1981年、ノース・ハリウッドでベレンバウムと結婚。

1984年、ベレンバウムはエンシノのアパートで自らを銃で撃った。死体はブルームによって確認された。銃のほか、別れの手紙が見つかった[11]

2012年1月のUnited States Online News(USSPost)の記事によると、当時はまだロサンゼルスを拠点としていた[9]

ドイツ語のSNS・StayFriendsによると、2017年11月の時点で米国在住[3]

脚注

  1. ^ David Rose (5 November 2010). Sexually, I'm more of a Switzerland: Personal Ads from the London Review of Books (電子書籍) (英語). Pan Macmillan. ISBN 9780330538015
  2. ^ Gabriella Brum”. Yuddy. 2010年3月5日閲覧。
  3. ^ a b c Gabriella Brum (2017年12月1日). “Gabriella Brum”. StayFriends. 2017年12月1日閲覧。
  4. ^ a b c Donald West. “The World's Most Reluctant Beauty Queen...Gabriella Brum”. BEAUTY SCHOOL. 2022年2月9日閲覧。
  5. ^ Gesine Froese (1980年7月11日). “Deutschlands traurige Elfen Miss Germany 1980 -Der Traum junger Mädchen von Geld und Karriere”. Die Zeit (Hamburg) 
  6. ^ Veit Didczuneit; Dirk Külow (1998) (ドイツ語). Miss Germany. Die deutsche Schönheitskönigin. Hamburg: S & L MedienContor. p. 137. ISBN 3-931962-94-6 
  7. ^ Edmond Knevels (2014年12月14日). “Foto’s waren te schandalig voor een Miss World”. vrtNWS. vrt. 2022年2月9日閲覧。
  8. ^ Für Led Zeppelin habe ich die Mädels klargemacht”. SPIEGEL ONLINE. SPIEGEL ONLINE GmbH (2008年4月17日). 2022年2月9日閲覧。
  9. ^ a b Gabriella Brum Still Lives In Los Angels”. U.S.S.POST (2012年1月14日). 2015年1月29日閲覧。
  10. ^ “Miss World resignes after one-day reign”. The Day (New London, CT). (1980年11月13日) 
  11. ^ “German Filmmaker Found Dead In L.A.”. Toledo Blade (Toledo, Ohio). (1984年6月15日) 



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