2004年スリランカ津波列車事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 08:28 UTC 版)
2004年スリランカ津波列車事故 | |
---|---|
![]() |
|
発生日 | 2004年12月26日 |
国 | ![]() |
場所 | ヒッカドゥワ市ペラリア |
事故種類 | 水害 |
原因 | 地震によって発生した津波 |
統計 | |
列車数 | 1列車 |
死者 | 900人 - 1,700人以上 |
負傷者 | 100人以上 |
2004年スリランカ津波列車事故(2004ねんスリランカつなみれっしゃじこ)は、2004年12月26日に発生した列車事故。2023年1月時点で、史上最多の死者を出したとされる列車事故である。
スリランカのコーストラインを走る満員の列車を、スマトラ島沖地震によって引き起こされた津波が破壊。1,700人以上が死亡し、100人以上が負傷した。
列車
#50 マータラ・エクスプレス(#50 Matara Express)はコロンボとゴールの間を運行する定期列車だった。
スリランカ南西の海岸を走る路線は、 テルワッタ付近においては海からの距離は200メートルほどしかなかった。 2004年12月26日、仏教徒とキリスト教徒双方にとっての祭日の日。機関車の#591 マニトバ(#591 Manitoba)に牽引されて、列車はコロンボ・フォート駅を午前6時50分過ぎに出発した。この時点での乗車数は、料金を支払った一般の乗客が1,500人以上、政府の旅行許可などを持ったその他の乗客の数は不明[1][2]。
停車の試み
地震発生後、パレケルにあるスリランカの地震観測所は揺れを確認したが、津波が陸地まで到達するとは考えなかった[3]。
津波の報告を受けたマラダーナ駅の指令所は、運行中だった8つの列車を止める事が出来たものの、マータラ・エクスプレスへの連絡には失敗をした。アンバランゴダの駅では、全駅員が列車側の手伝いをしており列車の出発後まで電話に出ることが出来ず、その先の駅の駅員は既に避難したか波に飲まれて死亡してしまっていたためである[1]。
津波に襲われた列車
午前9時30分、 テルワッタに近いペラリアの村の浜辺で、最初の巨大な波が見えた。 周囲で水位の上昇を告げる警報が鳴り響くなか、水に囲まれた列車は停車[4]。 何百人という地元住民が車両に登ったり車両の後ろに隠れたりして、水に押し流されまいとした。 最初の波を受けて客車に入り込んだ水に、乗客はパニック状態だった。10分ほど後、大きな波が列車を持ち上げ、線路沿いの木や家屋に叩きつけた。陰に入り避難しようとしていた人々は押し潰された。
満員の8両の客車は、ドアを開ける事が出来ないほど水に溢れ、何度も波に押し流されるうちに内部でその殆どが溺死した。車両の上に乗っていた人々は放り出され、溺れるか流されてきた瓦礫に潰された。機関車は波によって100メートル先の沼まで運ばれ、機関士と助手がそこで死亡していた。
建物に残った痕跡などを元に推測される津波の高さは海抜7.5メートル - 9メートルで、列車の最高部よりも2メートル - 3メートル高かった[1]。
被害
津波災害の規模が大きすぎたため、地元当局や救急サービス及び軍隊の処理能力は限界に達し、即座に救助を出す事が出来なかった。午後4時頃に軍のヘリコプターによって発見されるまで、列車の位置すらスリランカ政府は掴めていなかったという[要出典] 。地元の救急サービスは壊滅、救援の到着までは長い時間がかかった。酷い状態だった負傷者は残骸の中でそのまま死亡し、遺体の多くは1週間以上後に回収された。家族を探すために自分で現地を訪れる者もいた[1]。 コロンボから来た法医学のチームは、埋葬後にも身元を調べられるよう、身元不明遺体の写真と指紋をバタポラ病院で記録した[5]。
スリランカ政府によると、生存者は150人余り、推定死亡者数は最低1,700人で、2,000人を超える可能性もある。しかし、回収できた遺体は約900人分で、その他は海に流されたか親族が持ち去ってしまった。
建物を10棟だけ残して破壊されたペラリアは数百人の市民を失った。 200以上の遺体が、身元不明のまま線路近くに埋葬された。
その後
復旧した線路は、以前と同じ区間が事故を生き延びた車掌で運行され、線路沿いの再建された町では1周年の式典が行われた[6]。
機関車と客車2両は回収し修復された。機関車には追悼として波のペイントが追加され、2008年以降は慰霊の式典のために毎年ペラリアへやって来る[1]。
関連項目
脚注
- ^ a b c d e Gunawardena, Ralph (July–August 2015). “The Ordeal of 591 Manitoba”. Canadian Railway Modeler 20 (2): 16–17, 20–21.
- ^ Carl Strand and John Masek, ed (August 2008). Sumatra-Andaman Islands Earthquake and Tsunami of December 26, 2004: Lifeline Performance. Reston, VA: ASCE Press, Technical Council on Lifeline Earthquake Engineering. ISBN 978-0-7844-0951-0. オリジナルの2013-10-24時点におけるアーカイブ。 2012年7月11日閲覧。
- ^ Bruce Parker -The Power of the Sea: Tsunamis, Storm Surges, Rogue Waves 2012 0230112242 "Seismologists at Sri Lanka's only seismic monitoring station, at Pallekele, Kandy, knew of the earthquake off Sumatra within minutes of its initial shaking at the epicenter, but they thought it was too far away for a tsunami to reach Sri Lanka."
- ^ “Ten years on, the same conductor continues on the tsunami train” (英語). www.efe.com 2018年10月2日閲覧。
- ^ Steele (2004年12月29日). “One train, more than 1,700 dead” (英語). the Guardian. 2018年10月2日閲覧。
- ^ Dissanayake, Samanthi (2005年12月26日). “Divided island remembers tsunami”. BBC 2016年3月12日閲覧。
外部リンク
- BBC News Report(英語)
- USA Today Report(英語)
- Traveler's report(英語)
- BBC first anniversary commemoration(英語)
- Sri Lankan account(英語)
- The Peraliya Official Website(英語)
- Steele, Jonathan. "One train, more than 1,700 dead.", The Guardian. 29 December 2004.(英語)
- Daily Mirror 26.12.2008(英語)
- 2004年スリランカ津波列車事故のページへのリンク