ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > ポルトガルの王妃 > ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナの意味・解説 

ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ

(Dulce of Aragon から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 05:52 UTC 版)

ドゥルセ・ベレンゲル
Dulce Berenguer
ポルトガル王妃
在位 1185年 - 1198年

出生 1152年
カタルーニャ君主国バルセロナ
死去 1198年9月1日
ポルトガル王国コインブラ
埋葬 ポルトガル王国コインブラサンタ・クルース修道院
結婚 1174年
配偶者 ポルトガル王サンシュ1世
子女 本文参照
父親 バルセロナ伯ラモン・バランゲー4世
母親 アラゴン女王ペトロニラ
宗教 ローマ・カトリック
テンプレートを表示
ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ

ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナDulce Berenguer de Barcelona, 1152年 - 1198年9月1日)は、ポルトガルサンシュ1世の妃。

生涯

ドゥルセはバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世アラゴン女王ペトロニーラの長女である。

ポルトガル=アラゴン同盟関係の強化のための政略として、9歳の時にポルトガル王アフォンソ1世の息子サンシュと婚約し、1174年に結婚した[1][2]。ポルトガルに到着する前までのドゥルセについてや、結婚に際しドゥルセが受け取った寡婦財産についてはほとんど知られていない[3]

「美しくすばらしい女性で、物静かで控えめで、名前の通りの性格」といわれ、ドゥルセは「ポルトガルを強化し、カスティーリャとレオンの領土拡張政策を封じ込める」ことを目的とした同盟を結ぶために利用され、妻として、また多くの子供の母親として期待されていた役割を果たした[4][5]。また、この結婚は夫の妹マファルダと、後のアラゴン王アルフォンソ2世との婚約破棄を補うものでもあった[4]。1185年にアフォンソ1世が死去し、夫がポルトガル王位を継承し、ドゥルセは王妃となった。アフォンソ1世の最初の遺言は1188年に実行され、夫サンシュ1世はドゥルセにアレンケル、ヴォウガ川の河岸の領地、サンタ・マリア・ダ・フェイラおよびポルトからの収入を与えた[3]

ドゥルセはブランカおよびベレンガリアを産んでからまもなく1198年に死去した。おそらくペストにかかり、その後の出産によって死去したとみられる。ドゥルセはコインブラのサンタ・クルース修道院に埋葬された[6]

子女

2人の間には11子が生まれたが、成長したのは9人である。

脚注

  1. ^ Mattoso 2014, pp. 290, 334.
  2. ^ Rodrigues Oliveira 2010, p. 83.
  3. ^ a b c Rodrigues Oliveira 2010, p. 84.
  4. ^ a b c Mattoso 2014, p. 334.
  5. ^ Rodríguez Oliveira 2010, pp. 83–84.
  6. ^ Rodrigues Oliveira 2010, pp. 55, 85, 95.
  7. ^ Rodrigues Oliveira 2010, pp. 84, 89.
  8. ^ Rodrigues Oliveira 2010, p. 89.
  9. ^ a b c d e f g h Rodrigues Oliveira 2010, p. 85.
  10. ^ Rodrigues Oliveira 2010, pp. 85, 92.
  11. ^ Rodrigues Oliveira 2010, pp. 85, 93.

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ」の関連用語

ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS