C.アキノとラモス(1986–98)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:02 UTC 版)
「モロ紛争」の記事における「C.アキノとラモス(1986–98)」の解説
コラソン・アキノ大統領は、任期の早い時期にMNLF議長のヌル・ミスアリとスールーのいくつかのMNLF反政府グループとの会合を準備し一連の交渉の道を開いた。1989年にはイスラム教徒ミンダナオ自治区 (ARMM)が、1987年の憲法による共和国法第6734号(ARMM基本法)に基づき設立された。 中東でイスラムを学んだ元教師のアブドラガク・ジャンジャラーニは、伝えられるところによれば、1980年代にウサーマ・ビン・ラーディンと会っており、その後の1991年にアブ・サヤフグループを結成した。ジャンジャラーニはより急進的かつ神権的なアブ・サヤフのためにMNLFの元メンバーを勧誘した。 フィデル・ラモス大統領のもとで、いくつかの交渉と和平交渉が行われ、ARMMは盤石となり独自の地政学的システムを持つことになった。
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