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黒見哲夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 08:55 UTC 版)

黒見 哲夫
くろみ てつお
生年月日 1932年3月22日
出生地 鳥取県境港市
没年月日 (2017-05-19) 2017年5月19日(85歳没)
死没地 鳥取県境港市
出身校 鳥取県立境中学校中退[1]
前職 境港市職員
親族 おじ・黒見屯(境町会議員)

在任期間 1989年12月10日[2] - 2004年6月5日[3]
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黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年昭和7年)3月22日[4] - 2017年平成29年)5月19日)は、日本政治家鳥取県境港市長。

経歴

鳥取県西伯郡境町(現境港市)出身。父は印刷業黒見宗次[5]。4歳の時母はるえが病死[6]

1947年鳥取県立境中学校中退[1]。境町役場勤務[1]1970年境港市役所財政課長[1]1980年同総務部長[1]1983年同民生部長[1]1986年助役[1]

1989年12月境港市長就任[2]。体調を崩して療養が必要な状況となり、2004年6月5日に辞職届けを提出した[3]

2017年5月19日朝、境港市内の病院で亡くなった[7]

家族・親族

黒見家

(鳥取県西伯郡境町(現境港市)・境港市財ノ木町[1]
矢倉節子[8]によれば「この家の男性二人は在京時代印刷の技を身に付け、帰境後印刷業を始めた[5]。本町印刷所という印刷所で『境実業新報』という月刊新聞も発行していた[5]境町の政治・財界の情報を辛辣な文章で掲載していて、少女期の私の大好きな読み物の一つだった[5]印刷業が軌道に乗った頃、宗次小父さんは結婚した[5]。宗次この人が市長哲夫氏の実父である[5]。」という。

親戚

  • おじ・黒見屯[5]印刷業、政治家・境町会議員)

参考文献

  • 『鳥取県人名録』企画・編集 鳥取県人名録刊行委員会 旬刊政経レポート、1987年、230頁。
  • 矢倉節子[8]『西小路界隈』1992年。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『鳥取県人名録』230頁
  2. ^ a b 『境港市三十五周年史』138頁
  3. ^ a b 6月5日、黒見哲夫市長が辞職届を提出
  4. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、324頁。
  5. ^ a b c d e f g 矢倉節子『西小路界隈』76頁
  6. ^ 矢倉節子『西小路界隈』77頁
  7. ^ 前境港市長・黒見哲夫氏が逝去山陰放送、2017年5月19日
  8. ^ a b 矢倉節子は景山塾で名高い医師・儒者景山粛玄孫にあたる

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