アド・サンテルとは? わかりやすく解説

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アド・サンテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/20 20:24 UTC 版)

アド・サンテルリングネーム:Ad Santel 本名:アドルフ・エルンスト(Adolph Ernst)、1887年4月7日 - 1966年11月10日[1])は、20世紀初頭に活躍したドイツ系アメリカ人プロレスラーキャッチ・レスリング最強の実践者の一人と考えられているが、彼はまた講道館柔道への対戦により、近代最初の総合格闘家の一人であると考えられている。現役時代は世界ライトヘビー級チャンピオンであり、長年にわたってタイトルを保持していた。


  1. ^ フミ斎藤 (2015年10月1日). “日本初の異種格闘技戦! 大正10年のプロレス対柔道、アド・サンテル事件の裏には破門覚悟の若者たちがいた”. 日刊SPA!. 2021年4月19日閲覧。
  2. ^ a b c d 坂上康博 2010, p. 48-49.
  3. ^ a b c Jordan Breen, Ad-Santel and Catching Our History, Sherdog.com
  4. ^ a b c Nate Wilcox, Really Old School: Catch Wrestling vs Judo 1921, Bloodyelbow.com
  5. ^ "Ito threw Santell (sic) around the ring like a bag of sawdust… When Ad gasped for air, the Japanese pounced upon him like a leopard and applied the strangle hold. Santell gave a couple of gurgles, turned black in the face and thumped the floor, signifying he had enough." -- Howard Angus, Los Angeles Times, 1 February 1917
  6. ^ Hayward Nishioka, Judo's Forgotten Pioneer, Black belt magazine, May 1971
  7. ^ John S. Nash, The Forgotten Golden Age of MMA – Part IV: Ultimate Fighting of the Belle Époque
  8. ^ Raul Sanchez Garcia, The Historical Sociology of Japanese Martial Arts
  9. ^ 「家族の目から見た柔道家・庄司彦男とは?(インタビュー)」.
  10. ^ 「“柔道”と“スポーツ”の相克 -嘉納が求めた武術性という課題-」永木耕介 P.60.
  11. ^ 「レスラーからの挑戦状、一大事件に 平和台を創った男・岡部平太の波瀾万丈な生涯」(西日本新聞).
  12. ^ 『嘉納治五郎大系』9巻 P252-253「米国ロッキー山中の人となって」.
  13. ^ 『嘉納治五郎大系』8巻 P349「国際オリンピックを終えて」.
  14. ^ 『講道館柔道対プロレス初対決―大正十年・サンテル事件』丸島隆雄 P.143.
  15. ^ 「レスラーからの挑戦状、一大事件に 平和台を創った男・岡部平太の波瀾万丈な生涯(西日本新聞)」.
  16. ^ 「“柔道”と“スポーツ”の相克 -嘉納が求めた武術性という課題-」永木耕介.
  17. ^ 「レスラーからの挑戦状、一大事件に 平和台を創った男・岡部平太の波瀾万丈な生涯(西日本新聞).
  18. ^ 柔道とボクシングの歴史から消された“大物ヤクザ”の名前…柔道が総合格闘技に“なり損ねた”「サンテル事件」とは(細田昌志)”. Number Web - ナンバー. 2021年4月19日閲覧。
  19. ^ なお、この試合に関しては「プロレス対柔道」のタイトルで週刊少年ジャンプにて漫画化されている(原作・原案:桜井康雄、作画:竜崎遼児にて、週刊少年ジャンプ1976年(昭和51年)第21~26号にかけて全6話にて連載)。
  20. ^ Thesz, Lou, & Kit Bauman, Mike Chapman, Editor, Hooker, The Authentic Wrestler's Adventures Inside the Bizarre World of Professional Wrestling (Wrestling Channel Press, 1995-2000), p. 67
  21. ^ Fleischer, Nat, From Milo to Londos (The Ring, Inc., 1936), p. 122-24.
  22. ^ 1911-1-17 Washington Times 1911-1-18 Yakima Herald times 1911-2-6 RI Argus 1911-8-23 Bridgeport Evening Farmer 1911-9-3 The Richmond Times-Dispatch 1912-1-6 Topeka State Journal
  23. ^ Stecher Wins in Straight Falls”. Classic Wrestling Articles. 2015年8月30日閲覧。
  24. ^ Ad Santel Meets Sonnenberg Tues.”. Classic Wrestling Articles. 2015年8月30日閲覧。
  25. ^ Santel v. Pesek”. Classic Wrestling Articles. 2015年8月30日閲覧。
  26. ^ Santel Takes Deciding Fall in Hot Match”. Classic Wrestling Articles. 2015年8月30日閲覧。
  27. ^ Wrestling History”. PWI-Online.com. Pro Wrestling Illustrated (2013年). 2016年1月3日閲覧。
  28. ^ Lou Thesz”. National Wrestling Hall of Fame. 2020年6月17日閲覧。
  29. ^ Kenyon, Lou Thesz with Kit Bauman ; edited by J. Michael (2011). Hooker (3rd ed.). Gallatin, Tenn.: Crowbar Press. ISBN 978-0-9844090-4-4 
  30. ^ [1]
  31. ^ 小島貞二『力道山以前の力道山たち』:三一書房
  32. ^ [2]
  33. ^ Tsutao “Rubberman” Higami”. ejmas.com. 2021年4月19日閲覧。
  34. ^ 吉田和正 『幻の遺産 : 日本人格闘家を愛した富豪夫人』三一書房、1996年。ISBN 4380962652NCID BA34754378全国書誌番号:97025167 
  35. ^ Kash? Mainichi Shinbun 1933.09.10 ? Hoji Shinbun Digital Collection”. hojishinbun.hoover.org. 2021年4月18日閲覧。
  1. ^ 庄司彦男の家族の証言では、サンテルを日本に呼んだのは講道館の石黒敬七ではないかという話が伝わっているという[9]
  2. ^ 実際にサンテルと対戦した庄司彦男がのちによく「姿三四郎のモデルでもあり別格の強さだった徳三宝ならサンテルに勝てた」と語っていたことを家族が証言している。
  3. ^ 嘉納は当初よりサンテルの挑戦を受ける心づもりでいたと考えられている。嘉納は明治期において国内の柔術諸流派を統合していった過程における出来事(他流試合)が、世界へ拡大された空間においても同様に起こり得ることを察していたのではないかとされる[10]。「講道館柔道の真価を世界に問う絶好の機会だ。-中略-講道館は他流試合をした苦心があったからこそ、ここまで広まったのだ。」と嘉納は岡部平太に真意を尋ねられた際に語っている[11]。嘉納はサンテル事件の前年の1920年アントワープオリンピック大会へ向かう途中、およびその帰途に立ち寄ったアメリカ西海岸で、サンテルと試合した経験のある伊藤徳五郎と会い同行している[12][13]。この時嘉納は伊藤と話し合い、すでにサンテル来日を承諾していたのではないかとの推測もあり、サンテル来日の1921年(大正10年)3月という時期は嘉納の帰国に合わせたのではないかという説もある[14]。岡部平太は、サンテルとの試合を仕組んだのは嘉納だったのではないかと語っている。
  4. ^ 岡部は1917年(大正6年)のアメリカ留学に際し、嘉納の意図としての「柔道の国際化のためのレスリングの研究」[15]や「プロ・レスやプロ・ボクシングの研究や対戦」[16]を汲み、出来るだけの研究を行ったが、道場に通い続ける中でプロレス興行の“闇”を知ることとなり次のように書いている。「プロのアリーナの裏側には濁った空気が漂い、酒・女・ギャンブルが、若い自分の身を切るほどに痛く感ぜられた」「交渉の中で問題になったのがファイトマネー。岡部が受け取れば、アマチュア失格となる。逆に興行を生業とするレスラーが、収入のない試合に応じるはずもない」「柔道とプロレスラーの試合はルール上において成立はあり得ません。最終的には金銭で決めるしかなく、喜ぶのは興行師です」[17]


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