カッサーノ・ダッダとは? わかりやすく解説

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カッサーノ・ダッダ

(Cassano d'Adda から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/29 09:00 UTC 版)

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カッサーノ・ダッダ
Cassano d'Adda
行政
イタリア
ロンバルディア
ミラノ
CAP(郵便番号) 20062
市外局番 0363
ISTATコード 015059
識別コード C003
分離集落 #主要な集落参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
気候分類 zona E, 2536 GG
公式サイト リンク
人口
人口 18,911 [1](2017-01-01)
人口密度 1,021.1 人/km2
文化
住民の呼称 cassanesi
守護聖人 無原罪聖母santa Maria Immacolata[2]
祝祭日 10月4日[2]
地理
座標 北緯45度32分0秒 東経9度31分0秒 / 北緯45.53333度 東経9.51667度 / 45.53333; 9.51667座標: 北緯45度32分0秒 東経9度31分0秒 / 北緯45.53333度 東経9.51667度 / 45.53333; 9.51667
標高 133 (105 - 153)[3] m
面積 18.52 [4] km2
カッサーノ・ダッダの位置

ミラノ県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
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カッサーノ・ダッダCassano d'Adda)は、イタリア共和国ロンバルディア州ミラノ県にある、人口約1万9000人の基礎自治体コムーネ)である。

ミラノの東約30kmに位置し、アッダ川を渡渉する戦略的に重要な地点であることから、カッサーノでは多くの戦いが繰り広げられてきた。最も有名な「カッサーノの戦い」 (Battle of Cassano d'Addaは、1799年のものである。

名称

地元の方言では Casàn と呼ばれる。

地理

位置・広がり

カッサーノ・ダッダはミラノ県の東部、アッダ川のほとりに位置する。ベルガモから南西へ約23km、ローディから北へ約24km、州都・県都ミラノから東北東へ約27km、ブレシアから西へ約55kmの距離にある。アッダ川はベルガモ県との境界となっており、川を隔てて東へ約6kmの距離にトレヴィーリオの市街がある。市域南東部はアッダ川東岸(ジェーラ・ダッダイタリア語版地方)にも広がっており、市域の南部でわずかにクレモナ県と接している。

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

地勢・地形

市域には人工の運河が二つある。北部にはアッダ川とミラノとを結ぶマルテザーナ運河 (it:Naviglio della Martesanaがあり、グロペッロ・ダッダ地区を流れている。また、南部にはアッダ川とローディとを結ぶムッツァ運河 (it:Canale della Muzzaが流れる。

主要な集落

カッサーノ・ダッダCassano d'Adda)の中心市街は、アッダ川右岸(西岸)に位置する。市街の北にはグロペッロ・ダッダGroppello d'Adda)という地区があり、その市街地はカッサーノ中心市街と一体化しているが、分離集落(フラツィオーネ)としての地位を持つ。

アッダ川左岸(東岸)には、カッサーノの対岸にカーシナ・タランタCascina Taranta)の集落がある。また、中心市街から約2.6km離れてカシーネ・サン・ピエトロCascine San Pietro)の集落があり、カジラーテ・ダッダのチオッフィ地区と連担している。

秋のカッサーノ 
ボロメオ城 
グロペッロとマルテザーナ運河 
カシーネ・サン・ピエトロ 

歴史

ヴィッラ・ボロメオ

カッサーノ・ダッダがはじめて文書に登場するのは、887年のことである。

この都市が成立する以前の268年、ローマ皇帝ガッリエヌスは、皇帝僭称者アウレオルス (Aureolusの軍勢をこの付近の橋の近くで打ち破るが、その後殺害されている。

1000年頃には、アッダ川のほとりにボロメオ城が築かれた。

1158年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世はミラノ軍とカッサーノで戦っている。

1259年、教皇派(ゲルフ)の同盟軍が、この地で皇帝派(ギベリン)と戦った (Battle of Cassano (1259)

1705年には、スペイン継承戦争の一環としてフランスオーストリアが戦い、フランスのヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボンがオーストリアのオイゲン・フォン・ザヴォイエンを打ち破っている(カッサーノの戦い)。

1799年、フランス革命戦争の中でフランス軍とロシア軍が戦った。スヴォーロフ率いるロシア軍は、モロー率いるフランス軍を打ち破っている (Battle of Cassano (1799)

人口

居住地区別人口

国立統計研究所(ISTAT)によれば、2001年国勢調査時点での居住地区(Località abitata)別の人口は以下の通り[3]

地区名 標高 人口 備考
CASSANO D'ADDA 105/153 16,665
CASCINE SAN PIETRO 115 841 カジラーテ・ダッダCioffi 地区に連続
CASSANO D'ADDA * 133 15,430
Cascina Seriole 111 15
Cascina Taranta 122 115
Case Sparse - 264
La Lanca 123/125 - ファーラ・ジェーラ・ダッダとの境界未画定地域
  • ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。

コムーネではカッサーノ、カシーネ・サン・ピエトロ、グロペッロの3区分で人口統計を出している。これによれば2011年12月31日時点の人口は以下の通り[5]

地区名 人口
Cassano 14,354
Cascine San Pietro 1,069
Groppello 3,365
合計 18,788

人口推移

交通

カッサーノ・ダッダ駅

鉄道

ミラノとヴェネツィアを結ぶミラノ=ヴェネツィア線が走っており、カッサーノ・ダッダ駅がある。カッサーノ・ダッダ駅は、ミラノとトレヴィーリオとを結ぶ鉄道の駅として1846年に開業した駅である。

この路線はミラノ近郊鉄道に組み込まれており、運行系統としてはS5線(ヴァレーゼ - ミラノ - トレヴィーリオ)およびS6線(ノヴァーラ - ミラノ - トレヴィーリオ)の一部である。

道路

主要な道路としては、県道 SP11号線(SP ex SS 11)がコムーネを東西に貫いている。この路線はトリノとヴェネツィアを結ぶ国道SS11号線 (it:Strada statale 11 Padana Superioreの一部を構成する。

人物

著名な出身者

脚注

外部リンク




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